第1話 『異世界の洗礼、崩壊の空より』

文字数 4,991文字

 セラミックタイルに映る鏡面反射の世界から、あなたと目が合った気がしたの。
 出過ぎた真似だと思ったけれども、既にあなたの手を掴んでた。
 一目惚れで、生まれて初めての恋だった。
「あなたが好きなの」

 ————。

 一瞬にして、二枚の城壁を突破された城内は、衛兵や従者の放つ喧騒で溢れ返る。
 連なるアーチが特徴であるヴォールト様式の天井の下。
 フルプレートの金属音を搔き鳴らし、兵士達の叫びが廊下を駆け抜けた。

「「っ、くたばれぇええええええ!」」

 皆一斉に剣を構え、通路を占める巨躯に立ち向かう。
 それは銀河の輝きを内より放つ、漆黒の鎧。
 牡牛の頭蓋骨を兜とし、四本もの腕の一つが荒々しく大斧を振るう。
 人の背丈を優に越す大斧を巧みに使い熟し、目にも留まらぬ軌道で繰り出す怪物だ。
 両側が壁である通路において大斧を獲物とする漆黒の鎧は、些か部が悪いように思える。
 しかし、圧倒的な火力の前では相性など関係ない。

 兵は次々と弾き飛ばされ、鞠のように跳ねる。
 束で向かう兵士の相手に飽いたのか。
 黒き鎧は右腕を突き出し、親、中、薬指の三点を合わせ前方へ向ける。

「カース・タイド……」

 混沌の潮汐という言葉に呼応し、合わせた指先で空間が歪みむ。
 歪みが球体を形作ると、怪物はそれを鷲掴みにする。
 磁励音が鳴り、掌の内側で静かな反発力を蓄える球体は途端、
 ゼロフレームで射出された。

 魔弾より生じるモーメントが人体を巻き上げ、壁掛けの燭台の火を捩り消す。
 闇に落ちた廊下に立つ巨躯は荒ぶるように笑い、誰ともなく名乗りを上げる。

「だぁーっはっは! 私の名は六道厳。これがジャパニーズの力だッ!」

 四本腕で魔弾を撃ち放つ、ジャパニーズという人種がいただろうか。
 黒き鎧は、通路脇に積み上がる負傷者を気にも留めず。
 先を見据える兜の隙間より、ターコイズとピンクダイヤの眼光を放った。

 何故このような事態になったのか。
 時は7日前に遡る。

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 足下には雲海が広がり、見上げれば、かなとこ雲が広がる。
 東の空からは、眩い朝日が輝く。
 酸素が薄く、冷気が鼻腔に突き刺さる空の世界。
 霞一つない対流圏の切れ間に、その男はいた。

 肩膝を突く人影は、流れる雲海にぶつかり雲を裂く。
 水気を含んだ気流はウールの布地を結露させ、上着のテールを悪戯にはためかす。
 男は悠然と上体を起こし、雲海から身を起こした。

 膝は唸りを上げ、腰は轟き、双肩が軋み、首筋には電気が走る。

 高々度に見合った強風を一身に浴びながら、堂にいった佇まいで遠方を見据えている。
 白髪交じる掻き上げたショートヘアー。
 朝日によって金とも銀とも付き難い色合いを宿す。

 鼻筋の通った彫り深い、端整な面持ちの表情は渋く。
 オケの指揮者のように両腕を掲げ、気流を裂くと、
 自身の首元と胸、それぞれに手を添え、ネクタイを結び直す。

 男はスーツ姿であった。

 ****

(この歳で迷子になるなど、あり得るだろうか)
 ——ここがどこだか、分かりません。

 私、六道厳はアラフォーである。

 歴史的にみて特に大きな事件の無い年の初夏に生まれ、日本人としては平凡な幼少期を過ごし弟が一人いる。
 大きな怪我もなく、そこそこの学生時代送り、大学では経済を専攻した……ということになっている。

 勤め先は、東京下町にある酒類を扱う小さな仲卸業の会社であり、
 併設されたバーの営業時間は夕方6時30分から深夜11時。
 私、六道厳はサラリーマンでありバーテンダーでもある。

「そんな私が何故……」

 男は雲の切れ間にあって、ひたすら胸中で独り言を練る。
 雲海には幾ばくか、山の嶺が顔を覗かせるが踏み出す先がない。
 帰路どころか、辺り見渡すかぎり道すらもない。
 ただ雲の狭間で孤島のように佇む。
 出来る事といえば、何故こうなったのかと不満を漏らす事ぐらいであった。

 そうだ……はっきりと覚えている。
 仕事帰りにコンビニで夜食を買い、お釣りを落として床に転がる十円玉を拾った!

