9話 夢幻回廊のデスマスク

文字数 4,340文字

 この二日、六道は充実した睡眠を取っている。
 明かりがどうので眠れないというのは何だったのか。

 しかし今宵は特別、『夢の中』で意識が目覚めた。

 場所は見覚えある山の斜面に置かれたベッド。
 しかしヴァティーもセルケトも見当たらず、深い霧が煙り、その隙間からは高層ビルが突き出ている。
 山に刺さっているのか宙に浮いているのか、その根本は視界不良で確認できない。

「夢、だよな?」
「ここまでくるのは、大変だった……」

 ボイスチェンジャーで低く加工した声を放つ誰かが、こちらに背を向け焚き火の番をしている。
 漆黒のフードが付いた短い外套の背からは、蛸のような触手が二本垂れ下がり、うねりながら虚空を弄る。

 双肩の背部にはそれぞれ円柱の容器が挿さり、続く両腕は太く、壊死したように赤黒い。
 両手代わりの髑髏が凶々しく銀に光り、藍鉄色の軍パンに、鉄の装甲を脛に打ち当てた軍長靴を履いている。

「女が心配か?」

 左腕を上げると、先端に付いた髑髏に顔を近付けながら男は問いを投げる。
 髑髏の口がガバッと開くと、蛍光色で翠の粘液にまみれた鋭い爪の籠手を出した。
 そのまま落ちている枝を拾い上げると、焚き火を突つく。
 あまりに異様な男の風体。

 ガウガウ……

 加えて右肩には深海魚を留まらせている。
 アンコウに羽の生えたような生き物。
 淡い光の提灯に、沢山の目。
 好奇心を唆られるが、今はそれどころでは無い。

「ヴァティー達を何処にやった。あなたが何かしたのか?」
「俺ではない! だが気をつけろ……」

 凄みのある声に思わず掛布団を掴む。

「その時は今しかない。できることは全てしてやるが良い。いずれ全ては無くなるのだから」

 化け物じみた容姿とは対照的に、優しさと悲哀に満ちた物言い。

「誰もお前に多くは語れない。最初のうちはVRから情報を得るんだな。まあ実際はVRじゃないが……」
(VRではなかったのか……)

 六道にとっては衝撃の事実だ。
 確認しようにも視界にアイコンが見付からない。
 どうやら、これは本当に夢らしい。

「なあ。私はどうしたら帰れるんだ!」
 ——カッ

 唾を吐き、差し向けられた不機嫌そうな顔には、下顎の欠損した金属製の髑髏がビスで打ち付けられ、左頬には清水のように流れ続ける一筋の涙。
 殺されるかと思った。

「己の望みも分からんとはな……まあいい。俺はお前に魔法の使い方を教えに来たんだからな」

 金属同士がぶつかる音を立て、ヨイショと腰を上げる。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 訳は分からないが、事情通であろう男を引き留めるべく、ベッドから降りる。

「待つのはお前だ! 誰の目も無い、この時を選んで来たのだ。時間が無い」

 すると急ぐように呪文の詠唱を始める。
 とてつもない早口だ、十秒で寿限無を言い切るだろう。
 だが唱えているのは寿限無ではない。

 外套の細やかな刺繍が銀に輝き、周囲では紫色の魔法陣が至る所で展開される。
 霧の向こう、ビルの側面、至る所で。

「お前は大雑把が過ぎる。高域魔法、ひたすらの連射、加えて惑星改変魔法! そのザマでは子育ての時間が奪われる」
(いま、子育てと言った? こいつ子供おんのかい)

 あらゆるものが馴染みのない異世界で、普通の言葉に対して強い違和感を感じる。
 しかし指摘する余裕も無く。

 ——ハハハ、ギャ、ガガ、ゲゲゲ!

