二章:陰陽師の資質〈四〉

文字数 6,058文字

「扇さん‼ 速午くん‼」
 廃墟での一件の翌日。学び舎の詰め所で梓と別れた扇と速午が通りを歩いていると背後から大声量で名前を呼ばれた。
 ほぼ同時に足を止め、目配せをしてから振り返ると褐色の背広を纏った検非違使が大きく手を振りながら近づいてくるところだった。衝羽根之梫太郎だ。
「今日は‼ 竜晴れとはいきませんがいい天気ですね‼」
「昨日ぶりだね、梫太郎くん、田村くん。そして久しぶりだね、鈴木くん」
 声をかけながら扇は視線を梫太郎の傍らに向けた。そこには今日も派手なシャツを着た田村ともう一人、革製のアタッシュケースを片手に提げたスーツ姿の男──鈴木が立っていた。
 見た目は二十代後半くらい。背が高く細身でネイビーのストライプスーツを着こなし、黒々とした髪を自然な感じで七三にしている真面目そうな男だ。ほっそりとした顔立ちに細い銀縁の眼鏡が知的さを添え、うっすらと笑みを浮かべた薄い唇が親しみやすさを滲ませている。
 扇と目が合うと鈴木は軽く会釈をして口を開いた。
「お久しぶりです、扇さん。そちらは……」
「私の部下だ。陰陽生……見習い陰陽師と言った方がわかりやすいかな?」
「はじめまして。陰陽生の柃之速午です」
「ご丁寧に、ありがとうございます。僕は鈴木渓です。日本から来ました。趣味は散歩で、普段は文房具などの卸売りをしています。もしも珍しい文房具を見かけたら教えてください。面白い、綺麗、可愛いでもいいですよ。記憶に残ったということが重要なのであって……」
「はいはい、渓ちゃん。ストップストップ!」
 すらすらと淀みなく話し続ける鈴木を苦笑を浮かべた田村が手を叩きながら制止する。すると鈴木はぴたりと喋るのを止め、気まずそうに口元を手で覆った。
「す、すみません。つい癖で……」
 心底申し訳なさそうな鈴木の横で田村が「はっはっはっ!」と豪快に笑う。
「渓ちゃん仕事熱心だろ? 心配した上司さんが仕事から離れて休めるように、この島への旅行をプレゼントしてくれたんだってよ。いい上司さんで羨ましいよ。俺なんて親父から、お前は視野が狭いから見聞を広めてこい、なんて言われてさ。そのくせ何かっていうと連絡してくるし、息苦しいったらないよ」
 田村は途中からうんざりした様子で腕を組み、最後に深く深いため息を吐いた。
 鈴木が手を下ろし「あはは……」と力なく曖昧な笑みを浮かべる。その笑声に被せるように、ぐぅ~っと腹が鳴った。一同の視線が鈴木に集中する。
「失礼しました……」
 腹を押さえながら謝罪する鈴木の顔は、耳まで赤く染まっていた。
 時刻は昼時──肩がぶつかるほどではないが多くの人が行き交い、どこからか店員の威勢のいい声が響き食欲を刺激する香りが漂ってくる。その香りに触発されたのか今度は田村の腹が、ぐきゅ~っと存外可愛らしく鳴った。
「早く何か買うなり店に入るなりしようぜ。腹減った」
 しおしおと肩を落とした田村が唇を尖らせ梫太郎に訴える。
「これから昼食か。どこか店を予約しているのかい?」
「いえ、本日は西市の屋台を巡る予定です‼」
 梫太郎の返答に、扇は「ふむ」と顎に指を添え思案するような素振りを見せた。
「その予定、今から変更すると差し障りがあるかな?」
「いいえ、予定は未定ですので大丈夫ですよ‼」
「──っ⁉ 扇少将? まさか……」
 鈴木と田村を静かに観察していた速午が続く話の流れを察し青ざめる。
 そんな部下を横目に扇は梫太郎を見上げ笑顔で告げる。
「ならば一緒に雨宿り亭に行かないか? すぐそこなんだ」

