第七話 It’s a CLOSED World

文字数 3,229文字

 私が小説を書いているからではないけれど先日、宇徳敬子という歌手の「光と影のロマン」を久しぶりに聴いて衝撃を受けていた。『名探偵コナン』のエンディングとして知っている人が多いのだろう。
 ビーイングである。『名探偵コナン』とタイアップしてCM枠をもち続けていた。

 前世紀の話題で申しわけない。

 世間的にはビーイングといえばまず、ZARD(ザード)だ。坂井泉水氏の「ZARD」と、「宇徳敬子」とは、同時代である。そのZARDは一九九三年発売の「負けないで」でようやく爆発的にヒットし、それ以降は大々的に売り出された。実際に、とても売れた。もう大人気で、超有名だった。いまでも伝説的存在。
 プロ歌手としては宇徳敬子氏のほうが一年ほど早い。宇徳氏のほうが以前からB.B.クィーンズのバックコーラスとしてプロ歌手だった。あのテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の「おどるポンポコリン」で有名なB.B.クィーンズの、である。だからソロデビュー以降も、得意技はセルフコーラスだ。
 しかし、宇徳氏のほうが歌手としては先だったのに、肝心のソロデビューする前にすでにZARDがデビューしていた。そして「宇徳敬子」よりもZARDのほうが売れた。それはまるで、元祖と本家のような、ややこしい関係。しかしタイミングが先後していて、そう単純ではない。ZARDの宣伝量や知名度からいって、「宇徳敬子」のほうがパクリだと思われかねないくらい。

 同じレコード会社である。だから、同じようなプロデュース陣で同じようなサウンドメイキングで同じようなエンジニアリングで同じようなスタジオで。ZARDと宇徳敬子氏とを共存させるには、作風自体を同じにするわけにはいかない。ちなみに二人とも容姿はよい。プロである。なにせ、スターダストプロモーションのモデルだったのだから。
 坂井泉水氏はその声質と、まるで化粧品の宣伝文句みたいだけど、明るい透明感。いかにもビーイングの得意そうなそれである。
 他方の宇徳氏は、ZARDのあとからソロデビューをした。歌唱力があって「つぶし」の利く実力がある。そしてセルフコーラスをオケに入れるとなれば、コーラスの上パートと下パートも歌うわけだ。となると主旋律を声域の上限まではもっていけない。いくらか低めに設定することになる。だから、宇徳氏にはZARDとは異なる、比較的には暗めで厚みのある作風にしたのだろう。
 つまり「ZARD」が(ひかり)ならば、「宇徳敬子」は(かげ)。宇徳氏のほうがあえて陰にまわったのだろう。まわらざるをえなかったというべきか。引き抜かれたり独立したりしてビーイングからスピンアウトすることも選択肢にはあったのかもしれない。けれどそれをあえて捨ててビーイングに居続けるのを選んだのだろう。
 そしてビーイングの営業戦略どおり、ZARDと同じように宇徳氏もテレビ番組にはなるべく出なかった。容姿はあっても、テレビ出演に慣れていても、レコード会社の戦略に従った。

 そう、宇徳氏はテレビに慣れていた。ずっと陰に隠れていたわけではない。
 ビーイングからソロデビューをする以前に、三人組グループ「Mi−Ke(みけ)」のボーカルだったからだ。Mi−Keは「想い出の九十九里浜」や「ブルーライトヨコスカ」が爆発的にヒットした。B.B.クィーンズから独立して誕生し、往年の名曲のカバーやオマージュを歌ったグループである。のちの「宇徳敬子」ソロからは想像もつかないような歌謡曲の唄いかたをしていて、しかも驚異的に上手い。当時はテレビ番組にも出ずっぱり。私もリアルタイムで視聴していた。私からすれば宇徳氏は「お姉さん」みたいな感じなのである。そんなMi−Keは、紅白歌合戦にも出場している。
 Mi−Keのレコード会社はBMGビクターなんだけれど、楽曲制作がビーイングだった。実は、そのMi−KeとZARDのデビューがちょうど同時期、一九九一年なのだ。
 さて、Mi−Keは三人組だが、宇徳氏ばかりが歌唱力抜群なので、ボーカルを宇徳氏ひとりに依存していた。ほかのふたりにはコーラスすらあまりまわさない。なにせ宇徳氏のセルフコーラスをオケに入れるほうが確実。宇徳氏ひとりで歌っていて、ほかのメンバーはバックダンサーみたいな存在になってしまった。だからその意味では、宇徳氏は実質的にはまるで、ひとり、紅白出場

