第7話 愛を忘れないで

文字数 1,921文字

クリスマスイヴのこの日、木山正博は無理を言って仕事を休み、朝からリビングルームの飾り付けをしていた。
凛子の誕生日でもある特別な一日を、友人や翔太と過ごす為にツリーを飾り、掃除機をかけ、凛子の写真を並べる。
そして、スクリーンとプロジェクターを設置して、キャンドルに火を灯す。
全ての準備が整った頃には、すでに陽は暮れていた。
床暖房の温もりに包まれて、凛子の学生時代の友人や仕事仲間が、想い出話に花を咲かせている。
テーブルにはクリスマスケーキと、七面鳥の丸焼き。
シャンパンやビール、オレンジジュースやカルピスは子供達のために買ったものだ。
サンタクロースに扮した野沢が、客人をもてなしている。
正博は、自ら大役を引き受けてくれた野沢や、これから凛子を演じてくれる望月かなでに感謝していた。
自宅最寄りのスーパーで、館内放送を聴いたあの日からずっとあたためていた翔太へのプレゼント。
もう一度、ママの声を聴かせてあげたい。
その一心で、ここまでやって来たのだ。
翔太にとって、素敵なクリスマスイヴになればそれだけで充分だと正博は思っていた。
一方の翔太は、皆の輪の中で浮かない顔をしていた。
大人達に話しかけられてもこくりと頷くだけで、笑顔もなく、言葉数も少なかった。
正博は翔太に言った。

「今日はね、実は、翔太にとっておきのプレゼントがあるんだよ」

翔太は伏し目がちに。

「いらない」

と、呟いた。



かなでと矢島は、自宅のテレビに映る、木山家のクリスマスパーティーの様子を見守っていた。
あらかじめツリーに仕込んでおいたカメラからの映像は、鮮明ではないが様子を伺うには充分だった。
野沢サンタの。

「メリークリスマスイヴ!」

の、かけ声でパーティーは始まり、スクリーンには、木山家の家族写真が流れ始めた。
出産後、ちいさな翔太を抱いた凛子の笑顔にのせて流れ出るかなでの声に、その場にいた全員が驚き、感嘆の声をあげた。

「翔太、翔太が産まれた日だよ~、ママね、すごくうれしかったんだ」

凛子に瓜二つの声に、ハンカチで涙を拭う客の姿もあった。
しかし、かなでは不安だった。
野沢が言っていた。

「声ってのはバレやすいんだ」

という言葉が、どうしても頭から離れないのだ、
スクリーン最前列の、うつむいたままの翔太がそれを物語っている。
そんな気がした。
更に、家族写真は流れる。
ディズニーランドのシンデレラ城の前で、笑顔の凛子と翔太がピースサインをしている。
かなでの声が響いている。

「翔太、おぼえてるかな? ミニーちゃん。翔太はこわがって泣いちゃったんだよ」

正博の声も聞こえた。

「翔太、ママ、こんなビデオ隠していたんだね、パパもびっくりだよ」

すると、翔太が言った。

「違うもん!」

映像を見ていた、かなでと矢島は固まってしまった。
神にも祈るふたりの気持ちは、虚しくも次の言葉で砕け散った。

「ママじゃない! ママはお空だもん! ママはお空だもん!どうして嘘ばっかりつくの?ママはお空だもん!ママなんかじゃないもん!」

翔太は、現実を理解していた。
正博は、己の愚かさを悔やんだ。
スライドショーは空回りを続けている。
野沢も、多勢の大人達も動揺していた。
かなでは胸が張り裂けそうだった。
所詮、モノマネに過ぎなかったのだと思うと、涙が溢れ出た。
幼い子供を傷付けるのが、声優の仕事なのかと自分に問うたが、何も答えは見つからない。
その時、木山家のテーブルの隅に飾られた一枚の写真が目に飛び込んだ。
赤いガーベラの隣のフォトスタンド。
美しい沼のほとりの大木の下で、大きなお腹をさすっている凛子の姿と、すこしだけ写り込んだ親指。
かなではハッとした。
凛子が最期に家族と過ごしたこの場所は、生命のはじまりの土地であり、不恰好な親指は、頼もしい父親そのものだったのだ。
かなでは野沢にメッセージを送った。

「野沢さん。電話が鳴ったらメリークリスマスイヴと叫んでください! そしてアドリブお願いします! 役者魂、見せて下さい!電気も消して下さい!」

野沢は、誰にも気づかれない様にスマホに目を落とし、泣きながらリビングの扉の前へと差し掛かる翔太を抱き止めた。
その時、電話が鳴った。
野沢は翔太を抱き上げて、満面の笑みで叫んだ。

「メリークリスマスイヴ! 翔太くん! みなさん!君たちに最高の時間をプレゼントしよう! ショータイム!」

野沢は、部屋の明かりを消した。
暗がりに灯るキャンドルの炎。
プロジェクターからの映像は、空回りを続けている
窓の外に粉雪が舞う。
鳴り響く電話機のディスプレイに表示された。

『ママ』

の文字。
翔太はそれを見つめていた。
野沢は神様に祈りつつ。

「もうどうにでもなれ。頼むぞ望月!」

と、心の中で叫んで、電話機のスピーカーボタンを押した。
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