 動物など見当たらなかったはずの斜面を、ジャングルの喧噪が包む。
 魔法陣は紫電を走らせ霧を内側から照らす。
 その光によって翼の生えた黒い人影がビル郡に映る。
 物音に反応しアンコウが肩から飛び立つ。

「悪魔だ。上級悪魔を50体は出した……かな?」
「なにしてんだ! 冗談じゃないぞ!」

 嗚呼てふためく六道に対し一言、

「よく見てるんだ」

 すると男の右腕に脈打つ泥闇が這いずり回る。
 口を開いた髑髏の装甲、その先端から射出する。
 ドス黒く渦巻く球体に形状を変えると、力場で無理やり押さえつけ先端に留める。

 闇の球は内側から翠の蛍光色に輝き、目視でその変化を確認すると、男は見えない速度で駆け出した。
 見ていろと言ったにも関わらず。

 立ち昇る砂煙だけが、男が移動している証拠である。
 翠の球体の残す光のラインと、爆発四散し、そこらの壁に張り付く血肉だけが闘いの痕跡である。
 戦う彼等には申し訳ないが、六道はクリスマス・イルミネーションを思い出した。

 ビルの側面を走り回り、端から上級悪魔とやらを一掃していく。
 あまりに高次元の戦闘を目の当たりにして、魔法など使えない六道が何を学べば良いのか。
 などと考えていると、男は一体の悪魔を頭ごと掴んだまま、六道の前に舞い戻る。

 急停止の反動で、地面に翠の雷が走り六道にも触れた。
 光の演出ではなく、痛みを感じて身を捩る。
 右腕に多重の魔法陣をドリル状に展開させ、それぞれがギアのように動力を伝達し男は一言呟く。

「カース、タイド……」

 悪魔の頭ごと泥闇が爆ぜ、翠の閃光を放つ。
 残された翼付きの胴体は身震いしながら地に落ち、血溜まりとなった。

「ちゃんと見てたか?」

 落ち着き払い髑髏の鉄仮面の下、視線の端で六道を見遣る男。
 涙腺が壊れているのか、左頬には未だに涙が伝う。
 あまりの惨劇に脳内のアドレナリンが溢れ、六道の気が昂ぶる。

「そのカスタードとかいうのがどうした! 魔法を教えるって!? 私が魔女っ娘にでも見えるか?」
「……いずれわかる。あとカスタードではない。俺が甘党に見えるか?」

 皮肉を皮肉で返し、籠手の爪先で髑髏が打ち付けられた顔を指す。

「まあ、そういうところ知ってはいたがな」

 目に見えて呆れる素ぶりを見せつつ指笛を吹くと、霧の中からアンコウが飛び返り左肩へと留まる。

「もう会うこともあるまい。未来で待ってるぞ」

 彼は、言葉の矛盾に気が付いていないのか。

「意味がわからない! 君の語彙力が心配になったぞ!」
「君ではない。俺は……デスマスクだ」

 言いつつ髑髏の先端から出した右手を振り下ろし、時空の歪みを生み出す。
 虚空にぽかりと空いた世界の隙間へ歩を進めると、陰るように消え去った。

「なんだったんだ……」

 理解が追い付かぬまま、霧烟るの世界に取り残される六道。
 沈黙が周囲を包む。

 ——そうだ

「どわっ!」
「エネルギーを収束させて、走ってぶつける。わかったな」

 その声の主は早くも戻って来たデスマスク。
 わざわざ視界の外から話しかける。
 アドバイスを言葉にすると小走りで霧の中へと消えて行った。

「……もう会うことは無いんじゃなかったのか」

 届くことのない指摘を放ったその時、

『260,23件のインストールが完了しました』

 その一言が一気に現実に引き戻す。

「うおーーーーっ、頭痛てぇ~!」

 二日酔いの頭痛のような感覚に苛まれ、ベッドから飛び起き、急ぎコップに水を注ぐと口へ傾ける。
 朝方だろうが陽は出ていない。
 隣を見ると仰向けにゴロンと転がるヴァティーのあられもない姿。