なのである。
 そんなだから、Mi−Keの三人、心中は複雑だっただろう。「三毛(みけ)」なのに歌は宇徳氏ひとりで成りたってしまっている。けれど、ほかのふたりがいないと三人組グループの(ヨウ)をなさない。Mi−Keは正式には、解散や活動終了を



 しかし宇徳氏もソロ活動では、その輝かしい()なたの前歴をあえて「封印」するように活動していた。
 はたしてこの選択が正しかったのかなんて、わからない。過去の事実に反する仮定の議論をしても、しょうがないことなのだから。例えば、もしかりにMi−Keに坂井泉水氏も抜擢(バッテキ)されていたらどうだったのだろう。それはそれでZARDは生まれなかっただろう。三人組にこの二人が入るのだとバランスがとれなかっただろうし、売れずにふたりとも歌手として将来がなかったかもしれない。
 そして、ビーイングとMi−Keがなければ「宇徳敬子」のソロデビューもなかったのだから。

 宇徳氏の心中は複雑だったろう。
 坂井泉水氏が亡くなって、ZARDは伝説に、遺産に、そして崇拝の対象になった。いわば勝ち逃げ。
 けれど他方の「宇徳敬子」はいまやソロデビュー三〇周年を超える現役。「勝った」のかもしれない。
 不思議で運命的なめぐりあわせだ。
 もしかすると、「勝った」のは、ふたりとも。なんだかんだいってこれが幸せなのかもしれない――。


 この世の中でうまく立ち回って生きていくのって、難しい。

 日本社会って、本気だして、全力をだして、そうしては生きていけないようにできている。能力があっても隠したり、譲ったりしないと、うまく生きていけないらしい。

 本気をだして、能力もあって、学歴もあって。けれどそんなのに意味がないうえ、かえって生きていけない。私はそれを思い知らされた。
 真面目にやって、誠実に、よかれと思って、会社に力を尽くした。けれどそうすると上司にも先輩にも疎まれて、利用されて、(おとしい)れられた。会社に使い潰され、棄てられた。
 都落(みやこお)ちらせられて、帰る故郷も失っている私はこうして逃げてきた。

 私にしてもミサにしても、逃げてくるしかなかったのだ。

 真面目にやったら痛い目にあう。善人は損をする。おしつけられる。食いものにされる。
 高学歴だと就職にも困る。応募したって「ウチではあなたのような人は……」ってなる。もっと就職(ぐち)のあるパートタイマーだったら、学部卒どまりとか、いっそ高卒くらいのほうがいいくらい。空いた経歴は家事手伝いかなんかで埋めておく。思い返せばそういえば新卒のときだって、一般職に応募したら断られたし……。
 完璧に近ければ(うと)まれる。凡庸でなければ(しりぞ)けられる。
 バカなふりをしていないといけない。そんなこの国はバカげている。生産性がない。けれど、そうしないと生きていけない。
 好きだというだけでは生きていけない。能力があっても生き残れない。能力を発揮しないようにしないと生き抜けない。わざとバカにされて(あなど)られて、ヘラヘラしている。

 私はこんな日本社会が好きではない。できることなら亡命したい。
 けれど、私もミサも、こうしているしかない。
 もうこれ以上は、生き場がないのだから。
 逃げ場なんてもうないのだ。英語が話せたって、資金がない。アジアンがツテもなく押しかけたって疎まれるのが目に見えている。もう世界じゅう、人があふれて、こぼれおちていく。

 人類が地球なしでは生きていけないように。私たちは閉じ込められている。ただ命を繋ぎとめることだけに精一杯。そんななか光陰がいたずらにひたすらに過ぎていく――
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み