第4話 『縄で縛られし双丘』

文字数 4,710文字

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 辺りは暗くなり、寒暖差の影響により強風が吹く。
 プラズマがくすぶる爆心地から立ち上る黒煙も、空一面を覆い尽くす星の海を覆い尽くすことは出来ない。
 我々の知る月よりも、一回り大きな月が空の頂に登る。
 淡く蒼い光は山肌を照し、斜面にはテントに改造されたベッドが一つ。
 六道は丸太に座り、焚き火で暖をとる。

 夕刻時、彼はパンツ姿で泣きじゃくり、武帝のローブで鼻をかんでいた。
 今では歴戦の戦士ぶった表情で、オートメーションのように肉を焼き続け、石窯焼きを量産している。
 風、星、プラズマさえも、彼について『肉を焼く自然現象』だと思い込むほど、無心になって肉を焼く。
 時間の概念を超越し、悟りさえも開きかけた。その時、 

 一つの呼び声が、彼を現実に引き戻す。

「ねぇ、あなた良い匂いするねっ!」

 快活な女性の声が、タープの内側に響く。

「ん〜? あぁ、肉ならいくらでもあるよ」

 火加減を見逃さないため、極限まで集中していた六道は無意識に適当な返事をする。

「肉っ? いや〜悪いなぁ。そんなつもりじゃ無かったんだけどねぇ」

(ん! 人の声⁉)

 期待に鼓動が弾け、声の方向を見上げる。

 すると……日に焼けた豊饒な胸が視界を支配した。

 眼前に広がるのは、雄大で豊穣な胸部。
 本来の彼ならば、女性の胸元を凝視し目が離せないなど言語道断。
 しかしこの時ばかりは、目が離せずに2秒ほどの時が過ぎる。
 完全にチラ見の範疇を超え、恋人ならグリーン、電車ならイエロー、部下ならばレッドの判定が下る頃合い。

 この世界で会う、初めて会話が出来る人物。
 本来ならば真っ先に話をしたいはずだが、未だに視線を逸らせない。

 それは何故か。

 その女性は上半身に衣服を纏わず、代わりに太い荒縄で豊かな胸を横一文字に縛りつけていた。
 ぎりぎりサクラ色が見えない太さの荒縄は、ブラの概念を打ち砕く、衝撃と豪胆さ。

 その衝撃のファッションに、六道の脳内はメルトダウン。
 思考は停止したのだった。

 魅惑の呪縛を払拭し、我に返ると呼びかけた人物の顔を見遣る。
 こちらを覗く、八重歯が特徴的な笑顔。
 目尻に向けて長い睫毛の下、幼さ残る大きな瞳の虹彩が、焚き火の明かりを受け金色に輝いた。

 マロっぽい眉に、ハネっ毛の目立つ、オレンジが溶け込んだピンク髪のサイドアップ。
 一目でわかる元気っ娘で、こんな幼馴染と田舎で青春を駆け抜けたい。
 そんな印象を受ける。

 ただ一つ。
 何故か猫耳カチューシャを付けている。

(これが……イマドキのコスプレ? いやいや、ここは違う世界だ。
 このファッションがカジュアルスタンダードならば……ここは動揺してはならない!)

「……え〜っと、遠慮しないで食べていいよ」

 腰掛ける丸太に並べられた木皿の一つを差し出すと、友好的な笑みを彼女に向けた。

「わ〜っ、嬉しいなぁ!」

 豊かな胸をバルンと揺らし木皿に飛びつく娘。

(くっ! 目のやり場に困る!
 無理やり視線を逸らしてるせいで、相当な変顔を晒してるのではないか私は⁉
 全く! 若い娘がこんな格好で夜分に出歩くとは、けしからん!)

 パンツ一枚でマントを羽織る中年は、そう思った。

 ——ここでクエスチョイン。

(ふと思ったんだが? この娘は、ズボンを履いているのだろうか)

 500gはある肉に齧り付き、豪快に引き千切るネコミミ娘と顔を合わせつつ、不穏な疑問を浮かべる六道。
 しかし、このまま全身を見ることなく過ごしきることなど出来るだろうか。
 いずれぶつかる問題ではある。

(いやいや、確認できるものかっ! 上半身がアレだぞ! 下がラッフルスカートやキュロットパンツなわけがない!)

