第五話 ぷつりと切れたときのこと

文字数 2,725文字

 五年前のいまごろは大停電――。

「新型コロナ」で時間感覚がおかしくなっているうちに五年も経ったらしい。あの頃はまだ、ミサはこっちに来ていなかった。
 夜中、パソコンを使っていて瞬間停電が起こったと思ったら、大きな揺れがきた。電力は一瞬回復したけれど、また停まった。
 また地震か。怨んでもしかたがない。この国はどこに行っても地震が多い。また停電か、そうも思った。けれど余震は多くはなかった。

 北海道本島大停電。
 北海道の広さは、九州と四国と岩手県と宮城県とを合わせたのに匹敵しますと、北海道の運転免許の講習でくれる――つまり講習料金で強制的に買わされる――テキストにも書いてある。ただこれは、北方領土を含みます、というカラクリ付きなのではあるが。ソコはロシア連邦がフツーに自国領土だと思って占拠しているのだから、行けないではないか。
 ともかく、北海道は県ではない。内国植民地である。本島だけでも本当に広い。それが全停電した。離島の電力は別だけれど、そこもそれで物資の多くを本島に依存しているのだから「対岸の火事」では済まなかったろう。本島から届く物資をそれこそセイコーマートなんかで売っているのだから。

 さて、情報収集に使ったのはラジオと携帯電話だった。そう、ケータイである。当時はまだ私は持っていたし、iモードも生きていた。スマホなんかより電力効率がいい。パソコンは動かない。固定電話は使えても、フレッツ光が使えない。こんなときFTTHなんかムダである。
 夜は真っ暗だ。信号も消えている。星が見事な夜です。しいていえば、近所の施設の非常用電源がほのあかるくヌラヌラと灯っている。
 道民は停電自体にはあまり驚かない。札幌都心にしかいない人は別だろうけれど。停電は短時間ならば、たまにあること。嵐になれば、落雷があれば、暴風雪になれば。ウチは、鳥の巣で停電したこともある。
 でも、こんなにも続くとは思わなかった。多くの人がそうだったろう。こればっかりは困る。そのうち回復すると思っていたら、結局はだらだら何日間もひきずった。
 朝になったら、警察官が交通整理に来た。けれどそんな交差点も大きいところだけ。それでも事故を起こさず走っているのだから、真面目にやれば世の中いつもこんなふうにやっていけるんじゃないかという気がする。意味がわからない生き急ぐことをやめてしまえば。

 ウチはいまも当時とかわっていない。私と同じ歳くらいの

。マンションとは名ばかりで、私の所有するこの部屋は、まるで人の住むところではないのだが……。「難民」をしている。
 それはともかく、ここは屋上の貯水槽に電動ポンプで()み上げる式。だからこうも停電するとどうなるかというと、いずれ断水する。思ったとおり、当日の昼ころには水が出なくなった。ラジオでは「市の水道は断水していません」と言う。だけれど、ウチのコにかぎっては、出ない。水がないと死んでしまう。食べ物はローリングストックしてあるが、水はそうではない。非常用水には限りがある。
 ので、近所の公園に汲みに行った。カラのニリットルペットボトルを何本も抱えて。貧乏クサイが貧乏なんだからもはや隠すものでもない。それはおいといて、大変なのは帰りである。重いのはもちろんのことだが、それは冬の灯油で鍛えられている。それより、エレベーターなんて動かないからだ。階段。階段めぐりへようこそ。
 かつて東京にいたころ、高層オフィスビルを階段で昇り降りしていた。エレベーターが混みすぎて、待ち時間が長すぎて、まるで役たたずだったからだ。書類を持って何度昇り降りしたことか。これだから東京は使えない。ついでに非常訓練をかねて出退勤も階段にしていた。激ヤセしたことはいうまでもない。
 そんなだから私にとって階段自体はなんでもない。いまやもう更年期だけどまだまだ。しかし、こんな重荷を持って階段は苛酷(カコク)である。ウチが高層階でないのが救いだ。

 断水は平時にもあるけれど、こうして水道の蛇口をひねっても水が出ないという世界は、藤子・F・不二雄氏のすこしふしぎをあらためて思い起こさせる。水道なんて本当は贅沢なのだ。いまだって、日々水を汲みに歩いて往復している人々は世界中に珍しくない。エクストリーム・スポーツである。

 停電ともなれば、しごとにならない。
 店を開けるかどうかということから問題になる。冷蔵庫も冷凍庫も動いていないのでダメになっている。店の中は暗い。防犯カメラは動いていない。店の前にカウンターを出して、注文を受けて商品を取ってくるシステムになった。
 レジスターは動かない。いうまでもなくクレジットカードとか電子マネーとか使えない。現金のみである。

 SFにも、高度にコンピュータシステム化された社会で故障が起こって混乱に陥る話は昔からある。あの小松左京氏だって書いている。私も幼いころ読んだ。交通システムの自動運転も動かない。
 信号も点かなければレジも動かない世界はさながらそんなだ。
 現金のみなのにATMもキャッシュカードも使えないんだから、現金を引出しに行くのも大変だ。本人確認書類も持って支店に行けば引出せるらしいけれど。もちろん手作業だ。

 (とまり)原発が止まりじゃなければ大停電は起こらなかったという説もことさらに言われたけれど。原子力発電所は止めたらすぐには動かせないから、夜中を含めて終日稼働させるのがセオリーだ。しかし大地震があればまっさきに止めないといけない。放射能をまた()き散らされるのは勘弁だ。そしてそれはメガプラント。むしろ大停電の引き金になるとしか思えない。

 大停電からのコールドスタート。それは小さな水力発電所から始まったという――。

 さて、近ごろは通帳も廃止だといっている。金融機関のシステムはたぶん、非常用電源があるのだろうけれど、信頼していいのだろうか。カギがスマホで運転がインターネット化されている世界はどうなるのだろうか。トイレの水もスマホで流せるというけれど、まさか手動レバーを廃止するわけではないと思いたい。自動水栓は電池式のものも多いだろうけれど、災害のときを思っても、電池はもったいない。

 あの大停電の(のち)、公共事業か景気のための需要喚起かはたまた国際競争力かわからないけれど、スガという人がデジタル・トランスフォーメーションと言い出した。
 ディザスタ・リカバリとかBCPとかはずっと以前からいうけれど、電力とコンピュータと半導体とかの資源に全力で依存していい言いわけにするのは違う、そう思う。

 この国は、災害に、(もろ)い。ポッキリ折れてしまいそう。将来性を感じない。

 強い強いと言い張り続けて、しなやかさがない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み