 ——そしたら、ここですよ。

 あまり数は知らないが、映画とか小説とかでこういうものを見たな。
 雷のエネルギーとか、電車に轢かれてとか、世の中に絶望してとか、不思議な動物とお友達になってとか。

 こういうのは、四十代半ばの男性に起きる出来事ではないと思うよ、私は。
 この歳になって起きる出来事といえば、更年期障害とか熟年離婚が定番だ。

 確かに私は、バツイチにしてアラフォーであるが決して不幸ではない。
 それなりに人生に納得し、世間に対して強烈な不満も無ければ、長年の仕事も嫌いではない。
 後輩くんとも仲が良いし、小さい会社なのでペコペコしなければならない上司も二人ぐらいしかいない。
 その二人も善人である。

 なぜ私はここにいるのか。
 すぐに帰宅して、明日の出勤準備をしたい上、出来る事なら理由が欲しい。
 いや、是非とも明確な理由が欲しい。

 現代社会に置き換えて考えてみると、帰宅途中に会社から連絡が入り、急ぎで戻って何事かと尋ねたら、何もありませんでした。
 ……という状況に近くないかな。

 などと黙々と不満を募らせる六道の元へ、突如変化が訪れる。

 ——ピコーンッ!

 不意を衝く効果音とともに、金色のギフトカードが現れた。
 ちょうど伸ばせば取りやすい視線の高さに、旧い映画のフィルムのようなカードが浮かぶ。
 カードには幾何学的なピクトグラフが刻まれ、職人技が光る。
 習得言語が1ヶ国語のみである六道にとって、ありとあらゆる外国語が解読不能ではある。

 しかし、刻まれた模様はアルファベットに似通って見えた。
 正しくは、アルファベットに似た模様を寄せ集めた、という印象を受ける。

「G、I、F、T?」

 素直に喜べない状況である上、サプライズが苦手な男性は多い。
 六道は、その日本代表である。

「……どうしたものか」

 六道には、いくつかの矜持がある。
 目の前にあるから手を触れる、ボタンがあるから押してみる等の行為は、
 ゆくゆくは痴漢へ繋がるオープンゲートと考えていた。
 当然、恥ずべき行為だと心得ており、無論、ワンクリック詐欺にもかかり易い。

 ——なので私は、決して安易に手を出したりはしない!

 そう意志を固めた六道の右手には既に、ギフトカードが握られていた。

「……おっと~?」

 今まで足場も定かではない高所で、強風に晒されていたのだ。
 掴めるものがあれば掴む。

 しまったと思い冷や汗を感じる頃には、既に手遅れの可能性があった。
 ぐるりと視線を回し周囲の空に意識を張るが、数秒経っても異変はない。
 六道はホッと息を吐き安堵した。
 遠くから聴き慣れない音が近づいて来るまでは、

 ゴオオオオオオオオオンッッッ……!!

 風の鳴く音とは異なる。
 ダムや発電所、巨大な建造物の発する駆動音が上空より聴こえる。
 あまりに広々とした空の風景のせいで距離感がつかめないが、
 見上げた空からパラパラと何か振っている。

 それは雨霰ではなく、ましてや少女でもない。

 六道はこの頃、近くのものが見えにくいが、遠くを見るには優れた視力がある。
 それが何かと目を凝らせば、
 なんとレンガや岩石がパラパラと振ってた。
 音にならない重い低音が大気を揺らし、巨大な質量の接近を報せる。

 すると突如、かなとこ雲が割れた。

 巨大な石造りの城が、その膨大な質量で大気を押し退け、かなとこ雲に風穴を開ける。
 重力という存在を視認させるその自由落下に、止まるという概念は存在しない。
 自然の猛威を見る。

 下は、岩山をひっくり返した石造りと煉瓦の半球状であり、
 上は、石灰質の岩壁から切り出されたような白亜の城。

 周囲には城を見下ろす七本の柱が突き刺さり、オベリスクやモノリシック柱を想起させる。
 加えて重い低音の発振源がその柱であると一目で判からせた。
 七本の柱は切れかかった蛍光灯の様に点滅し、唸る低音と同調していたからだ。

 世界の一部が崩壊する様は、たとえ一瞬であっても六道の瞳に美しく焼き付く。
 落下する城と、視線が水平になる頃には思わず見惚れていた。

 しかし、状況は変化する。

 下の半球が、足元に広がる雲海に風穴を開けた瞬間。
 膨大な質量が大気を押し退け、風穴が空いた先には視界の半分を占める大きな都市が広がっていた。
 雲を割り、半球に乗った城が落ちてきた時は考えもしなかったが、眼下に広がる街並みによって思い至る。

