第5話 『虎娘とドキドキ☆山キャンプ』

文字数 5,485文字

 虎の獣人ヴァティーに対し、なんとか人間バレを回避した六道。
 何故か、六道が人間ではないという無理な説明を鵜呑みにしてくれたようだ。

「ねぇ〜、ジャパニーズってどこに住んでるの?」
「ん〜、世界の一番東の島国だよ」

 引き続きフライパンの火加減を見る六道は、自身の腹部の辺りからする声に返答した。

「ん⁉」

 座する自身の膝にはヴァティーの上半身。
 猫のように寝転がり、こちらを見上げながら肉を頬張っていた。

「んんんん⁉」

 距離の詰め方が、欧州サッカーのレベルを超えている。

「東大陸の向こうかな。魔女都市を越えてきたの?」
「魔女は……見た事ないな」
「え〜、じゃあどうやって中央大陸まで来たのさぁ〜」

 動機が止まらず、会話の内容もろくに頭に入らない。
 匂いを嗅ぎながら、六道の腹部に顔を埋めウリウリしてくる虎娘。
 このドキドキが普段の更年期障害の初期症状でないことぐらいはわかる。

「いやいや、初対面でこれは良くないぞ! 娘さん!」

 ヴァティーの肩を掴み、上半身を起こさせる六道。
 それに対してヴァティーは、ムッと表情を怒らせる。

「娘さんだとぉ! じゃあリクドウは、いくつなんだよ!」
「え⁉ 私は44歳だが……」
「若っ!」

 驚いたのは六道も同じ。

「そんな若い子に……っ⁉ にゃにゃにゃにゃにゃにゃ!」

 六道の元から離れ、高速で後退りをするヴァティー。
 アタフタと赤面した顔を両手で仰いでいる。

「なんだろう……すごく良い匂いがしちゃって……う〜、恥ずかしいっ」

 言い訳しつつネコミミを激しく動かすと、顔を逸らして駆け出した。
 ギリギリ焚き火の明かりが届く辺りで、六道に背を向けしゃがみ込む。
 あまりに恥ずかしかったのか、頭を抱え尻尾をブンブンと振り回す。
 そのせいで尻尾の下、股の間に咲く蕾を六道は直視してしまう。

「MK5……」

 六道は戯れ言を発した。

(うん……普通に好きだわ、まだ出逢って大した時間経ってないけれども、下心も相まってるだろうけども、普通に好きだわ! なぜ私達は元の世界で出会えなかったのだろうか、なぜ種族が違うのだろうか、色々考えるとこはあるけれど、普通に好きだわ‼)

 声にならないというよりも、言葉にしなかったというのが正しい。
 冷静に構えた外見とは裏腹に、内心取り乱す六道。
 彼の精神状態は、破竹の勢いでプライドロックを駆け上がり、ヒヒからシンバを奪い取って掲げる勢いであった。
 そんな内心を秘めながら、六道はヴァティーの臀部に語り掛ける。

「ゴホン……大丈夫。フレンドリーに接してくれて、私は嬉しかったよ。ここに来てから、ずっと一人で寂しかったし、君が来てくれて本当に嬉しかったんだ」

 焚き火の手前で立ち上がり、寂しげに、目尻にシワを寄せ、六道は不器用に微笑んだ。
 肩越しにその表情を見たヴァティーは、おずおずと聞き返す。

「……ほんと?」
「本当だよ」
「ふーっ! どうしちゃったんだろう私……落ち着いたから大丈夫っ!」

 パタパタと両手で赤面した顔を扇ぎながら戻るヴァティーは、今度は密着はしない程度の距離に座り直す。虎の胴は完全に寝転がり、人型の上半身は突いた手を支えに寄りかかる形で起している。
(なるほどな! 人間みたいに座るのが難しかったのか……)

「地面に座りずらかったら、ベッドを使ってくれ」
「……」

 一瞬の沈黙。言ってハッとする。

「いや!? 深い意味はない!」
「ベッドって何?」

(お〜マイ、そっちか!!)

 地雷を踏むのが止まらない。
 地雷原のバレリーナは、プリマの域に達しようとしてた。

「そこに休める場所があるから、好きに使ってくれ」
「ほんと!? ここまで走って来たから、何から何まで助かるよ〜」

 そういうと身体を起し軽く駆け出した。対して焚き火を見つめつつ、何から質問しようか思案していた六道は、簡単な質問を背中越しに投げる。

「私が言えたことではないが、どうしてこんな山奥に?」
 ——ドガンっ!
「⁉」

 肩をビクつかせ、恐る恐る振り返る六道。それは虎がベッドにダイブした音だったが、頑丈な樫で作られていたことが幸いし、ベッドに大事はない。

「ん〜っ! 柔らかい! ——っ⁉」

 一瞬の沈黙に、その都度震え上がる。
 彼はパブロフの犬でもある。

「ど、どうした?」
「——人間の女の子の匂いがする」

 ドッキーーーーッ‼

 六道には決して、後ろめたいことなどない。
 しかしながら、そのひと言は男の心臓を穿つに十分な威力を有する。
 アイテムの説明を飛ばし読みしたツケがどうのと省みる間も無く。言い訳を放つ。

