第六話 げに恐ろしきは

文字数 2,926文字

 
 わらわは七日後、潮風香る明石の城へ独り来た。
狸一族の禁忌(きんき)を犯し、狸の姿に戻れなくなり、人として生きることとなった許婚(いいなずけ)が気になる。
父様(ととさま)(あや)めた小蓮、いや、小倫はいずれ天罰をうけるであろう。
夜中に大書院の屋根に登り、暗い海原を眺めながら呪いの言葉を散々吐いたわらわだが、小倫を心底憎むことができない。
離れたくないからここにいる。
狸に戻れる日がくることを願っている。
赤目の白狸では目立つから、またもや白猫お雪に化けた。
小倫はわらわを見て見ぬふりしている。

 父様の血の匂い()み着く築山の西の桜茶屋。
殿が小倫の武勇を語り継ごうと、戸も破られたまま残しているらしい。
小倫が殿から嫌われるように仕向けたいのだが、わらわにはその(すべ)がわからぬ。
今は城内の人々を見張っている。
すると、小倫を嫌っている(やから)を一人見つけた。
金井新平という殿の隠密は、いつも庭の茂みでひそひそと友人の金蔵に小倫の悪口を言う。
どうやら、新平は小倫にやきもちを焼いている。
何でも、昔は殿に寵愛された小姓だったそうだ。
それにしても、よくしゃべる隠密。
にゃーと近づくと、しっしっと追い払われた。

 実は殿が寵愛しているのは小倫だけではない。
他にもお気に入りの小姓が何人かいる。
閨に()されない夜、小倫は寂しそうな泣き出しそうな顔をする。
胸がすく思いじゃ。
自惚(うぬぼ)れも大概(たいがい)にせい。
殿がぬしだけを好いていると思うなよ。愚か者め。
奥方は豊満な美女で床上手じゃ。

 ふさふさとした(けもの)のような(すね)を持つ武士、惣八郎。
擦り寄ると、(たくま)しい腕で優しく抱いてくれる。
わらわはこの者が好きじゃ。
だが、遠くに小倫の姿を見つけた時、惣八郎の様子がおかしい。
あきらかに胸の鼓動が高鳴っている。
まさか、小倫の念者になりたがっているのではあるまいな。
惣八郎のこの腕を胸を小倫に渡してなるものか。

 妖魔の(すべ)を持つ我が狸一族の禁忌とは人肉食い。
六甲の山で若狸小蓮は愚かなことに、小倫の死肉を喰らってしまったのだ。
それほどまで、骨まで喰らってしまうほど美童小倫を愛しく思っていたのか。
憎らしい。
我々狸は情が深く心根優しい(ゆえ)に、人の念を受けやすいと父様が言っていた。
怨念、情念、執念、愛念、多くの強い念を持って人は生きている。
そんな人の死肉を喰らえば(おのれ)を失くす。
体を人に奪われてしまい、狸には戻れぬ。
人という生き物に成り下がってしまう。
この世で一番恐ろしいのは人じゃ。


 明石の海風も凍える、十二月二十三日の煤払(すすはら)いの日の夜。
重そうな葛篭(つづら)を二人の下男が運んでいるのを見た。
わらわはこっそり後をつける。
何と殿の閨の隣にある部屋に葛篭は運ばれた。
天井裏から覗くとその部屋には、艶やかな小袖に帯をかるた結びした小倫が待ちわびていた。 
葛籠を開けて愛しい念者の姿を見た小倫の嬉しそうなこと。
季節はずれの白梅がほころんだようじゃ。

 固く抱き合った後、二人はくねくねと蛇のように絡み合う。
口吸いされて惣八郎に身を任せ、夢見心地のうっとりとした目で宙を見つめている。
あきれた。かるた結びの帯も解かずに裾をめくり上げて淫らな様子。
小倫の尻は光り輝く月か。
腹立たしい。

 わらわは隣の部屋で高いびきの殿の枕元へ行き、殿の月代(さかやき)に爪を立てる。
殿は驚き飛び起きた。
そして、隣の部屋の歓喜に満ちた熱い吐息に気づく。

「小倫、そこで何をしておる。さては、忍び男を連れ込んだな」
怒鳴り起き上がると、恐ろしい剣幕で素槍(すやり)を構え(ふすま)を開ける。
小倫は情を受けたばかりの熱い玉の肌を厚い寝間着に包まり、素早く隠した。

