統合失調症・三昧

[日記・個人ブログ]

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4件のファンレター

二十代の半ば、私大医学部在学中に統合失調症を発症し、急性期を経てからはや二十年。大学は中退し、幸運にも、基本的には社会で働かせてもらいながら生きてこれた。その間にあった様々な出来事などを振り返りつつ、妻と二人暮らす今の事や、未来に向けての何かを綴りたい。およそ二十年間、統合失調症者として(かりそめにも社会でもまれながら)生きてきたにんげんの呻きと哄笑をここで響かせたい。

ファンレター

退屈しない生き方

ADHDの特性
気が散るには
何かに没頭できない退屈が原因。

自分の興味に没頭するが
飽きてしまう気持ちが出てくる。

理解して分かったつもりになっているのかもしれないし
自分の限界を超えられないのかもしれない。

諦めてしまうことが早い。

退屈になりやすい体質といえる。

頭が良いなら尚更この傾向は高いのかもしれない。

貧乏ゆすりは退屈を紛らわせているのかもしれない。

退屈を長所に変えていく
特性として備えなきゃならない

自分の特性を愛する準備をしなきゃ
ならない。

他の人はADHDではないかもしれない。

自分特有の性質について

他者とは違う個性について

憎しみが出るのなら
誰か似てる誰かを
憎しみむのは

良くない。

退屈克服している人たちが存在する。

好きなことに打ち込んでいる人が存在する。

極楽にいる人もいる。

ただもっともっとその力が社会的な
活動お金になる活動と
結びついてないこと

それが哀れに思うが

本人が良しとするなら
それでよい。

退屈なまま生きるのは
何もしないのと似ている。

返信(1)

人生は、退屈を知ることから始まると思う。退屈なことが何かあって、退屈でない、心からワクワクウキウキする事もこの世にはあるのだと知った時、人は初めて行動に移れる。

退屈なものと、そうでないものとの境い目は、くっきり、はっきりとしていて、人が行動するのに十分な理由になる。

その行動が金を生むかどうかは、本人にとってはそこまで重要ではないのかもしれない。しかし生活は出来ねばならないので、その範囲内でやるのが良いのかもしれない。

退屈な大人になってしまった罪は、どんな地獄で償えるのだろうか?