第十五話 大物芸人M氏について

文字数 3,248文字

 とある「大物芸人」が後輩から性接待の「上納」を受けてきていたのではないかと、ちまたでは話題になっている。今回も記事にしたのは週刊文春だ。
 少なからぬ人はこの疑惑について、芸能スキャンダルだ、不倫疑惑だ、程度にしか思っていないだろう。とりわけ芸能人や業界側の人間は被害者意識を勝手にもつからか、「民事訴訟で負けたとしても文春は儲かるから、やり得だ」という理屈をひろめている。
 はたしてそんな小さい問題なのだろうか?

 文春というとやっぱり、くだんの大手アイドル事務所経営者(故人)が、少年たちに強制わいせつを常習的に繰り返して毒牙にかけてきた件を思い起こす。たぶん私だけではなくて、いまならそういう人が多いんじゃないかな。
 考えてみよう。罪悪が行われているのに、業界や社会の慣行、いわゆる必要悪みたいな扱いで、日本社会がわざと見逃し続けてきたことなのだ。
 つまり、これも同じ。憶測だけれど、もしもその後輩芸人が一般人にお金を渡して(その金員授受を知っている)大物芸人と性交渉をさせていたのだとすれば、これは売買春だ。もう、不倫とかコンプライアンス(倫理)とかのレベルじゃあない。ことによっては刑事事件。はたしてそこまで真相が明らかにになるかは、わからないけれど。この民事訴訟では、記事の範囲でだけ真実性が問題になるだけ。それを超えてまで突っ込んで真相を議論するわけではないから。
 ただ、文春の側は真実性だけではなく公益性の立証もしないといけないから、それで敗訴する可能性もある。だからもしかすると、犯罪の疑惑にまで、議論の焦点が移ってくるかもしれない……。

 昔から、犯罪なのに事実上は売買春が行われてきた。社会の裏側の慣行。「赤線」とかが廃止されて違法化されても。いや、そもそも「従軍慰安婦」の件にしても売買春だ。そしていまも、売買春をあっせんする業者がいることも珍しくない。つまり反社会的勢力の資金源だ。
 だから、売買春というのには、社会的に強い立場の者が、社会的弱者にお金をつかませて性交渉を要求する、そういう社会構造的な差別の問題がひとつ。それと、もうひとつ。反社会的勢力の資金源になっているという問題とがあるのだ。だから「援助交際」だの「パパ活」だのと隠語にすり替えられていようと、そうした売買春を警察もしばしば摘発してきたわけだし。当人の自由だという理屈では済まない。

 で、話を戻すと、遊び歩いて買春するとか、さらには性接待の「上納」を受けるとかいうのにしても。本当はマズイということに気づきながらも、社会慣行、業界慣行として、裏で行われてきた。だからやっている当人は、罪悪を犯しているという自覚よりも、被害者意識、「なんでオレがつるし上げられなきゃいけないんだ」という思いのほうが出てきてしまう。
 後輩をかばうどころか人間の盾にして、逃げて隠れて、居直ってしまう。潔白ならばむしろ表に出て矢おもてに立つべきなのではないか。それが親分というものだろう。気のいい親分のふりして、肝心のこういうときだけ子分を犠牲にするのか?
 私にもかつて芸能人の友人がいた。しかもその友人は彼と仕事をしたことがあった。いわくは「メッチャいい人だった」という。その言葉をそのまま信じるとしたら、彼は面倒見のいい(おとこ)だということなのだ。
 けれど近年の彼の言動を見ていると、それはどうも違ったのだろうか。あるいは、モウロクしちゃったのだろうか。
 いや……その友人ももしかすると彼と合コンしていたかもなぁ、と思ったりもする。まぁ、合コンというよりかは、仕事の付き合いだ。たぶん、宴席くらいあっただろう。

