「うまくやること」と「うまくできないこと」の間(一)
文字数 3,034文字
『ピッピ』の物語で不思議なのは、ピッピがすごく「うまくやる」時と、まるで「うまくできない」時があることです。
「うまくやる」時にはすばらしいが、「うまくできない」時にはとことんダメ。そんな振幅の大きさが、子供の読者にとって、ピッピがよく理解できないところであり、感情移入しにくい原因のひとつでもある気がします。
前回、ピッピは隣の家のふたりの子――トミー、アンニカを味方にすることに成功したと書きました。
子供の頃にこの本を読んだ記憶では、トミーとアンニカは兄妹か、姉弟だと思っていました。そうかもしれないのですが、今回改めて読んでみると、書き方が
ごたごた荘(ピッピの家)のとなりには、もうひとつべつな庭があって、もうひとつべつな家がありました。この家には、おかあさんとおとうさん、それと小さな、いい子がふたり、……男の子と女の子とが、住んでいました。男の子の名はトミー、女の子の名はアンニカです。
ちょっと変な書き方だと思いませんか? これではトミーとアンニカの関係性がよくわかりません。普通は、兄妹だとか姉弟だとか、あるいは、ふたごだとか説明するものではないでしょうか。また、ピッピの家の説明の時と同じように、先ず「庭があって」、それから「家」があるという普通と反対の書き方になっていること、「おとうさんとおかあさん」でなく、「おかあさんとおとうさん」になっているところにも注目したいです。
両親がいない身の上なのに富豪というピッピの設定は、世界名作児童文学の“お決まり”に反旗を翻していると前回書きましたが、ピッピを取り巻く世界の描き方もまた、世の“常識”をさりげなく裏切っているように見えるのです。
さて、トミーとアンニカに戻りましょう。ポイントは、トミーとアンニカの属性が「いい子」であることです。
ここで言う「いい子」というのは、具体的にどういう子なのでしょうか。
トミーは、つめをかんだりしませんでしたし、おかあさんにいわれたことは、いつでもしました。アンニカは、じぶんのおもいどおりにならなくても、さわいだりしませんでしたし、いつでも、アイロンのよくきいた、小さな木綿の服をとてもきちんと着ていて、その服をよごさないように気をつけていました。
うーん、確かに、いい子君と、いい子ちゃんです。でも、はっきり言って、かなり退屈な連中ではないでしょうか。少なくとも、物語の登場人物としては!
ところが、ピッピはこのふたりを非常に大事にします。そのやり方が、どうもやや過剰な印象を与えるのです。
トミーとアンニカに会った日、ピッピはふたりを自分の家に招き、前に述べたようにベランダの馬を見せて、自分の魅力を見せつけますが、それだけではありません。パンケーキを焼いてごちそうし、更にプレゼントを贈ります。トミーには、「きらきら光る、真珠貝の柄がついたナイフ」。アンニカには、「小さな箱で、そのふたは、いちめんに、うすもも色の貝がらがちりばめてありました。そして、箱の中には、緑いろの宝石をはめた、ゆびわがはいっていました」。
なんだか、高価そうですよね! とても九歳の子供が友達に贈る物には見えません。しかも、これだけではないのです。ピッピはことあるごとに、トミーとアンニカにプレゼントを贈るのです。
ある日、ピッピはトミーとアンニカに、「
ところが、実際に見つかったのは「さびだらけのブリキ箱」と、「からの糸まき」だけ。ピッピはそれでも、「すごい
ピッピはその後、ブリキ箱をかぶって歩いて、「針金の垣根におなかをひっかけて」転倒するなど、身体を張ったギャグを見せるのですが、最後にごたごた荘の庭に戻ってきた後、トミーに、「ねえ、トミー、どうしてあの古い木の中をのぞいてみないの?」と言います。しぶしぶ木の穴に腕を突っ込んでみたトミーは驚きます。その手には、「革表紙がついた、きれいなノートブックがにぎられていました。ノートには、鉛筆さしもついていて、そこには小さい銀のシャープペンシルがさしてあります」。
続いてピッピは、アンニカに言います。「どうして、あの古い切株のなかをさぐってみないの?」。アンニカが言われた通りにすると、切株の中には「赤い珊瑚のネックレス」が入っていました。これらのプレゼントを仕込んでおいたのは誰なのか、それは言うまでもないでしょう。
他にも、ピッピが自分の誕生日パーティーにふたりを招待するエピソードがあるのですが、誕生日プレゼントとしてオルゴールをもらったピッピは大喜びし、その場でふたりにお返しのプレゼントをします。
