39.  呪われた離宮

文字数 2,698文字

 一行はその小部屋から左へ入っていける通路へ向かい、そのまましばらく直進した。

「どうやら、ここへ足を踏み入れたのは俺たちが初めてらしいな。さっき人骨も形跡もなか ―― 。」
 ギルが途中で言葉を切った、その時。

 先頭にいるリューイが、右折した瞬間ためらいをみせた。
 目の前に石段が現れたからである。
 振り返ったリューイは、カイルをうかがった。
 カイルは強張(こわば)った顔でうなずいてみせた。
 前を向いたリューイは再び歩きだし、一段目に足をかける。

 螺旋(らせん)状の階段である。それは、ずいぶん長く続いた。下りてきた時と変わらないほどあって、様相も似ている。

 そしてようやく、螺旋(らせん)階段を行き着くところまで上り詰めると、出口は上にあった。

 警戒しながら、リューイは下からゆっくりと床の一部を押し上げたが、怪力のリューイでも力を入れないと動かないほど、それは重かった。側面がこすれ合って、砂のようなものがバラバラと降り注いだ。リューイは、外の様子をのぞける高さまで浮かせたところで手を止めた。恐る恐る、そっと外をうかがってみる。

「なんだ・・・ここは。」

 驚きの声をあげたリューイは辺りを確認すると、持ち上げているものを横へズラして外へ出た。

 どうしたのかと顔を見合わせていたエミリオとギルだったが、リューイに続いて地下から()い出してみると、納得。

 いきなり室内にいた。今までとは違い、良質の石畳(いしだたみ)が敷き詰められてある。縦長の広いフロアで、オイルのとっくに切れた壁かけランプがいくつも取り付けられてある。それと交互に、両サイドの壁際(かべぎわ)には、また美しい女性をかたどった石像が等間隔でズラリと並んでいる。美術館のエントランスホールのようだ。

 リューイが持ち上げたものは、石畳のうちの一枚だったのである。すぐ目の前にいる若く美しい女性は、しっとりとした長い着衣の(すそ)を軽くつまみ上げた優美な姿で、優しい笑みを浮かべている。

「セ・レ・ン・ス・ディー・テ。セレンスディーテ。そっか、この辺りは川の女神が守り神だもんね。」
 台座に付けられた銀の名札を読み上げたカイルは、別の石像にも駆け寄って、その一つ一つを興味深そうに観察しだした。
「あ、でも、これはアーナス(アーナスクインの通称)。美の女神。こっちはメテウス(メテウスモリアの通称)。収穫の女神だ。」

 ずいぶん長いあいだ働かせていた光の精霊たちを、カイルが一旦帰らせるのを見届けたあとで、彼らは壁の上部にある連窓(れんまど)に目を向けた。地下を抜けて、カイルやエミリオはそこからやっと自然の光を見ることができたものの、空が雲に覆われているせいで室内は薄暗く、おかげで先ほどまで無条件に安心感をもたらしてくれた美しい女神たちが、また人を惑わし不幸をもたらす悪女のように映った。

「ここは例の離宮だろうな。外に出てみないことには、確かなことは言えないが。」
 ギルが言った。

 エミリオは、この建物の奥にあるアーチの出入り口らしき場所へ近寄り、中 ―― あるいは外 ―― をのぞいてみた。またも、螺旋状の階段が上へ向かって伸びている。幅は大人二人が並んで歩けるほどだ。この建物は(とう)とつながっているようだと分かった。小舟から確認できたものの一つに間違いないだろう。

「少し待っていてくれないか。」
 エミリオは仲間たちを振り返って言い、その階段を上ろうとする。
「おい、一人は危険だ。俺も ―― 。」
「大丈夫だ。」
 ギルがすぐに同行しようとしたが、エミリオのその声に恐れはなかった。
 確かに宮殿の中ならば(わな)の心配もないだろうと踏んで、ギルも納得した。

 エミリオは平然とした顔で、一段一段足をかけていった。相変わらず気分は優れないままだが、何かがこの先に潜んでいるという予感はなかった。警戒しなければならないのは、ここではない・・・。

 螺旋階段の(じく)を成す右手の壁には、蝋燭(ろうそく)を立てる(くぼ)みと、獅子(しし)の頭部の浮き彫りが交互にしつらえられていた。また、左には小さなアーチの採光窓が設けられ、そこから薄暗い外の光が射し込んでいる。

 やがて、空が見えた。少しは晴れたようだが、依然として灰色の雲が広がっている。風はなく、生温(なまぬる)い外気だけを肌に感じた。
 見渡すと、ここはやはり、例の離宮の塔の上らしい。そこからは、彼方(かなた)に青い山脈と、近くにも低い山の連なりや緑の森を望むことができた。ニルスの町へ入る時に越えてきた山である。それから視線を転じて、小舟を泊めた場所を見つけると、身を乗り出して真下を確認した。水面と接している。そこに小舟を出入りさせていたらしい水路があると分かった。

 エミリオはくるりと爪先を変えて、今度は島の中を眺めた。

 目安で距離が測れるほど小さな島で、雑木林が青々と繁茂(はんも)している。しかしそれは、長い年月を誰の手入れも受けずに経てきたせいと思われ、本来はこの島全体が一つの御殿となっているようだ。ここはその片隅(かたすみ)で、主宮殿は中央に(たたず)んでいる。同じ塔がほかに三つ見受けられ、中心にあるその主宮殿の回廊までを、長い渡り廊下が対角線状に延びてつないでいる。全体としては幾何学(きかがく)的な造りであった。

 木々の葉もざわめかず、完全に静止したこの小島を、不気味な静寂と、何かぞっとさせられる張り詰めた空気が覆っていた。
 この密集している樹木の中にも、魔物は(ひそ)み、(うごめ)いているのだろうか・・・。エミリオは一帯の外観をつかんでから、仲間たちのもとへ戻った。

 一行は、いよいよ主宮殿へと向かうことのできる重い扉を引き開けた。エミリオは先ほど見て知っていたが、目の前に、屋根と柱だけの長い渡り廊下が延びている。そこを通過すると、次は広い回廊に出る。至るところに蜘蛛(くも)の巣が張っていたり、(ほこり)がつららのように垂れ下がっていても、建物自体の造りと質の良さには、エミリオやギルが感嘆(かんたん)の吐息を漏らすほど。天井には大聖堂の身廊(しんろう)を思わせる見事な尖頭(せんとう)アーチが連続しており、そして窓際には、柱頭(ちゅうとう)葉飾(はかざ)りをあしらった円柱が並んでいる。それらは彫像をのせる台座で、今度は女神像だけでなく、太陽神や海神といった様々な石像が、威厳あふれる(たたず)まいで見下ろしてくる。そこはまるで城内へと迎え入れる、正門の前に()けられた石橋のよう。大きな窓が並んでいるおかげで、薄暗くても館内の様相は見て取れた。

「立派に形をとどめているところを見ると、古代の建物の中でもさすがに堅牢(けんろう)に造られたらしいな。」
 ギルが言った。

 一行は、この豪壮な回廊を慎重にたどって、いよいよ中心の主宮殿へ。そこへと通じる狭廊を抜けて行き、続いて、ひっそりとした扉の列が並ぶ主宮殿の広い廊下を、しばらくは黙々と歩き続けた。





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