戦争について考える

作者 かめ

[その他]

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6件のファンレター

ひょんなことから、「戦争について考える」というテーマで、NOVEL DAYSの作者さまと何か書き合おう、ということになりました。
この「ひょん」が、とてもいい感じでした。
どんな事が自分に書けるのか、暗中模索、五里霧中ですが、考えられる限りのことを、書いていけたらと思います。

ファンレター

久々の更新うれしいです!

かめさん、こんにちは。久々に更新通知がありとってもうれしく、さっそく拝読させていただきました。
「戦争について考える」という難しいテーマを、子どもたちの心を題材にして小説仕立てにされた、かめさんの試み。
「抑圧されたエネルギーが、化け物になって爆発する」という一文にハッとさせられました。
人間の暴力性というのは、誰もが根源的に持っているものなのか、それとも社会的・家庭的な生育環境によるものなのか、あるいは両方なのか、ぐるぐる考え込んでしまいました。

エーリッヒ・フロムの『悪について』で、「悪に向かう人間の性向」(=人間に内在する悪の可能性)として、スターリンやヒトラーなどの具体例をあげて、「衰退の症候群」(=人間を破壊のための破壊へかりたてるもの、そして憎悪のための憎悪へかりたてるもの)があると論じていました。歴史に名を残す独裁者たちはこの症候群の極端な例で、暴力、憎悪、人種差別、民族主義などに陥る人々は、程度の差はあれ、この症候群に罹っているのであり、愛国心、義務、名誉といったもので自分を合理化しようするという内容でした。
フロムは「殺しは最も原初的な水準で、非常な興奮となり大きな自己確認となる。(中略)この意味において、殺すことは本質的には死を愛好することではない。最も深い退行の水準で、生を確認し超越することなのである。」と書いています。
暴力が自己確認、アイデンティティ保持のための行動だ、という考え方は、わたしにとって全く思いもよらないものです。
かめさんの考察は、このフロムの考え方と共通性があり、物語を通じてわかりやすく伝えようとしてくれていると感じました。

原爆の図の丸木美術館でアルバイトをされた体験も、興味深く拝読しました。
わたしは子どもの頃に小学校の図書館で丸木位里・丸木俊夫妻が手がけた絵本を読み、「原爆」というものを初めて知って、衝撃を受けたのをよく覚えています。あの絵本とアニメ映画『火垂るの墓』の空襲で傷ついた人々が血まみれの包帯姿で横たわっている場面が、子どもながらに強烈な記憶として残り、ひどい悪夢を見ました。
かめさんのおっしゃる通り、喜んで見たいと思うものではないし、できれば見ないで過ごしたいものです。でも勇気をもって、「目をそむけずに見ること」が大事だなとあらためて思いました。
そのためにも、今回のお題企画は本当によい経験になりました。どうもありがとうございます。
かめさんと村山さんからのフィードバックをいかして、引き続きこのお題について考えていきたいと思います。

返信(1)

mikaさん、どうもありがとうございます、更新通知、あんまりいっぱい更新すると、うるさがられちゃいますね、笑。
いや、でもほんとにありがとうございます。
すごい難しいテーマで、いちばん書くべきことなのに、どうしてうまく書けないんだろう、と悩み悩み、そしてやっぱりうまく書けなかったけど、とてもいい経験をさせて頂いています。

人間の暴力性… 暴力を暴力ととらえるのも人間だけだし(それをいったら元も子もない)、これはきっと潜んでいるものなんだろうと思います。
それが、あばかれる状況、その時、というのが、あるのだと思います。

それを、しずめるのが理性というか、その理性を育てるのが、会話、ひとりでできることは読書、という感じで…自分の場合ですが。

憎悪のための憎悪。これ、アリですね。怒りっぽい人を見ていると、怒るために怒ってる感じがします。
愛国心、義務、名誉等は、あとから付ける理由、正当化… ヒトって、理性と野性(?)が混在してるから、合理化をはかる頭と、不合理を愛しむ両極が、あるんだろうなぁと想像します。

「殺しは最も原初的な水準…」以下ののフロムの言、うなずけます。それは狂気に見える… 戦争の現場、追い詰められた兵士たちが、ひどいことをできる…
「暴力が自己確認、アイデンティティ保持のための行動」、そうか、フロムはそういう言い方で…。

確かに、その自己にとっては、激烈な自己確認、自己以上の自己になれたような、エクスタシーみたいなのを感じるかもしれませんね。でもそれは間違ってる、フロムは間違っていないけど、そういう自己は、きっと間違ってる。

あ、確かに、ぼくが言いたかったエイエンって子のことと、ちょっと被ってますね、mikaさんにいわれるまで、気づきませんでした、笑。

そう、エイエンって、丸木でよく一緒に遊んだ子で、大好きだったんです。
大人が、常識とか正しさ、「こうすべき」を子に強制ばかりして、すごい能力、べつにすごくなくてもいいんですが、を圧殺してるような感じは、ずーっと続いている歴史みたいに感じたりします。
だから戦争の歴史もなくならない、「新しい人」が目覚められない、というのは強引でしょうか…

丸木さんたちは、ほんとによく描いたと思います。もう亡くなられてだいぶ経ちますね…
絶対にその意志、遺志は受け継いでいきたい、と無力な自分が思います。

「火垂るの墓」、ダメなんです、おきまりの所で、絶対泣いてしまって、笑。「はだしのゲン」が図書館からなくなる(?)みたいな話、ほんとになんでそんな、よけいなことをするんだろう。「受け容れる」ところから始めないと、禁止や排除からは、あんまりいい方向に行かないはず…。

でも悪夢はイヤですね、笑。

ネット、スマホの影響か、自分が見たいだけのものを見る、見たくないものは見ない、という、自分勝手にほんとになれるような環境が整っていると思います。
見たくないものを受け容れる… 慣れとか惰性にならず、できればそういう人間になれたらと思います。

そうですね、これはもう永遠の問題というか、生きてるうちに、何でもそうですけど、生きてるうちに、戦争については、必ず捨てないで、考え続けたいし、考えざるを得ない現実だと思います。

これからも、よろしくお願いします。