「でもね、きょうは、わたしたちの誕生日じゃないもの。」と言うふたりに、ピッピはこう言います。
「そうよ。でも、きょうは、わたしの誕生日よ。だから、わたしが、あんたたちにプレゼントをあげても、いいわけでしょ? それとも、そんなことしちゃいけないって、教科書にかいてある?(後略)」
しかも、お返しのプレゼントは、トミーには「象牙細工の、小さな笛」。アンニカには、「チョウの形をした、うつくしいブローチ」です。どうもお返しのプレゼントの方が、ピッピがもらったプレゼントより高価そうです。
ピッピは、トミーとアンニカと「うまくやっていく」ために、涙ぐましいほどの努力をしていると言えます。とんでもない怪力という特殊能力、更にトランクいっぱいの金貨という財力を持つピッピが、ただ「いい子」なだけの、平凡極まりないトミーとアンニカとの友達関係を維持するために、なぜ、ここまでしなければいけないのでしょうか。
それは、ピッピが人間関係の上で自信のない子だからです。
ピッピは、自分が世間一般の基準から見て、「きみょうな子」であることを知っています。面白い子と変な子は、実は紙一重です。ふたりがいつか自分に愛想をつかして離れていってしまうことを、ピッピは非常に恐れている。だから、自分から次々に楽しそうな遊びを提案し、ホラ話のようなものまでして、必死に相手の気を引こうとするのではないでしょうか。それでも、思うような結果にならず、トミーが「うたがうような目つき」をした時、ピッピは内心大いに焦ったはずなのです。その後の身体を張ったギャグが、明らかに空回りしていることからも、それはわかります。
そして、最後は高価なプレゼントを贈ることまでして、懸命にふたりの
こうした、人間関係における極端な自信のなさは、ADHDなど、発達障害の子供に見られる傾向のひとつに、よく似ているような気がします。
ただ、ピッピがいつも自信がなく、おどおどしているかと言えば、それも違います。場合によっては、自信たっぷりに「うまくやる」こともあるのです。ピッピが自信を持てるのはどんな場合、どんな状況なのでしょうか。
それを、次回見てみたいと思います。
「うまくやる」時にはすばらしいが、「うまくできない」時にはとことんダメ。そんな振幅の大きさが、子供の読者にとって、ピッピがよく理解できないところであり、感情移入しにくい原因のひとつでもある気がします。
前回、ピッピは隣の家のふたりの子――トミー、アンニカを味方にすることに成功したと書きました。
子供の頃にこの本を読んだ記憶では、トミーとアンニカは兄妹か、姉弟だと思っていました。そうかもしれないのですが、今回改めて読んでみると、書き方が
微妙であること
に気づきました。ごたごた荘(ピッピの家)のとなりには、もうひとつべつな庭があって、もうひとつべつな家がありました。この家には、おかあさんとおとうさん、それと小さな、いい子がふたり、……男の子と女の子とが、住んでいました。男の子の名はトミー、女の子の名はアンニカです。
ちょっと変な書き方だと思いませんか? これではトミーとアンニカの関係性がよくわかりません。普通は、兄妹だとか姉弟だとか、あるいは、ふたごだとか説明するものではないでしょうか。また、ピッピの家の説明の時と同じように、先ず「庭があって」、それから「家」があるという普通と反対の書き方になっていること、「おとうさんとおかあさん」でなく、「おかあさんとおとうさん」になっているところにも注目したいです。
両親がいない身の上なのに富豪というピッピの設定は、世界名作児童文学の“お決まり”に反旗を翻していると前回書きましたが、ピッピを取り巻く世界の描き方もまた、世の“常識”をさりげなく裏切っているように見えるのです。
さて、トミーとアンニカに戻りましょう。ポイントは、トミーとアンニカの属性が「いい子」であることです。
ここで言う「いい子」というのは、具体的にどういう子なのでしょうか。
トミーは、つめをかんだりしませんでしたし、おかあさんにいわれたことは、いつでもしました。アンニカは、じぶんのおもいどおりにならなくても、さわいだりしませんでしたし、いつでも、アイロンのよくきいた、小さな木綿の服をとてもきちんと着ていて、その服をよごさないように気をつけていました。
うーん、確かに、いい子君と、いい子ちゃんです。でも、はっきり言って、かなり退屈な連中ではないでしょうか。少なくとも、物語の登場人物としては!
