二章:陰陽師の資質〈二〉

文字数 6,793文字

 竜之国の上空を泳ぐ八百万の竜は、肉体を持たない。天之大地より溢れ出る竜気を取り込み存在を維持し、余分な竜気は、薄い円盤状に凝り固め天之大地に落とす。これを至竜は竜之鱗と呼び、昔からエネルギー源として重宝してきた。それは現代も変わらず、電気、ガス、ガソリンなどの代替物として遣われている。
 しかしその重要性に対し、竜之鱗を収集する鱗採りを生業としている者はとても少ない。ほぼいないと言って差し支えないだろう。
 竜之鱗は『落ちてくる瞬間を見られれば、いいことが起こる』『大地に触れる前に手に取ることができれば願いごとが叶う』というジンクスが生まれるほど落ちてくる周期が今以て解明できていない。その代わり至竜が暮らしている地域の一角に狙い澄まして落ちてくるという法則が存在する。
 そのことに気付いた人々は、そういう土地を囲い、落下の際に竜之鱗が壊れないよう(そう簡単には壊れないのだが念のため)芝などを植えた。するといつの間にか芝の中に竜之鱗が落ちているのだ。人々はそこから必要な時、必要な分だけ竜之鱗を採り、持ち帰った。
 やがて危険がなく手軽なことから、その役目は子供に託されるようになった。それは、陰陽官が竜之鱗を管理するようになり、金銭などと引き換えに竜之鱗を集めるようになっても変わらず、鱗採りは、子供のお小遣い稼ぎか、ちょっと臨時収入が欲しい時、仕事の合間に行う手軽な副業として根付いたため、生業とする人がいなくとも十分な量が常に確保できているのだ。

     ☯

 昼食後、扇と速午は藻に詰め所を任せ、学び舎の西にある公園に向かった。
 その公園──白青公園は東西に分かれており東側は大人の腰ほどの高さの生け垣に囲まれ、鱗採りができる西側は大人の背丈よりも高い木製の塀で四方を囲んでいる。
 東側には滑り台や鉄棒、ジャングルジムなど大型の遊具がいくつも設置されているが、西側は入り口の傍らと、西南、西北の隅に四阿があるだけで、あとは均された地面に芝や小さな花を咲かせる多年草が隙間なく植えられている。
 地続きで公園に入るには、生け垣の北側と南側にそれぞれ一カ所、東側に二カ所作られた出入り口を通る必要があり、更に西側に行くには東西を分かつ木製の塀の中央付近に作られた出入り口を通らなければならない。
 扇と速午は北側の出入り口から公園に入り、そのまま通行の邪魔にならない位置で足を止めた。
「さて、お復習いしておこう。この公園の西側には、元陰陽師の監視員が常に二人か三人、待機している。私たちの役目は彼らの邪魔をしないよう公園やその周囲を見回り、不測の事態が起きた場合は即時対応することだ」
「わかりました。俺は扇少将の傍にいればいいということですね?」
「……基本的にはそうだな」
 やたら自信満々の部下を前に、反論する気を削がれた扇は力なく首肯し、監視員に挨拶するため西側へと続く出入り口に向かった。
 公園内には、乳母車の中で眠る赤ん坊から、杖をついて歩く老人まで老若男女が集い思い思い休息したり身体を動かしたりしている。勿論、十歳未満の子供から十代半ばの少年少女も普通に遊んでいる。
 竜之国の学び舎では、生徒が授業を選ぶことができ、出席するもしないも個々人に任されている。出席率を重視する授業もあるが、基本的には、試験で合格点を取れればいいとされているので、授業には出ず、試験だけ受けるという生徒もいる。
 なので平日の昼間に公園で生徒が遊んでいても違和感を覚える者はいない。
 なるべく遊んでいる子供たちの邪魔をしないよう気をつけながら出入り口まで辿り着いた扇は、そこでいつもは頼んでもいないのに傍から離れない部下が少し離れた場所で立ち止まっていることに気付いた。
 どうしたのか問いかけようと近づいた瞬間、速午が走り出した。
「速午くんっ⁉」
 扇も慌ててあとを追いかける。
 南側の出入り口から公園を出た速午は、そのまま道端にいた男に駆け寄り、少し距離を置いた状態で「すみません」と鋭い声を投げかけた。
「あぁ?」
 ガラの悪い声と共に前屈みになっていた男が顔を上げる。
