七 指令
文字数 3,254文字
「タエ!」
イライラしながら通路へ出ると、タエは背後からケイに呼びとめられてふりかえった。
「あれっ?どうしたん?」
「レディース事業部長に呼ばれた。タエも部長に呼ばれたんか?」
ケイはタエと並んで通路を歩いている。
「ああ、呼ばれた。
口軽のバカがチーフやりたいって言うから、その事を伝えたら、とりあえず、チーフ代理をさせとけって言われて、レディース事業部長室に来いって呼ばれた。
なんの用だべ?」
タエに思いあたる事はない。タエは前を見たまま歩いて、ケイに囁いた。
「バカどもが、外で企画の事を話してたらしい。ケイの言うとおりだった・・・」
「やっぱしな。あいつら、口も頭も、軽るいべさ・・・」
ケイもタエと同じように囁いている。
「年々、入ってくるヤツのバカさ加減が目につく。
あたしが歳くったってことかな?」
タエは、いつも思っていいても、今まで一度も口に出さなかった事を囁いた。
「そうじゃないさ。人選するのがアホだから、アホが多くなってんださ。
あたしらが歳くったんじゃない。まだ若いべさ」
「そうだね。肌だってプルプル。日頃の健全な生活のせいだね。
ケイに感謝だね」
「色気より、食い気と、睡眠だもんな・・・」
二人でそんな事を囁いている間に、部長室に着いた。
「大沢ケイと木村タエです」
タエがそう言った。二人は部長室に入った。
「レディース事業部の部長と企画室長を兼務することになった本田ヤスオだ。
座ってくれ。
二人とも、アメリカンのブラックだったな・・・」
タエとケイを部長室にある会議テーブルに着かせ、本田部長は席を立って、みずから部屋の隅のカウンターでコーヒーをいれてデスクに戻った。
あたしらの好みを知ってる。こいつはやっぱりヤスオだとタエは思った。
「今回の人事は情報漏洩防止のためだ。
前任の企画室長とチーフデザイナーはN社やR社にデザイン企画を横流ししていた。
この二社の企画が、前任のチーフデザイナーが紛失した我社の企画と同じだった事から、二人による情報漏洩が明らかになった。
二人を刑事告訴した。二社にも捜査が入るはずだ」
「私たちを呼んだ理由は何ですか?」
タエはそう言ってコーヒーに手を伸ばした。前任の室長とチーフの件はあたしらとは無関係だ。そう思いながら、タエは一口コーヒーを飲んだ。懐かしい味がする。ヤスオがいれてくれたコーヒーの味だ。
「二人は、総務課長代理とデザイン企画室長代理を行い、社内の監視と管理をして欲しい。
おおっぴらに監視と管理はできない。代理の立場を口実に、私に意見を聞かせて欲しい」
「どうして私たちなんですか?」
ケイもコーヒーを飲んでいる。
「二人とも会社寄りではない。社員寄りでもない。
どちらにも左右されず、自己に従って正当な仕事をしている。
私はそう判断している。違うかね?」
本田部長はデスクから会議テーブルのタエとケイを見た。二人の気持ちを確認しているらしい。
「そんな事は考えたことないからわかりません。
具体的に、何をすればいいですか?」
タエは本田部長を見た。やっぱり矢部ヤスオに似てる。
「情報漏洩防止のために、社内の監視と管理をする事と、陰から私に商品企画をアドバイスする事だ。
どうするかは、私から二人の携帯に連絡する」
「私たちが使ってるのはスマホです」
コイツ、ITに疎いぞ、とケイはタエに目配せした。
「連絡は特殊メールだ。一読すると消える。そのつもりで読んでくれ。
コピーはできないからね」
「わかりました・・・」
そう言いながらタエは椅子から立ちあがった。タエは部長デスクのそばへ行って尋ねた。
「ところで・・・、生方の件はどうします?」
「チーフ代理をやらせろ。木村は企画室長代理なんだ。木村の判断でかまわない。
どうした?何か他に用か?」
本田部長の言葉が終らないうちに、タエはすばやく手を伸ばして本田部長の髪を引っぱった。縮れたような長髪がピッと伸びて、本田部長の髪がタエの手の動きに反応して傾いた。タエは長髪全体が動いたように感じ、すばやく髭も引っぱった。髭も取れなかったが、髪と同じように全体がずれるように動いた。
「やっぱりな・・・。
で、なんなの?変装でごまかしてもダメだぞ!ヤスオ!」
タエは本田部長を睨んだ。
ケイは突発的なタエの行動に唖然とし、そして、吹きだしそうになった。
「木村が知っている男は、額にヤケドの跡があったはずだ。
子どもの時に花火の火が触れたヤケドだ。
私にそれがあるか?」
本田部長は額の髪を右手の指で掻きあげた。
タエは本田の右の額を見つめた。
「なんでだ?どうして無いんだ?髪も髭も偽物だろう?