     ☯

 からからと雨宿り亭の引き戸を開けると、戸板一枚で遮っていたとは思えないほど圧倒的な人々の気配と様々な料理の匂い、調理の音が扇の五感を刺激した。
 奥の調理場からは絶えず音と匂いと熱気が溢れ、満席のカウンター席では常連と思しき人々が食事や会話を楽しんでいる。手前に配置された数脚のテーブルもほとんど埋まり、女性が一人、その間を軽やかに手際よく動き回っている。
 菫色の着物の上に割烹着を纏った香雨之笄花だ。
「いらっしゃいませ! 何名さまで、しょう……──っ⁉」
 戸が開く音に気付いた笄花が笑顔でこちらを振り返り──目と口をまん丸にする。扇が透かさず口元に人差し指を当て「しぃ」と言うと、笄花は、慌てて口を閉じ、こくこくと頷いてから小走りで近づいてきた。
「驚かせてしまったね。今日は客として来たんだ。だから畏まらなくていい」
「わ、わかりました。では、何名さまでしょうか?」
「大人五人なんだが、うち二人は旅行者なんだ。大丈夫かい?」
 笄花の笑顔が目に見えて強ばり、顔から血の気がすっと引いた。その瞳に滲むのは、玻璃菜のような漠然とした恐怖や不信感ではなく生々しい怯えだった。
 予想以上の拒否反応に扇が眉をひそめると、テーブルの間からひょこっと玻璃菜が姿を現した。藤鼠色の作務衣の上にエプロンをつけている。給仕の手伝いをしているようだ。
「扇さんっ!」
 玻璃菜は笑顔を浮かべながら扇に駆け寄り、そのまま勢いよく抱きついた。
「お久しぶりです! 食べに来てくれたんですね、うれしいです! それに旅行者の人って前に扇さんが楽しい殿方って言っていた人たちですよね? どの人ですか?」
 玻璃菜が開けっぱなしの出入り口から店の外に視線を投げると、田村がおちゃらけて「は~い、旅行者でぇ~す」と言うのが聞こえた。玻璃菜がきゃっきゃと笑う。扇からは見えなかったが田村は変顔をしているようで、速午、梫太郎、鈴木も吹き出し、笑いを堪えている気配がした。
 ふと笄花を見ると、いつの間にか怯えの色は薄れ、強ばりは苦笑に変わっていた。目が合うと、憂いを残しながらも穏やかに微笑み、
「テーブル席が空いているので、どうぞ。ご案内します」と言った。