 ところで、かなーり以前の騒動だけれど、島田紳助氏が引退したあの件だって、社会慣行、業界慣行の問題だった。芸能界は反社会的勢力と昔から付き合いがあって、しかし島田紳助氏が(だけが)やりだまにあげられて追及された。彼は(彼だけが)事務所経営者に「でもそれはもうダメなんだよ」って諭され、彼はこの事務所や仲間をかばうようなかたちで引退した。でも彼は活動休止だの言いわけだのせず、いさぎよくサバサバした退き際だったと思う。
 そう、任侠(ニンキョウ)団体との付き合いは、その芸能界で、「お笑い界」で、慣行だった。犯罪収益からお金をもらって営業をしてきた。
 そりゃあそうなんだろうという気もする。なにせ大阪は『じゃりン子チエ』の世界、テツみたいな博徒とか、任侠団体とか、普通にあったわけなのだから。任侠団体自体が「暴力団」と呼ばれて、社会の「必要悪」の地位から排除されたのは時代を下ってからのこと。地域の治安の取締役を役座、つまりヤクザという。本来ならば警察がやるべきことを代わりに勝手にやっている業者。それで、営業するのに場所代という「税金」がかかったり、トラブルの解決に料金がかかったりする。いわば民間警察。かつて警察や市町村なども任侠団体の存在をうまいように利用していた時代があったくらいなのだ。戦後しばらくまでは貧しい世の中だった、その頃も当然に客トラブル、俗に「モンスタークレイマー」とか「カスタマーハラスメント」とかいわれる(レッテルを貼られて決めつけられている)ものもあったわけで、ところがそういうときにはヤクザを呼んで脅して黙らせるということも行われてきたわけだ。例えば「神戸では万引きができない」といわれていた。山口組の本拠地だったからだ。それが景気が良くなり社会の画一化が進んでくれば、任侠団体という勝手な民間組織が不要になって有害性のほうが上まわってくる。それで暴力団排除が進められた。けれど今はまた貧しい社会だから、客とのトラブルの解決にモメることも増えている。
 ともかく、任侠団体との付き合いは昔ならば違法化されていなかったはず。だから島田紳助氏のこの件は、法律ではなく倫理的な問題、つまりコンプライアンスが中心にあった。
 さて、それとくらべれば、かの「大物芸人」の件。売買春があったとしたらもう、コンプライアンス以前の話なわけで。

 残念ながら芸能界は、一般社会にくらべると、はるかにおかしな世界。芸能人であろうがなかろうが遊び歩いている人間は多いけれど、性接待が行われる世界となれば奇特で病的だ。徳川時代の悪代官とかの世界だろうか? 封建的な、(みつ)ぎ物による冊封(サクホウ)関係みたいな、利権の私物化や、公私混同の世界。職業上の権力行使と、権力者の私的な欲が、結びつく。……どこぞの政権みたいな……まあ、そうなのである。
 芸能界には昔から「枕営業(まくらエイギョウ)」の噂が絶えないけれど、そこまでいかなくたって、まるでキャバクラみたいな接待くらいは隠すまでもなく行われてきたし。仕事が欲しければプロデューサーとかエラい人を接待して自らを売り込む。事務所命令ででもやらされるくらいだろう。
 ついでにいえば政界でも、酒をつがせるコンパニオンだとか、接待をするミスなんちゃらとか、そういうのがあるし。
 エラいのは男ばかり。相手の男に接待を納めて喜ばせるために、女を使う。そうすれば鼻の下を伸ばしてニヤニヤする。いい気分にさせる。いまだに、ミスなんちゃらの募集が悪びれず存在する。いやもしかすると観光親善大使だのなんだのというそこにすらも、うさんくさいものが混じっているかもしれない。

 これが日本だ。
 だいたいは、エラいオッサンがキモチよくなるために、女がお金で使われる。使われることを選ぶ人が出てこざるをえない、差別主義国家。
 女は、キモチよくなれない。笑ってヘラヘラして、さもウレシそうに、キモチよさそうに演技する。売春だって、アダルトビデオ女優だって、そうなんだ。
 少なからぬ夫婦も、男がキモチいいばかりで、女はキモチよくなれない。男はナイーブ(無知)。女のことを知らないで「消費」しているばかり。女のほうはツラい思いをして、痛い思いをして、生きて。死ぬまで。お金と生活、人生のために、結婚という牢獄に妥協している。
 これが日本である。不幸な国。
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