「その家具も拾ったものだ。私は……なんでも拾い集める生き物なんだよ」
「……ふ〜ん」

 振り向く勇気がない六道。確かなことは一つ。

(これは信じてない方のふ〜んだ)

 すっかり血の気が引いてしまったが、代わりに冷静さを得る。

「人間が嫌いなのか?」
「う〜ん、人間嫌い……いや、友達がね」

 後ろから聞こえる声には、彼女の持ち前の明るさは無く。

「同じ種族?」
「ううん、セントールにも色々いるのよ。彼女はねぇ、蠍っぽい!」
(セントール……中津くんとの会話に出た事は……無いな。見たところケンタウロスのように見えるが)

 六道が持つファンタジー知識、唯一の情報源である後輩中津との会話に該当する単語はなかった。

「もしも、私の見た目が嫌われなかったら、ヴァティーの友人にも会ってみたいものだな」

 嘘です。
 蠍の獣人、今度こそバケモノの可能性がある上、人間嫌いのそれ等と会うわけにはいかない。

「……う〜ん、そうね……」

 微睡む声の方へ振り返り、ヴァティーがベッドの上で丸まっているを見遣ると、六道は焚き火を突きながら思案していた。

(どうやったら元の世界に戻れるかなど聞いても、ヴァティーは答えを持っていないだろうな)

 考えを巡らせながらパンツ一枚で焚き火の番をする六道。
 とてもじゃないがスーツは一日では乾かない為、着替えもなく寒い。

(そういえば、VRは完全に鳴りを潜めているな。未だ視界にキーボードは残り続けているが、ヴァティーが何も指摘しないということは、やはり私にしか見えていないのか……)

 胸中の独り言に返答して来た経緯を思い出し、念ずることでVRの起動を試みる。

(起動してくれ)
『新着メッセージがあります』

 起動するなり、聞き慣れた女性の声が頭に響く。

(新着メッセージ?)
『ケモノ娘と仲が良さそうでよろしいかったですね。異種姦を楽しんで性病を貰うと宜しいです。from.植物系御姉様』

 ドッキーーーーッ‼

 思わず周囲を見回す六道。
 何故ならメッセージの内容を、ハッキリとした音量で読み上げられたからである。
 こんな内容をヴァティーに聞かれた日には、誤解を生むであろうし反感を買うこと待った無し。虎の爪で一発である。日本人女性のビンタなど比ではない。
 しかしヴァティーはベッドに寝転がったまま、焚き火にあたるこちらを眠りかけの眼で静かに眺め微笑んでいる。

(セーーーーッフ! ……私にしか聞こえず、私にしか見えない、か。というより知らない人からメールが届いちゃってたよ。しかもトゲが凄い……今このトゲがすごい!)
『面白いです』

 感情の無い、登録した通りの賛辞が返る。

(それに誤解してもらっては困るが、私が女性に手を出すことは絶対に無い……無いのだ。かといって男にも手は出さないぞ、って誰に弁解しとるんだ私は……)

 ガクリと落とした頭を抱える他ない。

『先程の意見をメインサーバーへ送信しました。私は、全力で六道様をサポートします』
(そりゃどうも……今度からメッセージの内容は読み上げなくて良い。心臓に悪いからな。それと今後、植物系御姉様からの着信は拒否してくれ)
『読み上げ機能については設定を更新しました。着信拒否については命に関わりますが、よろしいでしょうか』

 ——突然の命の危機に瞳孔が開く。

(よろしくない! どうしてだ……着拒するとイカれた女が、薙刀でも持って殺しに来るってのか⁉)
『そうなります』
(なるんかい! ……そうなるんかいっ! どうなっとるんだ異世界のメール事情は、学生より大変だな)

 混沌とした異世界のメール事情に翻弄される六道は、今後もこの件で悩まされ続けることになる。

「ねえ、寒いでしょ? こっち来て」

 そして続け様、ケモノ娘によるベッドの誘いに悩まされる。
 この異世界において、今が冬や真夏など極端な季節ではないことはわかるが、標高が高いだけあり夜は冷え込む。

 半分は獣の素養を持つ彼女にとっては、互いに身を温めることは、生存に必要な行為であり常識なのかもしれない。

 郷に入れば郷に従え。
 郷に入れば郷に従え。
 郷に入れば郷に従え……

 なんの変哲も無いコトワザが呪詛や悪魔の囁きに化け、六道の思考領域を支配する。
 このように禍々しさを帯びた言葉だっただろうか。いいや違う。

「私は見張りをするよ。野犬が出るかもしれないし火を絶やすわけにもいかない」

 後半は嘘である。
 周囲の生態系など知る由もなく、火などアイテム選んで袖からボッ。簡単だ。

「アタシは……寒いな。寝てる時の火も落ち着かないし……」

 背後からの蠱惑的な誘いとモゾモゾと擦れる布の音に聞き耳を立てつつ、やれやれ困ったお嬢さんだと言わんばかりに大袈裟に肩をすくめる。

「ならば、しょうがないな」

(しょうがないな……しょうがないよな? しょうがなくない?)