 異国情緒溢れる西洋風の都市は何重にも囲まれた城壁と、12本の石造りの大塔が主城を守るように建てられ、遠目にも綺麗な街並みには清掃が行き届き、整然とした往来や張り巡らされた水路は文化と歴史を感じさせる。
 その景色は六道に対して、そこに住む人々の気質と思いやりを訴えかける。

「うおおおお! バカなぁあああああ!!!!」

 誰に届くでもない悲鳴という名の警告は、唸り続ける低音に掻き消される。

 ————ッ。

 瞬間、二つの城は溶け合った。

 爆炎が立ち昇り、熱による上昇気流が、天に雲の輪をかける。
 半球状に空気が膨れ上がり、見えない壁が迫り来る。
 身を屈め、顔を覆うよりも早く。
 体ごとポーンっと後方に投げ出されると平衡感覚を失い、されるがまま放物線を描いて地面へと向かう。
 その間も身体は錐揉み回転を続けた。

 ゴッ!

 骨格に直接響く鈍い音。
 右肩と背中に走る鈍痛が、思考を再燃させる。

「うおおおお!! んぶっ!」

 六道は転がっている。
 鼻を潰し、口に入る土の味が、地面との再会を主張する。
 全身に揉み込む様な痛みが走り、スーツは土煙を上げる装置となった。

「ぶベッ! ぼっ!」

 抗う術もなく、転げ落ちるだけだが、待ちに待った終点を迎える。
 最後の後転の後、岩壁に背を強打した。

「ぐ!」

 鼻血を垂らし、テディベア座りをした、全身ボッコボコのスーツ姿。
 引き締まった渋い壮年男性の姿は見る影もない。

(世界から音が消えた⁉ ————何も聞こえん)

(体中がめちゃくちゃ痛いが全然動けん)

(口の中が……土味)

「ゴホッ! ……ゴホッ、ごふぅ!」
 封が切られた様に咳き込み、両腕で腹を抱えると、ドサリと横になる。

 衝撃波→錐揉み回転→打撲。
 三連コンボで呼吸が止まっていたが咳き込みを始めると、耳はキンと鳴りだし四肢は悶えながらも動きだす。

「……ひでぇ、ひどすぎるだろぉ」

 ようやく動きだした身体に続けとばかりに口が空回る。

「おえぇ〜……おれが、なにしたっ……てんだぁ」

 遅れてやってきた嗚咽。
 ゴロゴロ這い回りながら、ぶつぶつと不満を口にする。
 身体の機能は徐々に回復し、耳鳴りも遠くなってゆく。
 見た目は酷いが、重症ではないようだ。

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「いやぁ、空が……青いのね」

 山の斜面に佇む、砂埃まみれになったスーツ姿の男。
 眼前では暗雲が空を覆い、黒煙立ち込める爆心地には青白いプラズマが駆け回る。
 クレーターの中心を望みながら、男は一呼吸つく。

「結局、ギフトってなんだったんだ」

 このボロボロの姿がギフトによる賜ならば、
 二度と贈答品はいらぬ、と決意させるトラウマができた。

 視線を横に移すと、剣先のように切立つ土手が傍にそびえる。
 その先端に居たようだ。
 衝撃波で吹き飛ばされた後、綱渡りのように薄い嶺を転げ落ちたらしい。

 その土手はまるで、
 入念に準備され、あるべくして配置されたと感じさせる不自然さを醸し出す。
 暫し土手を眺めると、男は二つ折りガラパゴス携帯を懐から取り出す。
 画面に表示された深夜1時の時刻に対して、空には太陽が出ている。

「圏外か……」
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登場人物紹介

異世界転移した六道厳(りくどうげん)はアラフォー男性である。

年齢:44歳 

所業:酒類を扱う仲卸店のサラリーマン兼バーテンダー

ファンタジー知識を持ち合わせないイケメン紳士であり、それ故に異世界モノの常識が全く通用しない。

VR(ブイアール)

突如視界に現れた、宙に浮く半透明の液晶アイコン。

女性の声音で、脳内に直接語りかける。

六道の冒険をサポートするが、これはきっとVRじゃない。

ヴァティー:

虎のセントール(ケンタウロス)

豊かな胸部の持ち主。その胸を荒縄で、横一文字に縛り付けている。

オレンジが溶け込んだピンク髪のサイドアップ。

セルケト:

蠍のセントール。

長い黒髪に幼い少女の姿。

対照的な蠍の下半身は、さながらミニ戦車と言える。

典型的なツンデレ。

デスマスク:

男はそう名乗った。

夢幻回廊で邂逅した髑髏の鉄仮面。

事情通のようだが、その風体は異様の一言に尽きる。

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