第十一話 母の面影

文字数 2,224文字

 店の入口で子どもが、飾りのついた小さな子向けのショッピングカートを、どれにするか迷っている。
「早くしなさい!」
 母親と(おぼ)しき人が怒っていた。
 またある日、チルド飲料のところで、
「だから! 飲むの? 飲まないの?」
 母親と思しき人が子どもにイラだっていた。
 こんなことは毎日よくある光景だ。スーパーマーケットだろうがドラッグストアだろうが。
 ああ、こうして母親に日々怒られ続ける原体験が刻み込まれて、女性嫌悪になるんだなぁ……。
 私の幼い頃はこんな女児ではなかった。

 ――鏡を見る。かわいくもない私の顔。「まだ更年期」か「もう更年期」かというと、もう更年期である。年老いてきて変わってしまったけれど、かわいくないのは昔からだ。そして、母に似てきたと(おも)う。
 母に似ているのは幼い頃からではないかと問われれば、そうかもしれない。でも、こうして()けてきてようやく、私も母と同じように歳をとって、私の知っている「母」の顔をしてきたんだな、と思う。けれど私には子どもはいないし、もうけるつもりもない。
 母の代わりは私自身しかいないからだ。母はもう死んだ。それはもう、還暦になる前に亡くなった。悔しい。だから、母も既に衰えていたとはいえ、後期高齢者になったところを見たこともなく、もちろん世話したこともなく。そんな年ごろの母を知らない。私の知っている母は、五〇代までしかないのだ。私はその母を追いかけている。だから、この私が、「母」、だ。
 はたして追い越せるかはわからない。私も同じように、心身がついていかなくなっている。まるで老人のように。そう、老人なのだ、いくら顔はまだオバサンでも。
 就労困難で、それでもギリギリのところで暮らしている。少ない遺産を取り崩しながら。もちろんまだ中年、老齢年金は出ない。ちなみに言っておくと、障害年金とかも受けていない。老齢年金を受け取れる歳になる前に死ぬんじゃないかと、そう思っている。実際に母は、そうなった。

 私は元気な母を見たことがない。いつも弱々しかった。歳を減るごとにますます弱々しくなっていった。そんなだから、衰えていく女を見るのは痛々しくもあったし(みにく)くも(いや)でもあったけれど、私は母を(にく)むことも毛嫌いすることもなかった。たしかに若いころ母の面倒をみていたのも面倒ではあったけれど、憎んだわけではない。
 たぶん世の多くの娘や、それに息子も、わが母が厭になるものなのではないだろうか。とりわけ母と娘の関係というものはややこしい。母親はいろいろと教える。身体のこととか、生きかたのこととか。「ちゃんとした男の人を見つけて結婚しなさい」というようなことをしつこく言う母親は多い。さらに娘の結婚相手を探してくる、今日(きょう)びでいう「婚活」をしてくる、そんな母親すらいるらしい。そんなで母と娘というのは、しばしばネチっこく粘着質で、そして母親を(いと)わしく思う娘はめずらしくないはずだ。
 けれど私にはそれがない。そうなる資格すら与えられなかった――。

 そんな「(かげ)」を見せることなく生きていた。学校でも。昔の会社でも。
 そして今も、生きている。

「斉藤さんは母子家庭でね……」
 店長がある日、部下の正社員店員に話していた。養育費のためにシフトを融通してあげないといけない――そんな事情をもっているパートタイマーもいることを、将来の店長候補に教えていたのだろう。
 斉藤さんがひとり親なことは職場では公然の事実だ。ひとり親で我が子を養っているとかいうのならば、隠しもせず上司に泣きついてシフトを入れてもらったりするものなのだろう。自分だけの問題ではない、我が子のためなのだから。それは(わか)る。
 私は独りで生きていかなきゃいけない事情なんかペラペラ(しゃべ)らないし喋れない。けれど「ひとり親だから恵んでください」なんてすがるあの人のことを、ねたみもしない。
 ただ、私にはそれ以前に、前提が欠けている。独りだし、それに……あんなに働けない。パートタイマー三上はいつだって短期決戦。

 だから、小説を書いている。それが私の労働。売るつもりはない。暮らしは死ぬより苦しい。でも、お金にはならないのはわかっている。

 私は結婚しないし、身体がガタガタだし、子どもを養えはしない。
 私は、母親には、なれない。
 けれどはたして、母親がいま、我が子に教えうることなんて、あるのだろうか? この、これからますます苛酷(カコク)になっていく時代に? 
「いい男見つけて結婚しなさい」
「いい大学に行って、いい会社に入りなさい」
 そんな依存気質が――甘えが――通用するのだろうか。みんな依存根性。そんなでは変わりゆく地獄の世界に適応していけるのだろうか。固定観念なんかなくして、思い込みを()てて、なにもかもを変えていく覚悟でないと生き抜けないのに? 誰もが何かに甘えていて、誰も切り(ひら)くことをしない。そんな人類が生きていけるのだろうか。「就活」だとか「婚活」だとか「妊活」だとか、「ポイ活」、ましてや「パパ活」なんてするよりも、人類の「終活」を、手じまいを考える時期にすら来ている気がする。
 親世代として教えるべきことは、そういうこと。この現実を教えなければならない。なんと残酷で無責任なことだろうか。実の親には教えるに()えることなのだろうか。

 独り、小説を書いている。
 母の面影(おもかげ)を継いでいるけれど、いまや、母に教えられたことは通用しない。肉体は遺伝しても。
 甘えられる母は、もう、いない。
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