 ヴァティーに背を向け焚き火を眺める六道の鼻の下は、伸びきるところまで伸びきっている。振り返るまでに表情を整えなければならない。

 それが男の嗜みであり生き様。馬鹿だというなら言ってくれ。
 いや寧ろ馬鹿だと言ってあげた方が彼の為かもしれない。

 立ち上がり、振り返った六道の顔は、不自然なほど凛々しかった。
 元の顔の良さも相まって、面白いほど凛々しい。
 銀交じるショートヘアーが焚き火の明かりを受け、情熱的に輝いている。

 スキップしたい心持ちだが、初めがそれでは格好がつかない。
 落ち着き払ったムーンウォークでベッドへ向かう六道。

 彼は少し頭がおかしい。

 そして裸足に直に履いていた革靴を脱ぎ、ベッドの左縁に手を掛けた。
 その瞬間、暗がりから飛び出す腕に捕まれ、驚く間も無く闇へと引き寄せられる。またも身体が浮く感覚を味わいながら。

(あら? これ死ぬパターンではないのか。危機感が薄かっただけかもしれないが、実際に彼女と私は違う生き物だ。夜食感覚で食べられる想像をしたのは……たった今だ)

 ——?
 しかし六道を待っていたのは、ひたすらに柔らかな感触であった。無重力に浮かぶ水玉を想わせるその感触は両頬より伝わる。
 つまりは自身の顔を覆い尽くすような乳房に挟まれていた。いつの間にか荒縄から解き放たれていた胸は、本領発揮と言わんばかりに柔らかさの猛威を振るう。
 下半身には暖かな毛布に包まれるような感触と、筋肉質な前足で掴まれる確かな感覚がある。当然身動きはとれない。

 六道は自分の立場を理解した。
 夜食で無かったことは幸いだが、これでは抱き枕である。

「ふっ……」

 やれやれ困ったお嬢さんだと言わんばかりに大袈裟に眉を寄せる。
 肩もすくませようと踠いたが、やはり身動きは取れない。その六道の胸中は、

(天国って、あるのかな……ここにあったのさ)

 今にも豪華客船の甲板を駆け抜け、船首のカップルを押し退け北大西洋へとダイブする勢いで高揚していた。
 身動き取れず息苦しそうだが、彼は幸せそうで、ヴァティーも幸せそうである。

 六道の頭髪に鼻を埋め、恍惚とした表情で彼を抱きしめると強く締め上げる。
 現状も悪くはないが、そも棒のような姿勢で眠れる訳もなく膝を曲げ、更にヴァティーの腰に手を回す。

「うにゅ〜……」

 回した腕がヴァティーの肌に触れると気の抜けた声が上がり、思わずドキッとしつつも彼女を落ち着かせるようにその背を撫でる。触れ合う素肌によって、相手がリラックスしてゆくのがわかる。
 人の肌と撫でごたえのある毛並みの境を撫でられるのが好きなようで、こちらに頬擦りで返す。
 触れ合うたびに六道は期待に高鳴る。
 心臓はニトロを注入されたかのように弾け、吐く息は荒ぶり、身体は熱を帯び、心なしか腰痛が普段より痛い。

(私も男だ! これはもしかするともしかす……)

 ****

 ——ゴガアアアアアア。
 山中に鳴り響く二つのイビキ。
 そこにはロマンチックもアバンチュールもない。
 あるのはどこまでも純粋な深い睡眠。そしてお互いを包みあう安らぎと癒し。

 元の世界で一日の労働を終えた直後、異世界でウェルカム爆風を浴び、最新テクノロジーにイライラし、ワイバーンと戯れ、テントを設営し、半裸の女性にドギマギし、メールに命の危機を感じた六道の体力は、とうに限界を超えていた。

 危うく一夏の終わりに過労死していくところであった。
 そして夜は深けてゆく。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

異世界転移した六道厳(りくどうげん)はアラフォー男性である。

年齢:44歳 

所業:酒類を扱う仲卸店のサラリーマン兼バーテンダー

ファンタジー知識を持ち合わせないイケメン紳士であり、それ故に異世界モノの常識が全く通用しない。

VR(ブイアール)

突如視界に現れた、宙に浮く半透明の液晶アイコン。

女性の声音で、脳内に直接語りかける。

六道の冒険をサポートするが、これはきっとVRじゃない。

ヴァティー:

虎のセントール(ケンタウロス)

豊かな胸部の持ち主。その胸を荒縄で、横一文字に縛り付けている。

オレンジが溶け込んだピンク髪のサイドアップ。

セルケト:

蠍のセントール。

長い黒髪に幼い少女の姿。

対照的な蠍の下半身は、さながらミニ戦車と言える。

典型的なツンデレ。

デスマスク:

男はそう名乗った。

夢幻回廊で邂逅した髑髏の鉄仮面。

事情通のようだが、その風体は異様の一言に尽きる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み