第三話 白猫
文字数 1,678文字
ふわふわとした白猫が行く城の廊下は人だかり。
行く手を阻 まぬように、注意深く廊下の隅に寄る者、そろりそろりと後ろから着いて歩く者。家臣たちは遠巻きにして、雪玉のような奥方の愛猫の城内散歩を見守る。
「お雪どの、相変わらずの美猫ぶり。ところで今朝の奥方様のご機嫌はいかがですかな」
猫好きな家臣が声をかけると、白猫は一瞬足を止め家臣の顔をじっと見つめ「にゃー」と泣き、宙に浮かぶような軽やかさで明石城の奥へ消えた。
「堀越 左近 が尼崎から連れて来た美童は只者 ではない。昨夜も殿は、すっかり手玉に取られていた」
隠密 の金井新平が城内の裏庭で、気のおけない友の古谷金蔵と話している。
「確か、歳は十三。名を長坂小倫といったな」
「うむ、殿のご執心ぶりは驚くばかり。毎晩、小倫ばかりを伽 に召し出している。尼ヶ崎の生田で左近が大雨に降られ難儀をしていたところ、傘を持って現われた。傘をささずに、ずぶ濡れになって現われた美童だ。長坂主膳という浪人の子で、親子三人で甲州から豊前へ向かう途中、父親が病死。仕方なく生田で暮らすことになり、母親の唐傘作りで養われていたそうだ」
「母の作った大切な売り物の傘を雨で濡らすことはできないというわけか。姿も美しいが心根も美しい。母親思いの孝行者だ」
金蔵が感極まった様子で空を仰ぎ腕組みをする。
「ふふふ、はたしてそうかな。雨でずぶ濡れになった美童は、さぞ美しかったことだろうよ。思い浮かべてみろ。夏の薄衣 が肌に張り付き柳腰 も露 になる。つまり裸同然だ。黒い濡髪が頬を飾り、よりいっそう艶 かしく美しく見えたことだろう。母親は色小姓として奉公させたくて、わざとそんなあられもない姿で、左近の目前へ傘を持って行かせたのではないか」
新平はにやにやと笑う。
「なるほど、案外そうかもしれぬ。いやはや、どれほど」
ごくりと生唾を飲み込む二人だった。
「孝行息子なのか色仕掛けなのか、よくわからんが、強 かな親子には違いない。おれも閨 であの鶯 のような美声を思うがままに囀 らせてみたいものだ。ひひひっ」
金蔵が甲高い声で笑った。
剣術の朝稽古を終えた若者が庭を横切り、じろりと二人をにらみつける。
「朝から大声で噂話ですか。お聞き苦しいですぞ。いい大人がそのような、小倫どのを貶 めるような物言いは感心いたしません。小倫どのは白梅のように清楚で真っ直ぐな気性のお方。殿の覚えが良いのは当然のこと。あまり閨のことを吹聴 したり、妙な噂話をするのはよろしくないですな。幼い身で懸命に殿にお仕えしている小倫どのと、ご苦労しながら女手一つで息子を育て上げた母君に対して、あまりにも礼を欠くのではありませぬか」
「これはこれは、神尾 惣八郎 どの。ご立派になられて。その上、ずいぶんと耳が良ろしいようですな。我らの話しを盗み聞きする趣味がおありとは、驚きましたぞ。さて、そろそろ拙者は暇 いたしまする。一晩中、殿と小倫の睦言 を障子の陰から聞かされていて、いささか疲れましたゆえに」
優男 の金井新平がそう言って、糸のような細目で睨 む。
惣八郎は表情一つ変えずに、いかにも剛毅 な若侍然として二人の横を通り過ぎた。
「ふん、母衣 大将の神尾 刑部 の倅 か。おれたちよりも十も若輩のくせに生意気な。汗臭いだけの、おもしろみのない堅物め」
新平が吐き捨てるように言った。
「ははははは、あやつは色恋とは縁遠い。武芸だけに精を出す堅物 だ。もう二十になったのか。岩のような顔をして。あれでは一生恋の相手も見つかるまい」
二人の笑い声が天高く響く。
惣八郎は手ぬぐいで汗を拭きながら、逞 しい背をやや丸めて城内の小道を行く。
「また、余計なことを言ってしまったな。だが、小倫どのを悪く言うのだけは聞き捨てならん」
「にゃー」と、どこからともなく現われた白猫が、惣八郎の黒々と毛深い脛 にすり寄り喉を鳴らす。
「おやおや、お雪どのか。いつも愛らしい。おれは人付き合いが苦手だ。親しい友もいない。どうやら、人よりも獣 に惚れられるようだ。お雪どのは、おれの嫁になりたいのか。ははははは」
白猫はいつまでも、惣八郎に纏 わり付き離れようとしなかった。
行く手を
「お雪どの、相変わらずの美猫ぶり。ところで今朝の奥方様のご機嫌はいかがですかな」
猫好きな家臣が声をかけると、白猫は一瞬足を止め家臣の顔をじっと見つめ「にゃー」と泣き、宙に浮かぶような軽やかさで明石城の奥へ消えた。
「
「確か、歳は十三。名を長坂小倫といったな」
「うむ、殿のご執心ぶりは驚くばかり。毎晩、小倫ばかりを
「母の作った大切な売り物の傘を雨で濡らすことはできないというわけか。姿も美しいが心根も美しい。母親思いの孝行者だ」
金蔵が感極まった様子で空を仰ぎ腕組みをする。
「ふふふ、はたしてそうかな。雨でずぶ濡れになった美童は、さぞ美しかったことだろうよ。思い浮かべてみろ。夏の
新平はにやにやと笑う。
「なるほど、案外そうかもしれぬ。いやはや、どれほど」
ごくりと生唾を飲み込む二人だった。
「孝行息子なのか色仕掛けなのか、よくわからんが、
金蔵が甲高い声で笑った。
剣術の朝稽古を終えた若者が庭を横切り、じろりと二人をにらみつける。
「朝から大声で噂話ですか。お聞き苦しいですぞ。いい大人がそのような、小倫どのを
「これはこれは、
惣八郎は表情一つ変えずに、いかにも
「ふん、
新平が吐き捨てるように言った。
「ははははは、あやつは色恋とは縁遠い。武芸だけに精を出す
二人の笑い声が天高く響く。
惣八郎は手ぬぐいで汗を拭きながら、
「また、余計なことを言ってしまったな。だが、小倫どのを悪く言うのだけは聞き捨てならん」
「にゃー」と、どこからともなく現われた白猫が、惣八郎の黒々と毛深い
「おやおや、お雪どのか。いつも愛らしい。おれは人付き合いが苦手だ。親しい友もいない。どうやら、人よりも
白猫はいつまでも、惣八郎に