戦時下であること

作者 かめ

[日記・個人ブログ]

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15件のファンレター

やっぱり、書こうと思った。

タイトルのこと…「戦時下であること」(2022.3.18~)→ 頂いたレターをきっかけに、「戦時下にて」(2022.5.24~)→ 「にて」は直截的と思われ、「戦時下であること」(2023.12.1~)

ファンレター

85話

かめさん、こんばんは。85話、いい話だなあ、と思いました。

外国語の翻訳文ということもあって、難しさはより引き立つのかもしれないとも思いますが、
分からん! と思いながら何度も読み返すような作業もやはり「思索」なのかなあ、と考えたりもします。
自省も含め、分かりやすいものへ流れ過ぎていて、良いところももちろん沢山あるし嬉しいのですが、
それでホントウに鍛えられているのか? 自分の糧になっているのか、というところですよね。
まあ、何言ってるのか分からんド下手な文章と紙一重なのかもしれませんが、
その場合との決定的な違いは中身、なんですかね。

大いに感じ入りました。
有り難うございました。

返信(1)

村山さん、こんばんは。
自分にはもったいないようなレター、どうもありがとうございます!
デンマーク語の翻訳、これ自体がかなり難しそうな気もします。どう見ても、ややこしいんです、笑。

椎名麟三の頃の翻訳は「ほんとにメチャクチャな訳だったけれど、それでも理解できた」みたいなことを椎名さん、言っていました。
「キルケゴールの哲学は難しくない。自分の心の中から出てくるものを書いているから、すなおに読める」とも…。
単純に、ぼくがバカなんだと思います、笑。

なんか今の時代、と、時代のせいではないけど、何でも早く片づけられてしまって、「分からん!」ものをあんまり追おうとしない空気を感じています。
わかり易いのは素晴らしいのですが、それだけでは、と、つい感じざるをえなくて。

ほんと、仰るとおり、本当に糧になっているのか、自分にチャンと貯蔵されているのか、というところなんです。
大江の文だって、「悪文」みたいに言われていたみたいだし…(これは意味が違うのかもしれませんが)

下手とか上手とか、うん、そういうのを超えた、何かいわゆる「ささる」ものが、まず自分にささったものを外へ出していく、その際の丁寧さとか分かり易さ、がいちばん大事なところなんじゃないかと僕には思えます。

いやー、ほんとにいつもありがとうございます。感謝です。
(ベイ、開幕前の村山さんの予想通り、強いですね! ボスは何やら絶望的です、笑)