 二十代か三十代くらいに見える中肉中背の男で派手なシャツとシンプルなズボンを身につけ、ピカピカの革靴を履き、サングラスをかけている。髪型はツーブロック。残したやや長い髪を後ろに流し、ピアスがいくつか嵌まっている耳たぶを晒している。
 男はサングラスを外し、存外愛嬌のある三白眼で速午を見下ろした。
「なんだ兄ちゃん、怖い顔して……おっ、その格好! 陰陽師ってやつだろう⁉」
「まだ見習いです。それより一人の大人として大人であるあなたにお訊きしたい」
「あん?」
「何故、その子に詰め寄っていたのですか? 知り合いに対するような態度には見えませんでしたが……」
 男と速午の間には、もう一人、十歳前後の子供がいた。
 ややサイズが大きい上着とズボンを纏い、青く輝く長い髪を一つに束ねた綺麗な顔立ちの少年で、その細い手首を男が掴んでいる。
「あ~~~~……」
 指摘を受けた男は、面倒くさそうに速午の顔と少年の手首を掴んでいる自身の手を交互に見てから、パッと手を離し、何もしないという意思表示なのか両手を顔の横に挙げ、へらりと笑った。
「そんな怖い顔しないでくれよ、見習いのお兄さん。さっきこの子が怪しい男に話しかけられて何か渡されてたから気になって声をかけただけだよ。なぁ嬢ちゃん」
「あっ、えっ……じょ、じょうちゃん?」
「その子は男の子だぞ、田村くん」
 困惑している少年を見かね扇が声をかけると、男──田村は、パッと親しげな笑みを浮かべ足取り軽く近づいてきた。
「扇ちゃん! 久しぶりぃ~。今日も美人さんだな!」
「そういう君は、今日も梫太郎くんの目を盗んで自由行動を満喫しているようだね」
「ちょっと離れただけだよ。子供じゃないんだからそれくらい許してほしいよな」
「君たちは大切なお客さまだからな。万が一があったら大変だ」
「ははっ! お客さまはお客さまでも招かれざる客だろう。多少のおいたは、予定調和ということで勘弁してくれ。あぁでも──」
 そこで田村は一度言葉を切り、下卑た笑みを浮かべながら舐めるような視線を扇の顔や身体に走らせ、
「竜皇の妹君であらせられる扇姫さまが二十四時間、傍にいてくださるなら、いい子にするのもやぶさかじゃあないな」
 と言って扇の顎に手をかけようとした。その手を速午が横手から掴み容赦なく捻りあげる。
「いででででっ! 痛い! 痛い! ギブギブ!」
「速午くん、離しなさい」
 扇の言葉を受け、速午はすぐに田村を解放した。その拍子に蹈鞴を踏んだ田村は「お~いて」と言いながら腕の調子を確かめ、振り返りつつ恨みがましそうに速午を睨みつけた。本当に痛かったらしく目尻には涙が滲んでいる。しかし逆に冷たい光を宿した速午の双眸に射貫かれ、「うぬっ」と後ずさった。
「ななな、なんだよ! ちょっとした大人の冗談だろう? あぁ見習いのお兄さんには、少し早かったかな?」
 ニヤニヤしながら懲りずに煽ってくる田村に速午が一歩近づいた次の瞬間、
「田村さんっ‼」
 よく通る声と共に田村の頭上に影が差した。視線を上げると検非違使の制服を纏った衝羽根之梫太郎が降下してくるところだった。
「げっ! 梫太郎ちゃん!」
「見つけましたよ‼ まったくあなたは、勝手に一人にならないでくださいと何度言ったらわかるんですか‼ 自分、客人でも容赦しませんよ‼」
 梫太郎は田村の傍らに降り立つと、しっかりその二の腕を掴んでからただでさえ大きな声を張り上げ説教を浴びせた。田村は大人しくしていたが、顔にはでかでかと『面倒くさい』『うるさい』と書かれていた。
 梫太郎のお小言はまだ続きそうだったので、扇は、呆気にとられている少年の肩を軽く叩いた。びくっと肩を竦ませながら少年が振り返る。
「驚かせてしまってすまない。私は普段、学び舎の詰め所を任されている土属性の陰陽師、黄櫨染之扇だ。怪我などはないかい?」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
 少年が勢いよく頭を下げた拍子にズボンのポケットから、しゃんっ──と澄んだ音を立てながら何かが落ちた。見ると地面に竜之鱗が四枚、散らばっている。
「おっと。大量だね」
「──っ! 触らないでっ!」