「殿、いかがなさいましたか」
慌てて袖にすがりつく。
間一髪、夜の闇に紛れてどうやら惣八郎は逃げおおせたらしい。
殿は息を荒げて辺りを見回した。

「先ほどの(あや)しい物音は狸です。障子を開けて外から狸が入ってきましたが、すぐに何処(どこ)かへ走り去りました」
寝間着の下で乱れた着物を直しながら平然と答える。

 ふん、惣八郎は狸だったのか。
笑わせてくれる。
だが、あのおしゃべりな隠密の新平は見ていたらしい。
「若い男が部屋から飛び出したのを見た」と殿に告げ口したのだ。



 三日後の海も空も白く()てついた朝、城内の武道場に小倫は呼び出される。

「やはり、部屋に男を招き入れたそうだな。見た者がいる。相手は誰だ。正直に言えば許してやる」
薄笑いを浮かべた殿の手には、残忍な光を放つ長大な薙刀(なぎなた)が握られていた。
小倫の鼻先に近づけて、怖がらせようとしている。

 武道場には武芸に励む小姓、若い家臣たちが数人いた。
皆、稽古を止めて神妙な顔で殿と小倫の痴話喧嘩(ちわげんか)の成り行きを見ている。

小倫、早く名を言ってしまえばいい。
素直に謝ればいい。
武道場の格子(こうし)によじ登って、わらわは様子を伺った。

「言いませぬ。その者は大切な念者です。小倫に命をくれた者。小倫だけに想いを寄せてくれる者。たとえ、この身が切り刻まれようとも言いませぬ」
怯えた様子も無く平然と言ってのけた。

「何だと」

薙刀の切っ先を下げて、うつむいた殿の様子がおかしい。
目つきが変わっていくのがわかる。
小倫の馬鹿、殿を本気で怒らせてどうする気じゃ。

「そういえばいつか、わしに指を(かじ)るなと、念者に与えるものだと言っていたな。ならば、念者に与えられぬように、こうしてくれるわ」
薙刀を放ると、目にもとまらぬ早さで腰に差した名刀を抜き、小倫の白く柔らかな左手を切り落としてしまった。
 
 事の成り行きを見守っていた家臣たちから、悲鳴とざわめきが起こる。
小倫は唇を噛みしめ、手首を押さえて床に崩れ込んだが、すぐに右手を着いてゆらりと立ち上がった。
可憐な桜が描かれた振袖に赤い血の花が咲く。

「これで、どうだ。早くその男の名を言え。命だけは許してやる」

「言いませぬ。こちらの右手は念者のための手。愛しい念者の背や腹をさすりました」
そう言って右手を殿の目の前に差し出す。

「何だと。許さん。二度とそんなことができぬように、右手も切り落としてくれるわ」
殿は怒り狂い、ためらうことなく右手も切り落とす。

灰色の袴に赤黒い雲が広がっていく。
痛みに震える青い顔で小倫は、よろよろと歩いた。

「皆様、長坂小倫のこの美しい若衆姿は今日で見納めです。どうか目に焼き付けてくださいませ」
消え入りそうな声で言うと、皆すすり泣く。

殿に背を向けていたが、首をわずかに(かたむ)け優雅に見返り、この世の者とも思えぬ凄艶な流し目を送った。

「ふふふ、殿、愛しい念者にも背中から抱かれました。存分に妬いてくださいませ」
小鳥のさえずりにも似たその声。

 
 殿が薙刀を再び手にして構えた瞬間、わらわは無我夢中で格子の間から飛び出し、殿の腕に飛びついた。

「ええい、何だ、この猫め、邪魔をするな」
「ふぎゃあーふぎゃあーふぎゃー」
大騒ぎしてぶら下がったが、振りはらわれた。

早く、逃げよう。殿は嫉妬に狂ってしまったよ。
今度は小倫の肩に飛び乗った。
 
嗚呼(ああ)、何だろう。
たくさんの赤い椿が散っている。
だんだん暗くなっていく。
これが天罰なのかいな。
嫌じゃ、こんなはずではなかった。

げに恐ろしきは美童の小倫。
狸の体を奪い(よみがえ)る。
小倫のせいで殿は気狂い。
惣八郎は切腹か。
許婚(いいなずけ)だもの、おぬしとわらわ
あの世で尻尾狸(しっぽり)結ばれる。

明石の殿の薙刀光り、白猫お雪と小倫の細首飛んでいく。 了
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