8話 少女の傷

文字数 4,005文字

 夕刻。
 淡い斜光が照す山肌には瞼を擦りながら伸びをする虎の獣人、ヴァティーの姿。
 胸にはクロスビキニのような布が巻かれている。

「何これ?」
「着けてなさい。悪いものじゃないから」

 地面に寝転がるヴァティーの傍には蠍の獣人、セルケトがいた。

「へ〜、いつも走る時に邪魔だから胸縛り付けてたけど、これいいな!」
「あの人がくれたのよ」

 あの人とは、二人に背を向け焚き火の番をしている六道を指す。

「え!? これリクドウが?」

 両手でぽよぽよと胸を弾ませ、着心地を確認する。

「ん〜ッ! リクドウがくれる物ならxxxでも大切にするよ〜! あ〜んっ、好き好き〜!」
「お〜、危ないぞー」

 料理をしている背後に飛び掛かられ、全身でスリスリされる。

(食事前にxxxはやめてくれ……だとしても好きだが)

 セルケトがため息交じりに、鋏でヴァティーの後足を掴むとズルズルと引きずってゆく。

「はいは〜い、ごめんなさいね〜」

 されるがまま引き離された先で始まるヒソヒソ会議。
 寝ぼけ眼のヴァティーにセルケトが告げた。

(嬉しいのはわかるけど、あんた今何言ったか分かってる?)
(ん〜……んっ!?)

 尻尾がピンと伸び、顔が一気に熱くなる。
 ——ボッ!

「これは……これは、違うのーーーー!!」

 寝起きの顔を真っ赤に変えて、斜面の向こうへと飛び跳ねて行った。

「……これで邪魔者は消えたわ」
(——っ!? まさか、そうだったのか? この歳でモテ期到来とは恐れ入る。それか、メインディッシュにされるかのどちらかだが)

 背を向けたまま額に手を添え平静を装い、多重の足音が近づくのを感じ取る。

「ねえ、世界で一番東の島国ってドコ?」

 その強い語気から日本に興味がある訳ではなさそうだ。
 一瞬で空気が張りつめる。

「腕時計の短針を太陽に向けて、文字盤の12時との丁度真ん中が南だよ」

 全く見当外れな説明の上、その腕に時計はない。
 腕時計を着けない派である。

「ああそう……じゃあ、ここまでどうやって来たの?」
「気がついたら此処にいた。じゃ、ダメかな」
「アレは貴方がやったのよね」

 振り向くと平地の爆心地を指差していた。

「いやいや、そんな……」

 余りに身に覚えのない容疑に、六道は半笑いだ。

「あくまで恍けるのね。うまく血の匂いを隠しているようだけど、ニンゲンは美味しかった?」

 ————。
 一瞬の静寂、いま何と言ったのか。

「え〜〜っ!? いやいやいや!」

 片側の眉がつり上がり、瞳孔が開く。
 手を仰ぎ動揺を露わにするが、根拠のない否定を繰り返しても嫌疑は一向に晴れない。

(寧ろ私か? 君たちの方が人間を食べそうだろ)
 とは言えず。

(私も人間だぞ!)
 とも言えず。

 なぜ二人して六道をカニバリストと決めつけるのか。

「なんにも言えねぇ」
 って言っちゃった。

 後悔しつつセルケトの顔色を伺う。
 彼女は手首のブレスレットを前に翳し、血の気の引いた顔の上、毅然とした表情を取り繕っていた。

 ——『魔具』——

 明確な敵意を向けられ固まる六道。
 次の言葉の返答によっては行使するという意思表示である。

「あの娘のこと、殺さないでくれますか」

 唖然とした。

「……わけないだろ。殺すわけないだろ! はあああっ、何だよ。あの娘の胸、揉まないでくれませんかとか言われんのかなとか思ってたわ」
「あの娘の胸、揉まないでくれませんか」
「ついでに要求しないで」

 張り詰めていた空気が緩む。
 どうやって意識の差を埋めるか、頭を抱える六道。

「私はね、生きていることが幸せなんだ。生きているだけで幸せなんだ。それで出来るなら、好きな人達と一緒にいたい。ただ、そう思ってるだけだよ」

 セルケトは物珍しいそうに六道を見つめると、険の無い表情に戻る。

「貴方、変わってる……優しいこと言うのね」
「そうかな、珍しくもないよ。優しい人間だって沢山いるさ」
「——っ!」

 突如痛々しい表情に変わり、視線を逸らすセルケト。
 己の腕を抱え、寒さを堪えるように摩り出した。

「優しいニンゲンなんていない……ニンゲンなんて……」

 続く言葉を紡ごうと足掻く、その様を目の当たりにして、ようやく気付いた。
 彼女の言う人とはニンゲンのことでは無く、亜人やヒト種の魔族のことだろう。
 六道は、相手と自分が誰なのかを失念し、口を滑らせた。
 人間嫌いと知っていたのに、ニンゲンという言葉を持ち出し、不用意に混乱させ、トラウマを引き出してしまった。

(——私は、最低のトラウマぐりぐり人間だ)

 六道は己を恥じる。
 その浅慮さ、思いやりのなさ、気の効かなさに悔いた六道は一つの行動を起こす。

「まあ人間の話は置いといて、それよりもおっぱいの話に戻ろう」

 それはメガネのゼスチャー。
 OKマークを作り、肘を曲げたまま、肩より上へ腕を掲げ、両手を目元に添える。
 そして苦し紛れのセクハラ発言であった。

「何ですかそれ。不快です…………ふふっ」

 気丈に振る舞い不快感を示すが、思わず吹き出すセルケト。
 それを切っ掛けに、六道は大声で笑う。

「ワッハッハッハ!」

 セルケトが言葉を紡ごうとする時間が長ければ長いほど、それだけ彼女の心は自傷してしまうところだった。一時でもトラウマを忘れさせ、話題を逸らせるならば、いくらでも道化を演じようと行動した六道。
 その思いに反し、セルケトの中で六道の存在がスケベキャラに確定したのだった。

