第8話 プレゼントをあなたへ

文字数 1,664文字

型落ちした固定電話の「再生」ボタンは、翔太が毎日触れていた証拠に、すっかり色褪せていて、死んだママの声にもノイズが入っていた。
隣のスピーカーボタンが、茜色に点灯しているクリスマスイヴの夜、
そこから流れ出る透明なママの声に、その場にいた全員が驚愕し、聞き入っていた。
可愛い歌声が、部屋の中に響いている。
生身の声が木霊して、躍動している。

「あわてんぼうの、サンタクロース~♫」

キャンドルの炎が揺らめくリビングに、かなでのやわらかな歌声がスピーカーを通して聴こえる。
息を吸い込む際の呼吸音は、鼻炎に悩まされていた凛子が、口呼吸をする時の癖だ。
愛おしい響きは、正博の心をかすめ、あたたかな響きは、翔太の記憶を包み込んでいった。

「あわてんぼうの、サンタクロース。クリスマスまえに、やってきた~♫」

翔太がもっと幼い頃、凛子はクリスマスにこの歌を好んで歌っていた。
慌てん坊なのが、自分と似ていると言っていた。
翔太の頭を撫でながら、柔和に微笑むその表情が、正博の脳裏に浮かんでは消える。
忘れたくても忘れられない、蓮の花の隙間に浮かぶ枯葉のようにー。
翔太は涙を堪えながら、口元を固く閉ざしていた。

「翔太は強い子なんだぞ!」

生前の凛子の言葉を裏切りたくはなかったから、そうしていた。
野沢は、翔太を抱いたまま、かなでの歌声に合わせて身体を揺らした。

「いそいでリンリンリン。いそいでリンリンリン。鳴らしておくれよ鐘を〜♫リンリンリン。リンリンリン。リンリンリン♪」

凛子は今、この場に存在している。
匂いも体温も、記憶の全ても、この場に居合わせたひとりひとりに存在している。
それは、生きているのと変わらなかった。

「翔太ぁ~」

翔太は、野沢サンタの胸に顔を埋めながら、ちいさく返事をした。
涙を見せたくはなかった。

「ぅん」

「翔太ぁ~」

「ン…」

野沢の胸元が、翔太の涙で熱く濡れていく。
じんわりと、ゆっくりと広がっていく。

「サンタさんにね、お願いしたんだよ翔太ぁ~、ずぅっとがんばってくれたんだよね〜」

「ぅん…」

「だからね。神様がね。ごほうびくれたんだよ翔太ぁ〜、だってさ、クリスマスだもんね」

翔太は顔をあげた。

「ママはどこにいるの?」

「翔太を見ているんだよ。おそらと、くもさんのまんなかかな」

「そこにいるの?」

「そうだよ。ママの夢を叶えてくれるお店やさんがあるんだ。そこから翔太を見ているんだよ」

お店やさんと言う表現は、翔太がついこの前まで使っていた言葉だった。
かなではそのことを、保育士から聞いていた。

「ママねえ。翔太のおかあさんに生まれて、とーってもしあわせだったなあって思っているの。いつかきっと、また生まれかわれるなら、翔太のおかあさんで生まれたいなって思っているんだよ」

「ぅん、でも…」

「でも…?」

「急に居なくならないでよ…」

「…」

「居なくならないでよ…」

「うん、ごめんね、翔太ぁ…」

「ンん…」

「翔太ぁ…」

「ンん」

「やさしい翔太のままでいてね。そして時々でいいの。ママのことを思い出して欲しいな」

「ンん」

翔太は、腫れ上がった瞼を何度も擦った。
野沢は翔太を床に降ろし、その逞しい背中を撫でながら言葉をかけた。
あまり長い時間を費やしてはいけないと、とっさに思ったのだ。

「翔太くん。ママに言わなくちゃ!」

翔太はこくりとうなずいて大声で叫んだ。
抑えきれない感情と、これまでの想い出全てを言葉に詰め込んだ。

「ママあああああ!」

翔太は思いきり深呼吸をした。
頬が丸く膨らんだ瞬間、翔太の想いは弾け飛んだ。

「ハッピーバースデー!」

穏やかな時間が流れてゆく。
ひとが存在しなくなる時期は、想い出が完全に消えた時 。
それは、その人と関わった沢山の人間が、命を全うした瞬間だということなのだ。
そう感じだ正博も叫んだ。

「凛子!」

正博は震えていた。
容赦無く、涙が溢れ出た。
ずっと我慢をしていた。
限界だった。
翔太と同じく、想いの全てを言葉に詰め込んだ。

「メリークリスマスイヴ」

凛子の声がハッキリと聴こえた。

「あははー。メリークリスマスイヴ。正博さん」

紛れもなく、凛子は生きていた。
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