何で、ヤスオのヤケドが、花火の火が触れたヤケドだと知ってる?」
タエの驚きの声が疑問に変った。
「いずれ、説明する。髪と髭も含めて、ここでの話は他言無用だ。
課長代理と企画室長代理を言いつかったとだけ話していいぞ。
他に質問は?」
本田部長はそう言いながら髪の毛と髭のズレを直して、タエに、会議テーブルに戻れと手で示した。
「・・・」
タエは無言で会議テーブルに戻った。
「大沢。前任のデザイン企画室長とチーフデザイナーが使っていた携帯は会社の支給品だ。管理職の通信記録を全て調べろ」
「通信内容までは、わからない・・・」
ケイはどうやって通信記録を調べていいか見当もつかない。
「なんのために管理職や株主に、会社が携帯を支給したと思ってるんだ?」
「ああっ!そういう事か!」
「そういう事だ。大沢は総務へ戻って課長代理の仕事をしてくれ。
木村は企画室長の部屋に移るか?」
本田部長が二人を見つめている。
「企画室長代理を伏せておいたらだめか?
監視するなら、今のままデザイナーがいいと思う。
そうなると企画管理ができないか・・・」
タエはどうしたらいいか、即決できない。
「そしたら、二人は課長代理と室長代理を伏せて、極秘に動いてくれ。
生方をチーフデザイナー代理にして、チーフデザイナーの仕事を手伝わせ、デザイナーの仕事もさせろ。
あとの事はメールで指示する。
この携帯を持ってゆけ。
総務課長代理と企画室長代理に昇進したのを忘れるな」
本田部長は自分のデスクのスマホを示した。
二人はテーブルから離れて、本田部長のデスクからスマホを取った。
「生方にチーフデザイナーの部屋を使わせてもいいぞ」
「チーフになっても、私の席は今までと同じにデザインルームのままだ。
頭の軽い者ほどつけ上がるから、アイツの席はデザインルームのデザインデスクのままにしとく。
それじゃあ、持ち場に戻る・・・」
タエはそう言いながら、ケイとともに部長室を出た。
部長室を出るとケイが溜息をついて、通路を戻りながら囁いた。
「冷や冷やしたべさ!だけど、ズラとツケゲとは、タマゲたべ!」
タエが髪を引っぱった時の本田部長の姿を思いだして、ケイは大笑いしそうになっている。
「ズラとツケゲを取ったらヤスオだベ!
だけど、ヤケドのあとがねえからヤスオじゃねえ・・・」
だけど、あの顔立ちはヤスオだ、とタエは思った。アイツ、ヤスオのヤケドを知ってた。だけど、アイツにヤケドの痕はねえぞ。ヤケドの痕があるヤスオはどこへ消えた?