 葛藤する六道。

(……私は紳士でありたい)

 どこまでも澄みきった青空のような。
 燦々と照りつけるスペインの太陽のような。
 遍く星の煌めきのような。

(そんな紳士でありたい……)

 六道の心象には、確固たる形を持つ紳士がいた。

 ——よし!

(顔からフライパンまで! 視線を移す瞬間が勝負だ!)

 六道の中の紳士は、外出中のようだ。
 男は、実益と好奇心の獣となる。

 己の紳士と男の獣による葛藤、背徳感と興奮が生み出す極限の緊張。 

 それにより発生する——タキサイキア現象。
 視線を落とし始めると、視界に入る映像はコマ送りのように遅くなった。

 コマ送りの視界の中。
 艶かしい首筋から豊かな胸へ、ここまでは既に見てしまっている。

(ここから勝負だっ! うおおおおおおおお!)

 健康的にくびれた腰回り、筋肉質な腹部には小さなヘソ。そしてその下には毛が……

(はい、やってしまいましたー。相手の無垢さを良いことに、自分の欲望を満たす豚の如き所行。
 さあっ! 死んで詫びよう!)

 と考え始めたその時、明らかな違和感を覚える。
 毛の質感はフカフカとしており、人というより大型哺乳類の毛並みそのもの。

 さらに視線を落とすと、大きな獣の足。
 虎の前足が焚き火に照らされていた。

 流れるように視線をフライパンまで戻し、理解したことは一つ。猫耳はカチューシャではなかった。

「う〜ん……いや……う〜ん」

 考え込む六道をよそに、虎娘はマジマジと顔を覗き込む。
 そして感嘆の声を漏らした。

「あなた強張った顔してたから気がつかなかったけど、カッコいい顔してるのね」

 肉を頬張りながら賛辞を述べる姿を見返す。
 先程までドギマギしていた懸念は全くの無駄であったことがわかる。

 パンツやスカートなど捌ける筈もない。
 犬に洋服を着せる文化はあるが、それはまた別の話だ。
 身体を左に傾け、娘の背後を見遣ると虎の胴が続いており、後足に加えて尻尾も確認できる。

 つられるように虎娘も背後を覗き見ると、髪を揺らし此方に振り向く。
 そして可愛らしく小首を傾げた。

「?」
「いや、なんでもない。牛肉ならいくらでもある。私だけでは食べきれないから遠慮せずに食べてくれ」
「ぎゅうにく?」

 顎に指を当て、反対へ小首を傾げる。

(これ、牛肉じゃなかったのか……)

 虎の半人半獣を目の当たりにしたにも関わらず。
 今まで食べていた肉の品質が気になる六道。
 いきなり獣人に出会ったにも関わらず、やけに落ちついている。
 その脳内では、下心と恐怖心のベクトルが互いに引き合っていた。
 ちょうど釣り合う情動、心のベクトルはゼロで打ち消し合っていた。
 感情は高ぶることなく凪を保ち、加えて礼を欠かすこともなかった。

「私の名は六道厳。君の名前は?」
「リクドウ……ふ〜ん。アタシは、ヴァティーだよ? よろしくねっ!」
「ああ」

 六道が気さくな笑みを向けると、ヴァティーと名乗る虎娘は右手を差し出し、握手を求める。
 それに習い六道も手を取った瞬間。

 グイッと腕を引かれ男の身体が浮く。
 まるで重機に引き上げられたように、軽々と持ち上がる。
 開かれた脇に虎娘の顔が突っ込まれ、スンスンと鼻が鳴る。
 握手ではなかった。

「ぶぁ、ははははははっ!」

 脇のむず痒さに笑いを堪えられない。ローブの下、ネイキッドな脇を直接嗅がれたのだ。耐える方が難しいだろう。

「リクドウは、パンターの仲間?」

 それは、どういう意味の質問なのか。

「はは、はーっ、いや、これは毛皮だが……」

 言ってからハッとする。

「毛皮って……あなた人間⁉」

 握った右手をバッと突き放す娘と、されるがまま振り回される六道。

(まずいぞぉ……人間だと不都合がありそうな言い方ではないか)