「この私が、ヴァティーを振りほどいた? どうなってる」

 答えを提示するようにVRが呼応する。

『現在のリクドウ様のステータスを表示しますか?』
「……ステータス? 俺は、高級車もマンションだって持ってないぞ」

『面白いです』
「面白くは無いよ!」

 直後、表示された画面。
 LV、HP、AT、DFなど、お馴染み数値が書かれている。

「なんだ!? 数値表記なんだな……一体どういう意味だ、何故見せた」

 画面には、なんと100項目にも及ぶ数値の羅列が。
 あまりの情報量の多さに肝心の情報が上手く掴めない。
 特にagiやフレーム等、ゲームをやり込んでいる人間にしか分からないような表記が80項目もあるのだから無理はない。
 なんとか分かる項目や規則性を見出す為、穴が空く程見つめる六道。
 すると最初の項目にピンときたのか。大声を上げた。

「ふ~む、ふむふむ、惜しい! あと1だな!」

 おわかりいただけただろうか。

「いや〜っ、ツメが甘いというか。そういうところあるよ、私は!」

 落胆した様子で、眼前の画面を手で払う六道。
 彼は、9の羅列がカウンターストップであるというゲームの常識を知らなかった。

 ——そして星明かりの下、焚き火にあたりながら、哀れみの瞳を向けるセルケト。

「私は……何も見なかった」

 突如大声で飛び起き、水を飲んで落ち着いたところまでなら弁解は出来よう。
 しかしその後、延々と独り言を繰り返し、遂にツッコミまで入れた。
 親友と同じベッドの上で!

 恐怖しかない。
 端から見れば精神の病気である、そんな奴に親友が真剣な好意を向けているとは、セルケトは世の不条理を怨んだ。

「ところで……」

 その不条理が声をかけてくる。

「君は上級悪魔を見たことあるかね?」
「は? 急にオカルトですか」

「そうだよな。悪魔なんているわけ……」
「悪魔召喚なんて例え下級でも、魔女が13人は必要ですよ」
「っ、そうなんだ……詳しいね」

 望んだ答えから、どんどん遠ざかる気がしてきた。

「上級悪魔なんてこの世の理そのもの。天使にはアークがありますけど、上級悪魔なんてこの世に呼べるのは魔王様ぐらいですよ」
「じゃあ、あの男は魔王だったのか。合点、納得」

「何言ってるの? 現魔王様は女性でしょ……」
(本当に何言ってんだろうな)

 セルケトの呆れた瞳が、ゴミを見る目に変わったのを確認すると、六道は非常識な発言を連発したことに気付く。

「んじゃ、おやすみ〜」

 全て無かった事にして六道は、そそくさとヴァティーの胸元へ帰っていく。
 いつか殺そう。
 セルケトは、そう思った。

 ****

 瞳を閉じ、意識が眠りに落ちるのを待つ。

(……そう言えばお前、VRじゃないんだな)
『リクドウ様専用のサポートプログラムです。VRと呼んで頂いて構いません』

(そうだな。ではヴィクトリア……ローズ。これからはヴィクトリア・ローズを略してVRと呼ぶ、というのはどうだ)
『素敵です。設定を登録しました』
(素敵かよ。そりゃあ、よかっ……)

 六道の意識は再び夢へと溶けていく。
 彼はまだ、己の身体に起きた変化に気付いていない。
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登場人物紹介

異世界転移した六道厳(りくどうげん)はアラフォー男性である。

年齢:44歳 

所業:酒類を扱う仲卸店のサラリーマン兼バーテンダー

ファンタジー知識を持ち合わせないイケメン紳士であり、それ故に異世界モノの常識が全く通用しない。

VR(ブイアール)

突如視界に現れた、宙に浮く半透明の液晶アイコン。

女性の声音で、脳内に直接語りかける。

六道の冒険をサポートするが、これはきっとVRじゃない。

ヴァティー:

虎のセントール(ケンタウロス)

豊かな胸部の持ち主。その胸を荒縄で、横一文字に縛り付けている。

オレンジが溶け込んだピンク髪のサイドアップ。

セルケト:

蠍のセントール。

長い黒髪に幼い少女の姿。

対照的な蠍の下半身は、さながらミニ戦車と言える。

典型的なツンデレ。

デスマスク:

男はそう名乗った。

夢幻回廊で邂逅した髑髏の鉄仮面。

事情通のようだが、その風体は異様の一言に尽きる。

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