「顔の輪郭とパーツはヤスオだべ。双子だべか?」とケイ。
「ここで話しててもなんにもなんねえ。戻って仕事すべさ・・・」
タエはそう言って、前任者の二人が誰と連絡していたかがわかれば、今後も処分者が出るのを確信した。
「わかった。お昼にまたね・・・」
そう言ってケイはタエに耳打ちした。
「家でも社内でも、盗聴盗撮されてる。
Marimuraの内情を話すのはタブーだべ」
ケイは、前任者の携帯の通信記録を調べろと言った本田部長の言葉から、今まで推測に過ぎなかった盗聴盗撮が、確実になされているのを確信していた。
「わかった。気つけるべ」とタエ。
「うん。またね」
タエのデザインルームに近づくと、ケイはそう言って、エレベーターホールへ歩いて、隣接する階段へ向った。
イライラしながら通路へ出ると、タエは背後からケイに呼びとめられてふりかえった。
「あれっ?どうしたん?」
「レディース事業部長に呼ばれた。タエも部長に呼ばれたんか?」
ケイはタエと並んで通路を歩いている。
「ああ、呼ばれた。
口軽のバカがチーフやりたいって言うから、その事を伝えたら、とりあえず、チーフ代理をさせとけって言われて、レディース事業部長室に来いって呼ばれた。
なんの用だべ?」
タエに思いあたる事はない。タエは前を見たまま歩いて、ケイに囁いた。
「バカどもが、外で企画の事を話してたらしい。ケイの言うとおりだった・・・」
「やっぱしな。あいつら、口も頭も、軽るいべさ・・・」
ケイもタエと同じように囁いている。
「年々、入ってくるヤツのバカさ加減が目につく。
あたしが歳くったってことかな?」
タエは、いつも思っていいても、今まで一度も口に出さなかった事を囁いた。
「そうじゃないさ。人選するのがアホだから、アホが多くなってんださ。
あたしらが歳くったんじゃない。まだ若いべさ」
「そうだね。肌だってプルプル。日頃の健全な生活のせいだね。
ケイに感謝だね」
「色気より、食い気と、睡眠だもんな・・・」
二人でそんな事を囁いている間に、部長室に着いた。
「大沢ケイと木村タエです」
タエがそう言った。二人は部長室に入った。
「レディース事業部の部長と企画室長を兼務することになった本田ヤスオだ。
座ってくれ。
二人とも、アメリカンのブラックだったな・・・」
タエとケイを部長室にある会議テーブルに着かせ、本田部長は席を立って、みずから部屋の隅のカウンターでコーヒーをいれてデスクに戻った。
あたしらの好みを知ってる。こいつはやっぱりヤスオだとタエは思った。
「今回の人事は情報漏洩防止のためだ。
前任の企画室長とチーフデザイナーはN社やR社にデザイン企画を横流ししていた。
この二社の企画が、前任のチーフデザイナーが紛失した我社の企画と同じだった事から、二人による情報漏洩が明らかになった。
二人を刑事告訴した。二社にも捜査が入るはずだ」
「私たちを呼んだ理由は何ですか?」
タエはそう言ってコーヒーに手を伸ばした。前任の室長とチーフの件はあたしらとは無関係だ。そう思いながら、タエは一口コーヒーを飲んだ。懐かしい味がする。ヤスオがいれてくれたコーヒーの味だ。
「二人は、総務課長代理とデザイン企画室長代理を行い、社内の監視と管理をして欲しい。
おおっぴらに監視と管理はできない。代理の立場を口実に、私に意見を聞かせて欲しい」
「どうして私たちなんですか?」
ケイもコーヒーを飲んでいる。
「二人とも会社寄りではない。社員寄りでもない。
どちらにも左右されず、自己に従って正当な仕事をしている。
私はそう判断している。違うかね?」
本田部長はデスクから会議テーブルのタエとケイを見た。二人の気持ちを確認しているらしい。
「そんな事は考えたことないからわかりません。
具体的に、何をすればいいですか?」
タエは本田部長を見た。やっぱり矢部ヤスオに似てる。
「情報漏洩防止のために、社内の監視と管理をする事と、陰から私に商品企画をアドバイスする事だ。
どうするかは、私から二人の携帯に連絡する」
「私たちが使ってるのはスマホです」
コイツ、ITに疎いぞ、とケイはタエに目配せした。
「連絡は特殊メールだ。一読すると消える。そのつもりで読んでくれ。
コピーはできないからね」
「わかりました・・・」
そう言いながらタエは椅子から立ちあがった。タエは部長デスクのそばへ行って尋ねた。
「ところで・・・、生方の件はどうします?」
「チーフ代理をやらせろ。木村は企画室長代理なんだ。木村の判断でかまわない。
どうした?何か他に用か?」
本田部長の言葉が終らないうちに、タエはすばやく手を伸ばして本田部長の髪を引っぱった。縮れたような長髪がピッと伸びて、本田部長の髪がタエの手の動きに反応して傾いた。タエは長髪全体が動いたように感じ、すばやく髭も引っぱった。髭も取れなかったが、髪と同じように全体がずれるように動いた。
「やっぱりな・・・。
で、なんなの?変装でごまかしてもダメだぞ!ヤスオ!」
タエは本田部長を睨んだ。
ケイは突発的なタエの行動に唖然とし、そして、吹きだしそうになった。
「木村が知っている男は、額にヤケドの跡があったはずだ。
子どもの時に花火の火が触れたヤケドだ。
私にそれがあるか?」
本田部長は額の髪を右手の指で掻きあげた。
タエは本田の右の額を見つめた。
「なんでだ?どうして無いんだ?髪も髭も偽物だろう?
