ファンレター
97話
12の、相手の言い分が間違っていても指摘しない。「そういう事ですか」と心から認める。
これが、一番難しいと感じています。
仕事なんかで、よく体験したことで、それぞれに(自分の仕事なり考え方が)「正しい」とするところがあって、そこでよく衝突します。
その相手の「正しさ」が、気に食わないわけです。
で、なかなか、心からなんか、ゼッタイ認めたくない、となります。
正しさ、正義は善と繋がってしまって、「これが良かれ」と思うと自動的に絶対化になって、もう相手を認めたくなくなります。
いい加減=良い加減、が、よい、と分かっていても、これが、なかなか。
とりとめないコメントですみません。
返信(1)
読んでいただいて、本当にうれしいです。今日がまたいい1日になりそうです。
会社時代は、仕事についても社会の出来事についても、自分なりの考え方や意見を持つようにしていました。
自分を認めてもらいたかったんでしょうね。俺は正しいぞという自意識が強すぎました。
そういう自意識が、どうしても会話の中で出てしまいます。最後は本能的な自我が出てしまいます。
理屈っぽい変わり者と言われ、だんだん相手にされなくなってしまいました。
どんな考え方だって、みんな仕入れた知識の集大成なのに、自分の意見と勘違いし使っていました。
まわりから「カミソリみたいだ」といわれても、「頭が切れる男」と思い喜んでいました。
実は「切れやすい人」と馬鹿にされていたんですね。笑ってしまいます。
自尊心という癌にかかっていたのです。今だって基本的には変わりありません。
「自尊心」は心の中にしまい。今は「他尊心」で暮らしています。
これが本来の人間の姿のような気がしています。今は大した悩みはありません。
そうしなければ、ストレスや失望で、今があるかどうか疑問です。
かめさんの作品ずいぶん多いですね。少しづつ読んでみます。
会社時代は、仕事についても社会の出来事についても、自分なりの考え方や意見を持つようにしていました。
自分を認めてもらいたかったんでしょうね。俺は正しいぞという自意識が強すぎました。
そういう自意識が、どうしても会話の中で出てしまいます。最後は本能的な自我が出てしまいます。
理屈っぽい変わり者と言われ、だんだん相手にされなくなってしまいました。
どんな考え方だって、みんな仕入れた知識の集大成なのに、自分の意見と勘違いし使っていました。
まわりから「カミソリみたいだ」といわれても、「頭が切れる男」と思い喜んでいました。
実は「切れやすい人」と馬鹿にされていたんですね。笑ってしまいます。
自尊心という癌にかかっていたのです。今だって基本的には変わりありません。
「自尊心」は心の中にしまい。今は「他尊心」で暮らしています。
これが本来の人間の姿のような気がしています。今は大した悩みはありません。
そうしなければ、ストレスや失望で、今があるかどうか疑問です。
かめさんの作品ずいぶん多いですね。少しづつ読んでみます。