 移動の間、玻璃菜は扇にじゃれつきながら弟の湖太郎が友達の家に遊びに行ってしまったこと、扇に会いたがっていたことを教えてくれた。「なら、あとで詰め所に遊びに来るといい」と提案すると「いいんですか? やったー!」と歓声を上げ、笄花に窘められた。
 扇たちが通されたのは壁に掛けられたテレビの真下に位置するテーブル席だった。
 厨房側に扇と速午が、出入り口側に梫太郎、田村、鈴木が座ると、すっかり調子を取り戻した笄花がてきぱきと「お茶は焙じ茶でよろしいですか?」「品書きはそちらにありますので、わからないことがありましたら、お呼びください」と言って、まだ何か話したそうにしていた玻璃菜をつれて厨房に戻っていった。
 頬を膨らませながらも大人しく笄花について行く玻璃菜を見守っていると、厨房から一組の男女が顔を出し扇たちに会釈した。玻璃菜の両親だ。
「扇ちゃん、慕われてるんだな」
「日頃の行いだよ」
 田村の軽口に応えながら背後の厨房から正面に視線を戻すと、鈴木が熱心にテレビを見ていた。ニュース番組のようだ。
『八月に×県×市の山中で発見されたご遺体の身元が判明しました』
 女性アナウンサーが真剣な面持ちで原稿を読み上げていく。その横に金髪モヒカンの人相の悪い若い男の顔写真、ボロボロの衣服だったであろう布の写真、油性ペンで何やら落書きされた小さな消しゴムの写真が映し出される。
「これ日本のニュースか。へぇ~身元がわかったんだ。確か白骨化してて二十年以上経ってるかもしれないって話だったけど……あぁ~やっぱ反社会的組織の人間だったかぁ~……」
「チャンネルは笄花くんが替えてくれたようだよ。懐かしいかい?」
 扇の問いかけに田村は眉間に皺を寄せ「う~ん」と唸った。
「いくら俺の感受性が豊かでもこんな強面の男の写真じゃ、郷愁の念は起きないかな。なぁ渓ちゃん?」
「えっ? 何か言いましたか?」
 鈴木はすぐに振り返ったが会話の流れはまったく把握しておらず、きょとんとしていた。しかし田村は意に介さず、ニッと口角を上げ鈴木の肩をバンバン叩いた。
「なんだなんだ、渓ちゃん。もしかしてああいう髪型に憧れちゃうお年頃?」
「……痛いので止めてください。あと、そんなお年頃、一生来ませんよ。あの消しゴムに描かれたモンスターの名前を思い出そうとしていただけです」
「モンスター? あれ、なんか不格好な花じゃないの?」
「違います。ハンドモンスター──ハンモンのキャラクターですよ。ちゃんと顔があるじゃないですか」
「渓ちゃん、シミュラクラ現象って知ってるか? 人間は、三つの点が逆三角形を描いていると……」
「顔と認識してしまうんでしょう? 知ってますよ。でもあのイラストには目と口の他に鼻も描かれているんです。ほら、ちゃんと見てくださ──……あっ」
「あ~あ、次のニュースになっちゃったぁ~」
 ぽんぽんと軽やかに会話を交わす二人をにこにこ眺めていた扇は、ふと隣に座る部下を見た。品書きを手に持っているが視線は油断なく正面の二人に向けられている。その耳元にそっと唇を寄せ、扇は囁いた。
「──愉快で楽しいだろう?」
「──っ⁉ ……はい」
 速午はびくりと肩を竦ませ顔を赤くしながらも首肯した。「ふふっ」と扇の口から笑みがこぼれる。──と、
「決めました‼ 自分は、デミグラスハンバーグ定食とオムライスにします‼」
 一人黙々と品書きを吟味していた梫太郎の宣言に、陰陽師(見習い)と旅行者は目をぱちくりさせてから一様に笑みを浮かべ自分たちの昼食選びに取りかかった。