何で、ヤスオのヤケドが、花火の火が触れたヤケドだと知ってる?」
タエの驚きの声が疑問に変った。
「いずれ、説明する。髪と髭も含めて、ここでの話は他言無用だ。
課長代理と企画室長代理を言いつかったとだけ話していいぞ。
他に質問は?」
本田部長はそう言いながら髪の毛と髭のズレを直して、タエに、会議テーブルに戻れと手で示した。
「・・・」
タエは無言で会議テーブルに戻った。
「大沢。前任のデザイン企画室長とチーフデザイナーが使っていた携帯は会社の支給品だ。管理職の通信記録を全て調べろ」
「通信内容までは、わからない・・・」
ケイはどうやって通信記録を調べていいか見当もつかない。
「なんのために管理職や株主に、会社が携帯を支給したと思ってるんだ?」
「ああっ!そういう事か!」
「そういう事だ。大沢は総務へ戻って課長代理の仕事をしてくれ。
木村は企画室長の部屋に移るか?」
本田部長が二人を見つめている。
「企画室長代理を伏せておいたらだめか?
監視するなら、今のままデザイナーがいいと思う。
そうなると企画管理ができないか・・・」
タエはどうしたらいいか、即決できない。
「そしたら、二人は課長代理と室長代理を伏せて、極秘に動いてくれ。
生方をチーフデザイナー代理にして、チーフデザイナーの仕事を手伝わせ、デザイナーの仕事もさせろ。
あとの事はメールで指示する。
この携帯を持ってゆけ。
総務課長代理と企画室長代理に昇進したのを忘れるな」
本田部長は自分のデスクのスマホを示した。
二人はテーブルから離れて、本田部長のデスクからスマホを取った。
「生方にチーフデザイナーの部屋を使わせてもいいぞ」
「チーフになっても、私の席は今までと同じにデザインルームのままだ。
頭の軽い者ほどつけ上がるから、アイツの席はデザインルームのデザインデスクのままにしとく。
それじゃあ、持ち場に戻る・・・」
タエはそう言いながら、ケイとともに部長室を出た。
部長室を出るとケイが溜息をついて、通路を戻りながら囁いた。
「冷や冷やしたべさ!だけど、ズラとツケゲとは、タマゲたべ!」
タエが髪を引っぱった時の本田部長の姿を思いだして、ケイは大笑いしそうになっている。
「ズラとツケゲを取ったらヤスオだベ!
だけど、ヤケドのあとがねえからヤスオじゃねえ・・・」
だけど、あの顔立ちはヤスオだ、とタエは思った。アイツ、ヤスオのヤケドを知ってた。だけど、アイツにヤケドの痕はねえぞ。ヤケドの痕があるヤスオはどこへ消えた?
「顔の輪郭とパーツはヤスオだべ。双子だべか?」とケイ。
「ここで話しててもなんにもなんねえ。戻って仕事すべさ・・・」
タエはそう言って、前任者の二人が誰と連絡していたかがわかれば、今後も処分者が出るのを確信した。
「わかった。お昼にまたね・・・」
そう言ってケイはタエに耳打ちした。
「家でも社内でも、盗聴盗撮されてる。
Marimuraの内情を話すのはタブーだべ」
ケイは、前任者の携帯の通信記録を調べろと言った本田部長の言葉から、今まで推測に過ぎなかった盗聴盗撮が、確実になされているのを確信していた。
「わかった。気つけるべ」とタエ。
「うん。またね」
タエのデザインルームに近づくと、ケイはそう言って、エレベーターホールへ歩いて、隣接する階段へ向った。