 ****

 緊迫した空気の連続に神経を擦り減らした六道。
 この世界の人間に会うのも次第に怖くなり、特性ミネストローネの味見をするも肝心の味がしない。

「よーし、できたぞー!」

 とりあえず、できた事にした。
 焚き火にかけた鍋から木皿に装い、二人が来るまで冷ましておく。
 ヴァティーは、きっと猫舌だろうという思い込みから生じた親切。
 すぐさま駆け寄ってきたヴァティーは飛びつくように木皿を受け取ると、鼻から一杯に香りを吸い込み、ほうっと息を漏らした。
 先程までの痴態など忘れ、モグつきながら快活な笑顔を六道に向ける。

(……やはり好きだ)

 風にあたりたいと言っていたセルケトも戻り、木皿を受け取るとペコリと会釈で返した。
 表情にも柔らかさが戻っている。
 頭を上げる所作に首元のホクロが目がついた。

「あ、胸元見ないでくれませんか」
「散々、トップレスだったくせに?」
「はい」

 表情も変えない淡々とした返事。

(いつの間に嫌われたのだろう、そんな要素あった?)

 よくよく思い返す六道。

『まあ人間の話は置いといて、それよりもおっぱいの話に戻ろう』

 VRが解答を提示する。

(うん、それだ! 咄嗟のことではあったが、なんてエネルギッシュなセクハラだよ。こんなんアメリカでも弁護士つかんわ!)

 三人で火を囲み食事をとる中、すっかり肩を落す六道。
 心労で特性ミネストローネの味も感じないし、細かく刻まれた人参、じゃがいも、大豆の食感の違いもわからない。
 そんな中、六道の意識が逸れていることを確認すると、セルケトがひそひそ声で語りかける。

(ねぇ、ヴァティー……)
「ん?」

 話しかけられても夢中で頬張り続け、絶対に手は止めない。
 食事に対する強い意志を感じる。

(……どうしたら、そんなにおっぱい大きくなるの?)

 つまり、今までその質問をしたことがなかった。

「う〜ん、ねえ六道! どうしたr……」
「わーーーーっ! わーーーーーーっ!」

 空の木皿と鋏を振りまわしヴァティーと六道に割って入る。
 こんなに恥ずかしい相談を口外されたら、尻尾の針を背に刺して自害したくなる。

「元気だなぁ。おかわりなら、まだまだあるよ」

 嫌われていると思っていた相手に距離を詰められた六道は、嬉々とスープを装う。

「うん、そうなの! お腹減ったな〜私、食いしん坊だからな〜!」
「そうだっけ?」
(そうなのよっ!)

 六道からは見えない足元で、蠍の鋏がヴァティーの前脚をギュムッとつねる。

「うひぃ」

 低い声を漏らし、木星の重力にでも掴まったように表情が引き下がる。
 涙目のヴァティーは、それでも食の手を休めない。
 食事に対する強い意志を感じる。

(——?)

 男には見えない女の攻防、気付けても表情の変化が精々だ。

「苦手なものあった?」
「……わかんない」
「わからない!? そんなことある?」

 人間関係は、少しずつ変化を見せる。
 こうして楽しい食事の時間は過ぎていった。

 ****

 夕飯を終え、食器も洗い、ベッドで二人がはしゃいでいるのを確認した六道は、焚き火の番をしつつも、何処かソワソワして落ち着きがない。

(そろそろ時間のはずだ……VR起動!)
『新着メッセージが52件あります』
(うん、全部消しといて)

 期待外れの報告。
 どうせ迷惑メールだ。しかし時は来た。

『ダウンロードが完了しました』
「やった~! ようやくか! 長かったぁ!」

 丸太から飛び上がり、高々と拳を掲げる。

『インストールを開始します。インストール終了まで残り6時間』
「……なななな、なん、だと!?」
「どしたの?」

 六道の大きな独り言に反応し、テントから顔を出すヴァティー。

「よっしゃ、寝るかぁ!」

 目を丸くしつつも割り切り、大手を振って諦めた。

 世界の理が歯車のように回り出し、運命の秒針が今宵の夢と繋がったことを彼はまだ知らない。
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登場人物紹介

異世界転移した六道厳(りくどうげん)はアラフォー男性である。

年齢:44歳 

所業:酒類を扱う仲卸店のサラリーマン兼バーテンダー

ファンタジー知識を持ち合わせないイケメン紳士であり、それ故に異世界モノの常識が全く通用しない。

VR(ブイアール)

突如視界に現れた、宙に浮く半透明の液晶アイコン。

女性の声音で、脳内に直接語りかける。

六道の冒険をサポートするが、これはきっとVRじゃない。

ヴァティー:

虎のセントール(ケンタウロス)

豊かな胸部の持ち主。その胸を荒縄で、横一文字に縛り付けている。

オレンジが溶け込んだピンク髪のサイドアップ。

セルケト:

蠍のセントール。

長い黒髪に幼い少女の姿。

対照的な蠍の下半身は、さながらミニ戦車と言える。

典型的なツンデレ。

デスマスク:

男はそう名乗った。

夢幻回廊で邂逅した髑髏の鉄仮面。

事情通のようだが、その風体は異様の一言に尽きる。

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