『長くつ下のピッピ』は最初出版社に断られた作品だった?!

文字数 1,615文字

 スウェーデンの作家・リンドグレーンが書いた最初の児童文学作品『長くつ下のピッピ』※1は、1945年に出版されました。
 日本的に言えば、敗戦の年ですね。なんともう76年間読まれ続けているという驚異的ロングセラーです。ちなみに、日本語訳が岩波書店から出版されたのは1964年のことでした。

 もっとも、前回取り上げた世界名作児童文学は全て超ロングセラーです。
 出版年をあげてみましょう。『若草物語』が1868年、『小公女』が1905年、『赤毛のアン』は1908年、『秘密の花園』が1911年、『あしながおじさん』が1912年です。
『若草物語』が出版された1868年って、日本の年号で言えば明治元年ですよ! びっくりですよね!
 これらの“先輩”たちから見ると、われらがピッピはまだまだ若造に見えてしまうという……恐るべし、世界名作児童文学の世界!
 ああ、そうそう、『ふたりのロッテ』の出版年は1949年で、この中では一番“若い”――と言っても、既に72年前の作品です。

 さて、錚々たる世界名作児童文学の中にあっては比較的“新しい”とは言え、76年間も読まれ続けてきた『長くつ下のピッピ』ですが、訳者の大塚勇三氏の“訳者のことば”に拠れば、「あちこちでことわられ、1945年にやっと出版された」作品なのだそうです。
 出版社に見る眼がなかったのね、と言ってしまえばそれまでですが、たぶん、そこにはなかなか興味深い問題があるはずなんです。

 正直に告白しますと、子供の頃、わたしが一番好きだったリンドグレーン作品は、実は『長くつ下のピッピ』シリーズではなく、『やかまし村の子どもたち』シリーズでした。ピッピはいろいろな意味で型破りすぎて、ちょっとついていけない感じがしたのです。

 型破りすぎて子供がついていけない物語⁈

 これって、すごいことですよね。だってそうでしょう、皆さん、昔好きだった作品を思い出して下さい。児童文学に限りません。漫画でも、テレビアニメでも、何でもOKです。
 魔法だとか妖精だとか変身だとか、動物がしゃべるなんてのは当たり前、何でもありの世界だったはずです。わたしは不思議に思うのですが、子供はどうして現実にはない“魔法”なんてものを、あんなにすんなりと受け入れてしまえるのでしょうか。
「ママ、これ何?」
「それは“魔法”というものよ」
 そんな会話を皆さんは、母親と交わしましたか?
 少なくとも、わたしはありませんでした。
 子供というのは、誰に教えられたわけでもないのに、ごく自然にこんなトンデモ世界を受け入れてしまえる生き物なのではないでしょうか。

『長くつ下のピッピ』には、魔法も妖精も出てきません。ピッピはサルのニルソン氏と一頭の馬と一緒に暮らしていますが、あくまでサルと馬であって、しゃべったりしません。
 ところがです! カエルにキスしたら魔法が解けて王子さまになりました、なあんていう話を、何の抵抗もなく受け入れられる子供が、ピッピの世界についていけないというのはどういうことなのでしょうか?
 おそらく、それが当初出版社に断られた理由でもあったのでしょう。

 子供がついていけない児童文学⁈

 なんという矛盾。
 それでも、紆余曲折の末、『長くつ下のピッピ』は出版されます。
「しかし出版されると、この作品はスウェーデンの子どもたちを夢中にさせて、大好評をおさめました」と大塚勇三氏は書いています。実際、この本の成功によって、リンドグレーンはスウェーデンの、いや、世界的に有名な児童文学作家となっていくのです。

 子どもがついていけないほど型破りな作品なのに、一旦出版されるや大好評。これも矛盾ですよね。
 
 いったいどういうことなのでしょうか?
 謎に満ちた『長くつ下のピッピ』という作品。

 その問題を、次回から具体的に考えていきたいと思います。 


※1 大塚勇三訳・リンドグレーン『長くつ下のピッピ』、岩波少年文庫、1964年。
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