あの夏休みよ、もう一度!――序に代えて
文字数 1,659文字
毎日暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
――と、今回は暑中見舞いのように始めてみました。特に意味はありません。
日本の夏も殺人的な暑さのようですが、台湾の夏も壊滅的な暑さです。暑いのは日本だけではないので、日本の皆さまご安心ください。何を安心するのかよくわかりませんが、とにかく、今の時代、国の違いを越えた連帯感が大事ですからね!
とは言うものの、コロナ禍で引き籠っているせいで、外界とはちょっと隔絶された感じもあります。硝子ごしに金魚鉢の外を覗いている金魚の気持ちがわかりかけてきた今日この頃です。
何しろ、例の日本提供のAZコロナワクチンを接種しに、歩いて近所の診療所へ行ったのが最近一番の遠出だという、いくらわたしが自他共に認める怠け者とは言え、ここまで非活動的な日々を送っているのは、さすがに人生初の経験です。
ちなみに、ワクチン接種の当日、『台灣懶惰日記』を書いていた時は何ともなくて、「今のところ副反応はない」とか得意そうに書いていたのですが、その夜から腕が痛くてあがらなくなり、翌日は一日中微熱(37.8度くらい)と倦怠感に悩まされました。具合が悪いのだから、もうここは公明正大にだらだらしようと、ずっとベッドの中にいたのですが、その時読んでいたのが、リンドグレーンの『長くつ下のピッピ』でした。
最近のわたしは、紙の本としては、昔読んだ世界児童文学を読み直すことに没頭しています。先の見えないコロナ禍の日々のせいで、気分がすっかり後ろ向きということもあるのかもしれませんが、もうひとつ、今が夏であることと大いに関係があると思うのです。
「NOVEL DAYS」におられる方は読書家の方が多いと思うのでお訊きしたいのですが、よく“読書の秋”と言いますよね? でも、本当に一年の中で最も読書量が増えるのは秋なのでしょうか。
読書と聞いてわたしが思い浮かべるのは、むしろ夏です。特に子供の頃の夏休み。人生に夏休みがあったからこそ、かなりぶ厚い世界名作児童文学だって、次々に読破できたのです。
わたしは思い出します。
ラジオ体操から帰ってきて、朝ごはんを食べ、ちょっと宿題をしてから市民プールでお昼まで遊び、午後はひたすら本を読んで過ごしたあの夏休みを。
乾き切らない髪の、ひんやりした感覚。皮膚に残るプールの匂い。デザートに食べた西瓜の歯ざわりと、ほのかに漂う蚊取り線香の煙。そんなものと一緒に、わたしはあの夏休みの午後を思い出します。
泳いだ後の快い疲れで、次第に瞼が重くなり、本の世界から、いつの間にか夢の世界へ移動してしまうこともありました。考えてみれば、それはうっとりするほど幸せな午後の過ごし方だったような気がします。
ところが、わたしは――いえ、わたしたちは、と言うべきでしょう、悲しいことにそんな夏休みをだんだん忘れていってしまうのです。
それはそれで仕方のないことかもしれません。誰だって、口に糊 していくのは並大抵のことではありませんからね! かく言うわたしだって、怠け者は怠け者なりに忙 しない人生を送ってきました。ナントカ暇なしってやつです。
でも――
大人になることが、夏休みを忘れてしまうことだとしたら、ずいぶん寂しい話です。
夏休みと共に、あんなに大好きだった本のことまで忘れてしまうとしたら猶更です。
コロナ禍で過ごす二回目の夏、わたしはもう一度、子供の頃に読んだ本を読んでみようと思い立ちました。
それにしても、さすが名作! 読み直して改めて思ったのですが、現代のヘタな大人小説よりずーっと面白いです。
よろしかったら、あなたもぜひ仲間に加わって下さい!
好きな本について他の人と語り合えるというのは、人生の大きな楽しみではないでしょうか。
ただし、加わっていただくには、合言葉が必要です。
えっ? そんなものが要るのかって?