     ☯

「〈秘密のともだち〉なんて洒落た言い方はしないが、子供が小動物をこっそり飼うってあるあるなんだな。俺も……小四……十歳くらいの時に同級生が校舎の隅で子猫を飼ってるのがばれて問題になったなぁ」
「しかしヒソカは天敵なのでしょう。危なくはないのですか?」
 豪快にカツ丼を掻き込み口の周りに米粒をつけた田村がしみじみしながらうんうんと頷く横で、カレーライスを嚥下した鈴木が心配そうな顔をした。
「いくつか条件が噛み合ってしまうと幸か不幸か共存できてしまうんです。例えば必要とする竜気の絶対量が少なく穏やかな性質だと、ヒソカを見つけた子供が驚いたり喜んだりした際に溢れた竜気で事足りるので襲ってこなかったりするんです」
「竜之国で作られた食品にも少量だが竜気が含まれているからな。感情豊かな子供と少量のお菓子があれば、数ヶ月は大人しくしているだろう」
 速午が鯖の味噌煮定食についている茄子のお新香を箸で摘まみながら説明すると、唐揚げ定食の付け合わせのキャベツを呑み込んだ扇が補足する。
「「数ヶ月は?」」
 田村と鈴木が気になった部分を同時に鸚鵡返しする。
「ヒソカも成長するんだよ。見た目はほとんど変わらないけどね。少しずつ欲する竜気の量が増えていく。そうして需要と供給の均衡が崩れた時、奴らは躊躇いなく子供たちに襲いかかる」
 そう言って扇は唐揚げを頬張った。かりっとした芳ばしい衣としっかり味付けされたジューシーな鶏肉が口内で渾然一体となり幸福感に包まれる。生姜と共ににんにくの風味と甘味も感じられるが、それほど強くはない。
 因みに扇は、レモンは後半、マヨネーズはつけない派だ。しかし出されたものは基本、無駄にはしない主義なのでマヨネーズはキャベツにつけてしっかり頂く。
 行儀よく咀嚼しながら正面を見ると田村と鈴木の顔色が少し青ざめていた。
 子供が襲われる──など気分のいい話ではないので当然の反応だろう。
 少し申し訳なく思いながら扇は白米が盛られた茶碗を手に取った。
 するとデミグラスハンバーグ定食を完食し、玻璃菜が運んできてくれたオムライスに取りかかろうとしていた梫太郎がその手を止め、「おっほん」と咳払いをした。
 田村と鈴木の視線が梫太郎に向く。
「何度も言っていますがヒソカが日本人を襲うことはありません! しかし、この島で作られた食べ物や装飾品を持っていると、そこに宿る竜気目当てでちょっかいを出される可能性があります! そのことを努々忘れないで頂きたい!」
 声量は落としているが、はきはきとした聞き取りやすい梫太郎の言葉に、旅行者二人は、どちらからともなく固唾を呑んだ。
「言葉も食べ物も生活習慣もほとんど変わらないので忘れがちですが、ここは異国なんですよね……」
 食べかけのカレーライスに視線を落とし鈴木がぽつりと呟く。
「それでいうと化け物のことを妖怪じゃなくてヒソカとかウツロとか呼んだり、警察じゃなくて検非違使だったり、陰陽師が公務員だったり……なんか、こう、国によってハンドサインの意味が違ってくるようなややこしさがあって、なまじ日本に似ている分、違和感が凄いんだよな」
 苦虫を噛み潰したような顔で田村は小皿に盛られた沢庵をポリポリとかじった。
 鈴木は居心地悪そうに田村を見ていたが諫めることはなかった。──同じ感想を抱いているのだろう。
 扇は「ふふっ」と笑った。
「ここは竜之国だからね。いくら似ていても日本ではない。私たち至竜も人間によく似ているが厳密には違う。君たちからしてみれば胡乱な存在だ」
「胡乱と言うより神秘的で近寄りがたくはあるな」
「田村くんのそういうところ、私は好ましく思うよ」
「扇ちゃんの部下の視線が怖いから続きは二人っきりの時に頼むよ♪」
「田村さん、空気がピリピリして美味しい料理の味がわからなくなるので、わざわざ火種を作らないでください」
 福神漬けをスプーンに載せた鈴木が、田村をじっと見据える速午をちらちら見ながら苦言を呈す。田村は「てへっ」と言いながら舌を出した。
「そういえば、この国には付喪神もいるんだろう?」
「琵琶牧々や古琴主、瀬戸大将に雲外鏡と言ったヒソカは実存するね」
「そうじゃなくて、なんかこう、人の付喪神? みたいな?」
「それは付喪神ではなくツクモですね」
 もどかしそうに身じろぐ田村に応えたのは速午だった。心なしかいつもより目つきが鋭く雰囲気が冷ややかだが、わざわざ箸を置いて説明をはじめた。
「生じたばかりのヒソカは靄のような姿をしているのですが、この状態だと、たまに器物や動植物に取り憑くことがあるんです。早い段階ならば取り除くこともできるのですが、完全に一体化してしまうと分離することはできません」
「そのヒソカと一体化して動き出した器物を見て、大海の島の民──つまり君たちのような日本人が『付喪神のようだ』と言ったからツクモと呼ぶようになったんだ。ちなみに私付きの女房は、二人ともツクモだよ」
「えっ⁉」
 扇の言葉に旅行者たちは驚きの表情を浮かべたが、一番驚き声を上げたのは部下の速午だった。
「自分は以前うかがいましたが速午さんは知らなかったのですか⁉」
 オムライスを半分、腹に収めた梫太郎が速午に悪気なく問いかける。速午は肩を落としながら「……はい」と力なく首肯した。
「どんな怪異に取り憑かれているのですか?」
 好奇心を隠しもせず問いかけてくる鈴木に、扇は程よく温くなった焙じ茶で喉と唇を潤し微笑んだ。
「秘密だよ。あの子たちは、私の大切な最終兵器だからね」
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