ところが、ピッピはこのふたりを非常に大事にします。そのやり方が、どうもやや過剰な印象を与えるのです。
トミーとアンニカに会った日、ピッピはふたりを自分の家に招き、前に述べたようにベランダの馬を見せて、自分の魅力を見せつけますが、それだけではありません。パンケーキを焼いてごちそうし、更にプレゼントを贈ります。トミーには、「きらきら光る、真珠貝の柄がついたナイフ」。アンニカには、「小さな箱で、そのふたは、いちめんに、うすもも色の貝がらがちりばめてありました。そして、箱の中には、緑いろの宝石をはめた、ゆびわがはいっていました」。
なんだか、高価そうですよね! とても九歳の子供が友達に贈る物には見えません。しかも、これだけではないのです。ピッピはことあるごとに、トミーとアンニカにプレゼントを贈るのです。
ある日、ピッピはトミーとアンニカに、「
もの
発見家」遊びをしようと提案します。どういう遊びかと言うと、あちこち外を歩き回って、落ちているものを拾うというだけなのですが、ピッピは「黄金のかたまりとか、ダチョウのはねとか(後略)」が見つかるかもしれないと言って、ふたりをその気にさせます。ところが、実際に見つかったのは「さびだらけのブリキ箱」と、「からの糸まき」だけ。ピッピはそれでも、「すごい
えもの
! すごいえもの
よ!」と大はしゃぎして見せるのですが、トミーは「ちょっとうたがうような目つき」をします。ピッピはその後、ブリキ箱をかぶって歩いて、「針金の垣根におなかをひっかけて」転倒するなど、身体を張ったギャグを見せるのですが、最後にごたごた荘の庭に戻ってきた後、トミーに、「ねえ、トミー、どうしてあの古い木の中をのぞいてみないの?」と言います。しぶしぶ木の穴に腕を突っ込んでみたトミーは驚きます。その手には、「革表紙がついた、きれいなノートブックがにぎられていました。ノートには、鉛筆さしもついていて、そこには小さい銀のシャープペンシルがさしてあります」。
続いてピッピは、アンニカに言います。「どうして、あの古い切株のなかをさぐってみないの?」。アンニカが言われた通りにすると、切株の中には「赤い珊瑚のネックレス」が入っていました。これらのプレゼントを仕込んでおいたのは誰なのか、それは言うまでもないでしょう。
他にも、ピッピが自分の誕生日パーティーにふたりを招待するエピソードがあるのですが、誕生日プレゼントとしてオルゴールをもらったピッピは大喜びし、その場でふたりにお返しのプレゼントをします。
「でもね、きょうは、わたしたちの誕生日じゃないもの。」と言うふたりに、ピッピはこう言います。
「そうよ。でも、きょうは、わたしの誕生日よ。だから、わたしが、あんたたちにプレゼントをあげても、いいわけでしょ? それとも、そんなことしちゃいけないって、教科書にかいてある?(後略)」
しかも、お返しのプレゼントは、トミーには「象牙細工の、小さな笛」。アンニカには、「チョウの形をした、うつくしいブローチ」です。どうもお返しのプレゼントの方が、ピッピがもらったプレゼントより高価そうです。
ピッピは、トミーとアンニカと「うまくやっていく」ために、涙ぐましいほどの努力をしていると言えます。とんでもない怪力という特殊能力、更にトランクいっぱいの金貨という財力を持つピッピが、ただ「いい子」なだけの、平凡極まりないトミーとアンニカとの友達関係を維持するために、なぜ、ここまでしなければいけないのでしょうか。
それは、ピッピが人間関係の上で自信のない子だからです。
ピッピは、自分が世間一般の基準から見て、「きみょうな子」であることを知っています。面白い子と変な子は、実は紙一重です。ふたりがいつか自分に愛想をつかして離れていってしまうことを、ピッピは非常に恐れている。だから、自分から次々に楽しそうな遊びを提案し、ホラ話のようなものまでして、必死に相手の気を引こうとするのではないでしょうか。それでも、思うような結果にならず、トミーが「うたがうような目つき」をした時、ピッピは内心大いに焦ったはずなのです。その後の身体を張ったギャグが、明らかに空回りしていることからも、それはわかります。
そして、最後は高価なプレゼントを贈ることまでして、懸命にふたりの
ご機嫌を取ろう
とします。少なくとも、今回読み返したわたしの眼にはそう映ってしまい、切なくてたまらなくなったのです。こうした、人間関係における極端な自信のなさは、ADHDなど、発達障害の子供に見られる傾向のひとつに、よく似ているような気がします。
ただ、ピッピがいつも自信がなく、おどおどしているかと言えば、それも違います。場合によっては、自信たっぷりに「うまくやる」こともあるのです。ピッピが自信を持てるのはどんな場合、どんな状況なのでしょうか。
それを、次回見てみたいと思います。