も・ち・ろ・ん。
秘密基地に入るには、合言葉が必要に決まっているではないですか。
さあ、合言葉はこれです――
あの夏休みよ、もう一度!
――と、今回は暑中見舞いのように始めてみました。特に意味はありません。
日本の夏も殺人的な暑さのようですが、台湾の夏も壊滅的な暑さです。暑いのは日本だけではないので、日本の皆さまご安心ください。何を安心するのかよくわかりませんが、とにかく、今の時代、国の違いを越えた連帯感が大事ですからね!
とは言うものの、コロナ禍で引き籠っているせいで、外界とはちょっと隔絶された感じもあります。硝子ごしに金魚鉢の外を覗いている金魚の気持ちがわかりかけてきた今日この頃です。
何しろ、例の日本提供のAZコロナワクチンを接種しに、歩いて近所の診療所へ行ったのが最近一番の遠出だという、いくらわたしが自他共に認める怠け者とは言え、ここまで非活動的な日々を送っているのは、さすがに人生初の経験です。
ちなみに、ワクチン接種の当日、『台灣懶惰日記』を書いていた時は何ともなくて、「今のところ副反応はない」とか得意そうに書いていたのですが、その夜から腕が痛くてあがらなくなり、翌日は一日中微熱(37.8度くらい)と倦怠感に悩まされました。具合が悪いのだから、もうここは公明正大にだらだらしようと、ずっとベッドの中にいたのですが、その時読んでいたのが、リンドグレーンの『長くつ下のピッピ』でした。
最近のわたしは、紙の本としては、昔読んだ世界児童文学を読み直すことに没頭しています。先の見えないコロナ禍の日々のせいで、気分がすっかり後ろ向きということもあるのかもしれませんが、もうひとつ、今が夏であることと大いに関係があると思うのです。
「NOVEL DAYS」におられる方は読書家の方が多いと思うのでお訊きしたいのですが、よく“読書の秋”と言いますよね? でも、本当に一年の中で最も読書量が増えるのは秋なのでしょうか。
読書と聞いてわたしが思い浮かべるのは、むしろ夏です。特に子供の頃の夏休み。人生に夏休みがあったからこそ、かなりぶ厚い世界名作児童文学だって、次々に読破できたのです。
わたしは思い出します。
ラジオ体操から帰ってきて、朝ごはんを食べ、ちょっと宿題をしてから市民プールでお昼まで遊び、午後はひたすら本を読んで過ごしたあの夏休みを。
乾き切らない髪の、ひんやりした感覚。皮膚に残るプールの匂い。デザートに食べた西瓜の歯ざわりと、ほのかに漂う蚊取り線香の煙。そんなものと一緒に、わたしはあの夏休みの午後を思い出します。
泳いだ後の快い疲れで、次第に瞼が重くなり、本の世界から、いつの間にか夢の世界へ移動してしまうこともありました。考えてみれば、それはうっとりするほど幸せな午後の過ごし方だったような気がします。
ところが、わたしは――いえ、わたしたちは、と言うべきでしょう、悲しいことにそんな夏休みをだんだん忘れていってしまうのです。
それはそれで仕方のないことかもしれません。誰だって、口に
でも――
大人になることが、夏休みを忘れてしまうことだとしたら、ずいぶん寂しい話です。
夏休みと共に、あんなに大好きだった本のことまで忘れてしまうとしたら猶更です。
コロナ禍で過ごす二回目の夏、わたしはもう一度、子供の頃に読んだ本を読んでみようと思い立ちました。
それにしても、さすが名作! 読み直して改めて思ったのですが、現代のヘタな大人小説よりずーっと面白いです。
よろしかったら、あなたもぜひ仲間に加わって下さい!
好きな本について他の人と語り合えるというのは、人生の大きな楽しみではないでしょうか。
ただし、加わっていただくには、合言葉が必要です。
えっ? そんなものが要るのかって?
も・ち・ろ・ん。
秘密基地に入るには、合言葉が必要に決まっているではないですか。
さあ、合言葉はこれです――
あの夏休みよ、もう一度!