 反射的に拾おうとした扇の手を払い、少年は必死の形相で竜之鱗をすべて拾いポケットに押し込んだ。その間、「ふーふー」と警戒している獣のような息づかいをしていたがぽかんとしている扇に気付くと「あっ……」とばつが悪そうな顔をした。
 扇は払われた手を少年から見えないよう背中に隠し努めて穏やかに話しかけた。
「勝手に触ろうとした私も悪い。驚かせてしまったね」
「……おれも、叩いちゃって、ごめんなさい」
「それだけ君にとって大切だったんだろう?」
「…………」
 少年はなんとも言えない表情でもじもじしながらうつむいた。
「扇さん‼ ──と、速午くん‼」
 扇が少年の次の言葉を待っていると、説教を終えた梫太郎が田村を半ば引きずりながら近づいてきた。
「客人を引き留めてくださり、ありがとうございます‼」
 深々と頭を下げる梫太郎の横で、田村は唇を尖らせていた。梫太郎の奮闘空しく反省の気持ちは芽生えなかったようだ。
「私ではなく、すべて速午くんの手柄だよ。あぁそうだ速午くん、こちらが以前話した大海の島からの旅行者、田村鋼太郎(こうたろう)くんだ。田村くん、こちらは私の部下、柃之速午くんだ」
 扇の紹介に、それまでぐだ~っとしていた田村が少しだけシャキッとした。
「へぇ扇ちゃん、部下ができたんだ。しかも何、俺のこと話したの? それって俺がいない間も俺のこと考えてくれてたってこと? もしかして俺のことが──」
「田村さん‼ いい加減にしてください‼」
 ニヤニヤしながら扇との距離を詰めようとした田村を梫太郎が透かさず一喝する。
「あ~~~もう梫太郎ちゃんは二重の意味で五月蠅いなぁ。まぁ今日のところは、腹も減ったし、これくらいにしておこうか。扇ちゃん、速午ちゃん、またな。梫太郎ちゃん、飯食いに行くぞ、めぇ~し!」
 もう未練はないとばかりに田村は梫太郎の拘束を振り払いスタスタと歩き出した。
 梫太郎は「失礼しました‼」と扇たちに頭を下げてから、田村のあとを追った。
「待ってください‼ どこに行くつもりですか⁉」
「そういえば(けい)ちゃんは? また散歩?」
「違います‼ ちゃんとお店で待機してくれているはずです‼」
 遠ざかっていく梫太郎の声を聞くともなく聞きながら扇は少年を振り返った。
「おや……」
 しかしそこに少年の姿はなく、竜之鱗が一枚、地面の上に落ちていた。

     ☯

 午後四時──何度か小競り合いなどが起こったものの全体的に見れば平穏に見回りを終えた扇と速午は、監視員に挨拶を済ませ公園をあとにした。
「いつもより人が多かったですね」
「流水之祭が近いからね。人が増えれば問題が起こる確率も増える。なのに陰陽官は紅葉狩りがあるから割ける人員が少ない。痛し痒しだ……」
 そこまで言って扇は、はたとあることに気付いた。
「速午くん、いつもよりと言ったが、君、よくここに来るのかい?」
 視線でまだ横手にある白青公園を示すと、速午は「あ、はい」と応え足を止めた。
「以前の所属が西区だったので仕事の合間にこれ用の竜之鱗を採りに何度か。最近も休日に、お邪魔しました」
 そう言って袖から取り出したのは、長方形の木箱だった。掌に収まる大きさで隅に小さな穴が空いている。軽く振るとその穴から、かしゃっ──という澄んだ音と共に楊枝のように加工された竜之鱗が飛び出した。「失礼します」と断りを入れてから速午はその先端を銜え慣れた動作で箱から引き抜いた。
「市販されている竜之鱗は、基本加工されているので、自分で採った竜之鱗を個人で加工業を営んでいる方の所に持って行って、この形状にしてもらっているんです」
 竜之鱗は、『どこ』で『何枚』見つけたのか陰陽官に届け出なければならないが、その後、鱗を換金するか持ち帰るかは選ぶことができる。しかしエネルギー源として遣うには加工しなければならず、加工された竜之鱗は普通に売っているので、わざわざ持ち帰る者はほとんどいない。
 速午はもう一本、楊枝状の竜之鱗を取り出し扇に差し出した。
 扇は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、ためつすがめつ眺めた。
 竜之鱗は遠目には白く見えるが近くで見ると様々な色が揺らめいているのがわかる。その輝きは硬質で金属のようにも見える。研磨されているのか、それとも元からか表面はつるつるしていて、触っていると冷えた身体がじんわり温かくなるような、ほてった身体をゆっくり冷ましてくれるような……ともかく、とても心地好い。
