第2話 望月かなでの苦悩

文字数 1,741文字

ひと仕事終えた後で、スイーツを食べたくなるのは昔からの癖で、声優を本業としていた頃は。

「心身が疲れているから糖分を欲するの、それだけ仕事熱心なのよ私は」

と、周りに弁明しながら、シュークリームやフルーツタルトを頬張っていた。
当時より間食欲は薄れてはいるが、甘いモノ好きなのは死ぬまで続くのかな…と、望月かなでは思いながら、カフェの窓辺から道ゆく人々を眺めていた。
結婚式の司会をやり遂げて、クタクタだったかなでは、ショートケーキとカフェラテを自分への褒美にして、しばらくあるであろう余暇の計画を考えていた。
声優タレントとして活躍ーといっても、望月かなでという名前を知っているのは一部のファンだけで、タレント名鑑に掲載さた時期もほんの僅かだった。渋谷のスタジオ近くの喫茶店で、チョコバナナクレープを頬張っていた頃の思い出は、良くも悪くも素敵な経験値だったと、かなでは思うようにしていたー
元々かなではタレント志望ではなく、純粋に『声優』という職業に憧れていた。
幼い頃から裏方気質があり、文化祭や音楽会でも舞台設営や進行役に徹した。それと通じるものが、声優という職業にはあると感じてはいたが、時代がそうさせてはくれなかった。
大平透や、広川太一郎、白石冬美といった大先輩の顔を、かなでは今でも知らない。
だがそれが良かった。
同期の仲間からは。

「生まれて来るのが遅かったね」

と、揶揄われたりもしたが、かなでは気にも留めなかった。
新宿の声優養成所を経て、大手のプロダクションに所属し、アイドル声優グループの一員として活動してはいたが、10年足らずで辞めた。
現在は、川越の小さなイベント事務所で、司会業やナレーションの仕事を細々とこなしている。
こちらの方が遥かにやり甲斐はあった。
かなでは、運ばれてきたショートケーキを食べながら、ふふと笑った。
グループで活動していた頃の画像が、タイムラインで流れてきたのを思い出したからだ。
かなではスマホを眺めながら、ミニスカート姿の自分の引きつり笑顔に。

「お疲れ様、自分!」

と、呟いて、メールボックスを確認した。
事務所から通知が届いていた。

『帰宅するついでに事務所に来れる?』

いつもながらの遠回しな文面に腹をたてながら、手短に返信する。

「わかりました」

事務所までは、自宅と正反対の川越市駅まで行かなくてはならない。
その面倒臭さと、ついでといった白々しい言葉に、かなでは溜息をついて、無くなりそうな余暇の計画を打ち消した。

こじんまりとした事務所の応接室は、煙草の煙がもうもうと立ち込めていて、灰皿にはPEACEの吸い殻が山の様に積み上がっていた。
かなでは、社長の野沢悟朗の表情を観察しながら話を聞いていた。

「望月さあ。今年で幾つになった?」

「三十路過ぎましたよ」

「そっかそっか」

白髪の野沢の右の口角があがった。
面倒な仕事の依頼の話だとこうなる。
かなでにはわかっていた。

「あんね…」

野沢は、かなでの顔を覗き込んだ。
大御所声優として名高いその声は、聞き惚れてしまう程に美しい。しかし、あくまでそれは、演じている時だけだった。
日常では、煙草の吸いすぎでボソボソかすれていた。
かなでは、自分から話を切り出した。

「なんですか? あまり乗り気じゃないみたいですけど」

「いやいやいや、そっかい?」

「顔に出てますよ」

野沢は豪快に笑うと、一枚の企画書を差し出した。
その内容にかなでは驚いた。

「亡くなった母親の声を、息子に聞かせて下さい」

野沢は煙草をふかしながら言った。

「やり甲斐はあると思うんだがね。どっかな?」

「私がやるんですか?」

「だってご指名だもん」

「なんで!?」

かなでは思わず咳き込んでしまった。
野沢は煙草を消しながら。

「ほら、スーパーミヨシ。やったろ? あそこのオーナーとは古い付き合いなんだよ。望月の声が死んだ嫁の声に似てんだって客がいてね。んで、店長からオーナー、んでココって訳」

かなでは言葉が見つからなかった。
荷が重過ぎるのではないかと不安になった。

「アフレコでいいんだと。クリスマスイヴにさ、サンタさんのプレゼントってな具合にさ! やらない? 手当もつけるからさ」

野沢の笑い声が響き渡る。
かなではイヤとは言えなかった。
共働きの現実は、やじろべえみたいに不安定なのだ。
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