【ブックレビュー】ヘタな大人小説より世界名作児童文学!

[創作論・評論]

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35件のファンレター

“読書の秋”と言いますが、実は読書に一番向いているのは、子供時代の夏休みなのではないでしょうか?
コロナ禍で引き籠り生活を送らざるを得ない「今」、もう一度あの頃に戻って、かつて読み耽った世界名作児童文学の世界を再訪してみたら――
そこには、意外な発見が待っているかもしれません……。

ファンレター

ハイジ

南ノさん、おやさしいお心遣いのお返事をありがとうございました! 心に染み入りました。
アニメ版の「ハイジ」に対する「朝目覚めた瞬間からハイテンション」に笑ってしまいました^^ わたしも10年ほど前にハイジのアニメ版を観まして、原作も読みました。わたしはアニメよりも原作の方がずっと感動しましたよ!
ハイジの美点として原作で強調されるのは、利発であることです。ハイジの利発さが作品冒頭から描かれているから、おじいさんがハイジを教会にも学校にも行かせず、学校に行かせるよう説得に来た牧師を拒否する場面がより際立っています。クララの祖母ゼーゼマン夫人は、ハイジに祈ることを教え、挿絵つきの聖書物語をプレゼントしました。読み書きを覚えようとしなかったハイジは、聖書の「羊飼と羊の絵」のお話を読みたいという気持ちから、持ち前の利発さで、あっという間に読めるようになります。これが聖書の「放蕩息子の帰還」のたとえ話なんです。ハイジは「放蕩息子」と自分を重ねて、いつかアルプスへ帰っておじいさんに迎え入れられることを願っていました。ついに帰国が許され、山小屋に向かって登っている時に美しい夕日を見て、心から神さまに感謝をささげます。ヨハンナ・シュピリは、ハイジが信仰を獲得する過程を、子供の目線に立って、丁寧に描き出しているんです。戻ってきたハイジはおじいさんに「放蕩息子」の話を読み聞かせ、おじいさんはその夜に涙を流し、神に立ち返るのです。翌朝、おじいさんが決心して、ハイジとともに礼拝に出席し、牧師や村人たちから再び受け入れられる場面は作品全体で一番感動的に描かれています。ハイジの信仰獲得の物語であるともに、子供の素朴な信仰心による、おじいさんの信仰への復帰、共同体への復帰の物語だと思います。もともとはここまでで完結した作品で、クララと医師がアルプスにやってくる話は続編になります。
アニメ版では、ハイジの信仰獲得とおじいさんの社会復帰という最重要テーマが完全に省かれています。ゼーゼマン夫人から信仰を教えられることがなく、聖書物語もプレゼントされないので、おじいさんに「放蕩息子」の物語を読み聞かせるエピソードも無く、二人で教会に行く場面も無いんです。エピソード改変による不自然さや不足分を補う創作エピソードが非常に多く加えられています。そのため、原作ハイジの利発さや愛情深さ、素朴な信仰心という美点がアニメでは薄れてしまっています。アニメのハイジは明るく元気なことだけが取り柄で、思慮の浅さや、分別の無さが目立ち、原作と比べてずいぶんとわがままな子になってしまいました。アニメ版はキャラクターと舞台設定だけ使った二次創作と言えるのではないかと思います。
『やかまし村』のリーサは、ほし草にそのまま寝ころんでいたのでしょうか。何か敷物はしかなかったのかな…。それならチクチクしそうです。原作ハイジでは、分厚い布をシーツのかわりに敷いたからチクチクしない、という描写がありました。かけ布団のかわりに大きな麻袋をかぶっていました。ネズの枝をベッドに敷いてもぐっすり眠れるアンナなら、干し草の上に直に寝てもぐっすり眠れそうだなと思いました^^
そうそう、ヤギミルクはおいしいのもありますよ! わたしが前に飲んだグラスフェッドヤギミルク(しあわせ乳業)はさっぱりしてとても飲みやすかったです。でもお高いんですよ。その牧場直営の菓子店ではヤギミルクのチーズケーキやプリンもあり、どれも人気です。
引き続き楽しみにしていますね!

返信(2)

なるほど~!
mikaさん、ありがとうございます!実は私、アニメの「ハイジ」を子供の頃に見て、感動しつつも、ちょっと腑に落ちないところもあったんです。アニメ版では、山小屋のおじいさんを善として描いていて、都会のクララの家の人たちが悪として描かれるわけですが、よく考えてみると、あのおじいさんも社会性のない、かなりの変人だし、あのままハイジが山にいたら、それこそ山羊飼いのペーターと同じ、文字も読めない子だったんですよね。「山小屋で毎日楽しそうだけど、ハイジこのままでいいのかなあ」というのは、実は当時、子供心にも感じていたことでした。
原作も読んだ記憶はあるのですが、あまり覚えていないのは、アニメのイメージが強すぎて、mikaさんが書いて下さったハイジの「信仰獲得」やおじいさんの「共同体復帰」というテーマの重要性が理解できなかったからだったのだと気づきました。(アニメだと、最初からおじいさんはヒーロー的に描かれてしまっていますから、おじいさんが変わる必要性が理解できなかったんですね)
つまり、アニメ版はキリスト教を知らない日本の子供にわかり易くするために、原作の最も重要な部分をはぶいてしまった。そのために大ヒット作品になったけれど、でも、それはやっぱり「二次創作」に過ぎないんだというご指摘は正に目からウロコで、同時にアニメ版に感じていた不合理性や腑に落ちないところが氷解した気がしました!(*^^*)

『やかまし村』のほし草小屋で寝るシーンは、描写的にも挿絵的にも、そのまま干し草の上に寝転んで、身体の上に「馬の毛布」を掛けたという状態だったようです。「馬の毛布」はたぶん、「馬用の毛布」の意味だと思うんですが、ずいぶんワイルドですよね!(笑)
ヤギミルク、おいしいのもあるんですか! あの特有の臭いをうまく取り除いてあるんしょうか。スイスでは牛が高価だから、代わりにヤギを飼うようになったと聞いたことがあるのですが、逆に日本では高級品になってしまうところが面白いですね^^
レター、本当にありがとうございました!
そうですよね、「ハイジこのままでいいのかなあ」って子供でも思いますよね! 原作のおじいさんは、もともと裕福な生まれで、ちゃんとした教育も受けている人なんです。だから社会復帰した後(原作の続編)は経験豊かで思慮深い人物として描かれ、ゼーゼマン夫人から信頼されてクララの治療を助けたり、フランクフルトからアルプスに来た医者と友情を深めるのですね。それで娘を亡くしたばかりだった医者は、ハイジを養女にすることに決め、おじいさんはハイジの将来を託して医者と堅い握手を交わす結末です。
一方アニメ版だと、おじいさんは冬の間にハイジを学校に行かせることにしますが、最後まで共同体との和解は描かれません。医者がハイジを養女にする結末もないです。アニメの監督や脚本家は、原作の結末が嫌いだったのでしょうね。でも、おじいさんは必ずハイジよりも先に死にます。おじいさんの死後、何の後ろ盾もない孤児がひとりで生きていくのは大変な労苦です。医者の養女になるという結末は、作者が用意できる最上のエンドだったのではないかと思います。