イチイの種には毒がある

[日記・個人ブログ]

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9件のファンレター

何か思い付いた時に、取り止めもなく書き殴るだけの雑記帳です。
毒を吐くことが多いので、解毒剤を片手にお楽しみいただけますと幸いです。

過去に書いたエッセイなどもアップするかも。

ファンレター

しびれました!!

櫟さんの文章は「つよつよ」で、「読ませる」文章ですよね。毒で急性中毒の場合、錯乱した暴漢が暴れ出すこともあるから忌避する向きもあるけど、文章で中毒性と言えば褒め言葉です。櫟さんの場合は、毒って言えば毒なんだけど、でも、よくいるタイプの「自分は毒舌」と自称するひとたちとは違う。その理由のひとつ、櫟さんの「毒」が「おいしい」のは、いろんな角度から観ることが出来る人物で、それを文章の中に埋め込める力も持っているし実際に埋め込み、いろんな角度のうちでどの「角度」の「話」をメインに持ってくるか、というときに鋭い角度で刺してくるところです(刺す、は文脈上で言うと毒針、と表現出来る)。普通に考えたらリスキーだけど、その作家性に僕は(毒という意味でも)しびれる。毒の扱いが難しいのって、繰り返しになるけど素材の見極めも調合も、本来なら多角的に観れる人物でないとならないし、それを埋め込める文章術を持っていないとならなくて、第二話の言葉でいうと「実社会での人間関係では、「因」よりもまずは「果」が判断基準になるのです。なので、人に講釈垂れるなら、先ずは自らが結果を示すべきなのです」という、その、講釈をたれる基準を満たしていないとならない、ということで。櫟さんの文章はそれをクリアしているから扱っても問題がない。ところが、「基準を満たさない」送り手が毒舌を自称したり、逆に受け手の方がこの繊細な調合が読み取れず暴れ出したりすることがあって、そういう送り手受け手がめちゃくちゃ多く、そういった「見極めの出来ないひと」は基準を満たしているひとと満たさないひとを一緒くたにする事態って多くて。そこで、リスキーだな、と僕は思う部分がある。なにしろ、毒を持った生物は自然界でも目立つのが通常ですからね、「わかるひと」にも「わからないひと」にも、とにかく目立つ。だけど、そこまで含めた上で、「本物」の、その〈因〉に裏打ちされた〈果〉が格好良い。僕も櫟さんの文章を格好良いと思うひとりです。しびれました。

返信(1)

るるせさん、熱いレターをありがとうございます!
今回の「因果」は、少し前に書いたものの、公開を迷っていたものです。
その理由は、るるせさんも触れておられますが、書いてあることが自分に降りかかってくるブーメランになっているのですよね(汗)
るるせさんは、「クリアしている」と仰ってくださっていますけど、自分ではなかなかそうも思っておらず……
結局のところ、「私」という「果」を見て、その講釈に説得力を持ってくださる人もいれば、お前の言うことなんて信用出来るか、という人もいるでしょうけど、どっちにしてもそれはそれで書いてあることは正しいというパラドックスになるのですよね。
我ながら、「あ、これすげぇかも!」ってことに気付いて、公開に踏み切りました(泣)

「毒」は、文芸に限らず、表現すること全てにとって、良いアクセントになると思います。
逆に言えば、少しの毒を含ませると、表現しやすくなりますよね。
でも、毒の強さと配合を間違えると、悲惨なことになると思います。
筒井康隆ぐらい、強めの毒を致死量ギリギリで配合出来ると楽しいでしょうけど、本当は全く無毒なピュアな話も、いつか……いや、多分私には無理かなぁ(~_~;)