「こんなにしっかり竜之鱗を見たのは、はじめてかもしれない。綺麗だな」
「大海の島や大陸では、希少な宝石として高値で取り引きされているそうです」
「へぇ……」
 生返事をしながら扇は少し身をよじった。大海の島や大陸で竜之鱗を宝石として扱うことに忌避感はない。しかし、いくら綺麗でも至竜からしてみれば安価で身近なエネルギー源である竜之鱗が高価な嗜好品とされている現実に、どうしようもない違和感を覚え、背筋がむずむずしたのだ。
「妙な感じがしますよね」
 扇の様子から内心を読み取ったのか、速午が苦笑を浮かべる。
 隠す意味がないので扇は深々と頷き、「するね」と応え、楊枝状の竜之鱗の触れていない方の先端を速午の口元に差し出した。速午はそれを反射的に銜え──「あっ」と言って赤面する。楊枝状の竜之鱗は、二本とも貼り付いているかのように落ちることはなかった。
 扇は「ふふっ」と笑い、身を翻して歩き出した。
 速午もすぐについて来たが動揺のため何度か躓きそうになっていた。
「竜気を取り込むのってどんな気分なんだい?」
 肩を並べた速午に、扇は問いかけた。
「えっあっ、そ、そうですね……光が灯るような安心感、ですかね」
 まだ少し赤い頬を指先で掻きながら速午は応える。
「日向ぼっこみたいで気持ちよさそうだな」
「はい、中々心地好いですよ。人によっては、竜気不足を起こしたあとの睡眠や食事の際に、器に水が満ちるような満足感を覚えたり、炎が燃え盛るような高揚感を抱くことがあるそうです」
「私は竜気不足を起こしたことがないから、そちらも興味深いな」
 竜気不足というのは、その名の通り体内の竜気が不足する状態で、主に竜道を使いすぎた際に起こる。大抵の至竜は、竜道を習いはじめたばかりで竜気の調整がうまくできない幼少期に何度か経験するのだが、生来、竜気の量が多い皇族や貴族の中には、未経験者がそこそこいる。
 扇は少し声量を落とし、速午に問いかけた。
「君の勝手に竜気が漏れ出て枯渇してしまう──というのは、体質なんだろう?」
「はい。なので根本的な解決方法は今のところありません。流石に動けなくなることはないですが竜気を補給しないと竜道は使えないので、普段は竜気が極端に少ないと説明するようにしています」
「確かに、嘘ではないな」
 そう言って数歩進んだところで扇は不意に足を止めた。
「扇少将?」
 速午も足を止め、小声で上司を呼びながらその顔をのぞき込む。
 扇は唇に人差し指を当て視線で少し先の道端を示した。そこは駄菓子屋で硝子張りの引き戸の横に長椅子やガチャガチャ、アイスが入った冷凍ケースが置かれている。
 その雑然とした店前で道着を身につけた十代半ばの少年が二人、長椅子に座るでもガチャガチャをするでもアイスを選ぶでもなく、そわそわした様子で佇み、たまにぱっと道に背を向けたかと思うと、すぐに振り返る──という奇行を繰り返していた。
「扇少将、あの二人……」
 囁くような声で確認してきた速午に扇は首肯する。
「あぁ……秋冬之園で駆けっこをした坊主頭くんとその友人の長髪くんだ」
 応えた直後、少年二人がまた道に背を向けた。しかし肩越しにちらちらと何かを確認している。その視線を追い、扇は軽く目を瞠った。これまた見覚えのある少年が駄菓子屋の先にある辻を曲がり南下していったからだ。
「あの子は……」
「さっき田村くんに絡まれていた子だね」
 速午と扇が確認し合っている間に、少年二人が幼い少年を追いかけ道を南下していった。しかし決して追いつかないよう気付かれないよう距離を置いている。
 扇と速午はどちらからともなく顔を見合わせた。
「……どう思う?」
「駆けっこをした二人は言わずもがなですが、あの田村くんさんに絡まれていた男の子も学び舎の生徒でしょう。学び舎の詰め所の陰陽師が関わることに問題はないと判断します」
「いい判断だ」
 上司と部下は頷き合い、幼い少年を尾行している少年二人の尾行を開始した。
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