 嫌悪の含みを察知した六道は咄嗟のアドリブにでる。

「いやぁ? 私はジャパニーズだが?」

 何か問題でもと言いたげな不遜な表情で受け応える。
 いま彼女から視線を逸らしたら、間違いなく嘘を看破される。

「じゃ、ジャパニーズ?」

 聞き慣れない言葉に身構え、ヴァティーがバルンと胸を弾ませる。
 横向きの六道の背後、娘が左腋に拳を構える。
 六道の肝臓がリバーブローの射程圏内に入る。
 最悪の場合、拳が肝臓を貫通する恐れもあるだろう。

(まずい! もしも、この世界に日本列島があったら、安易に人間だと認めただけでは無いのか?)

 唾を呑んで食い縛り、視線を外さぬよう維持する。
 一度に二つの地雷を軽やかに踏んだ六道。さながら地雷原のバレリーナである。
 しかし堂々たる態度で貫くしかない。
 『獣は嘘を見抜く力がある』という聞き覚えの知識が脳裏に浮かんだからだ。

「この毛皮は拾った。普段はウールか化学繊維を好んで着ているし、休日にはリアルファー反対デモにも参加しているよ。私は。うん」

 娘は六道の言い訳の意味を半分も理解できないが、スンスンと鼻を鳴らし、匂いで判断する。

「確かに……良い匂い……勘違いかなぁ? 人間じゃない?」
「じゃ、ジャパニーズは、頭にズッキーニやピストルをのせて刀を振り回し、およそ常識では考えられない時間外労働の末、夏の終わりには過労死していく。そんな種族だよ。私は。うん」
「ちょっと待って! 夏の終わりって一年しか生きられないの?」

 六道の時が止まる。

(適当に日本人の説明をでっち上げてたら、途中からセミの生態みたいなことを口走ってしまった!)

「我々は努力に、努力を重ね。品種改良の末、過労死を克服した。本社にも確認したから間違いない……」

 ヴァティーの疑惑の視線が、困惑の表情へと変わった。

(何を言っとるんだ私はぁーーーー!! 完璧に変なこと言ったぞ今。言い訳と嘘が下手にもほどがあるだろぉ!!)

「ふ〜ん、種族の限界の克服……それなら人間じゃないわね!」

 どういうわけで納得してもらえたのか。掴まれた手が離される。
 彼女の腕力もまた人間のものではない。
 身長も六道と同じく180cmはあり、全長ならば優に人間のサイズを超えているだろう。
 すっかり抜けた腰を丸太に降ろし、ホッと一息ついた。

 ——その瞬間。

 六道は己の右手で、羽織るローブを一気に脱衣する。
 空中で弧を描き、はためくのも束の間。
 握られたローブは右袖下の空間へと吸い込まれる。その圧倒的な吸引力。
 残ったのはネイキッドにパンツ一枚の六道。
 焚き火が地肌を照らす。

「あれ!? そんな寒そうだったっけ?」

 目を離したつもりも無い一瞬の出来事。ヴァティーも思わず二度見する。

「……」

 六道は無言でやり過ごすつもりだ。

「毛皮は!?」

 間違い探しにしても難易度が低すぎた。六道からすれば彼女を刺激しないように毛皮を仕舞ったつもりだったが。

「……食べた。腹ぁ減ってたから……食べた」
「ああ、そう」

 六道は後悔した。無言を貫いた方だまだ賢かった。
 ヴァティーがどんな表情でこちらを見つめているのか怖くて見れない。頬を冷たい汗が伝う。

「よかったぁ〜! 話の内容よく分からなかったから半信半疑だったけど、完全に人間じゃないわね!」
「ああ、ああ! 信じてもらえて嬉しいよ。ジャパニーズだよ。私は。うん」

 確かに先ほど口を衝いて出た嘘の説明と、謎の行動からするに日本人は人間ではない。 
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登場人物紹介

異世界転移した六道厳(りくどうげん)はアラフォー男性である。

年齢:44歳 

所業:酒類を扱う仲卸店のサラリーマン兼バーテンダー

ファンタジー知識を持ち合わせないイケメン紳士であり、それ故に異世界モノの常識が全く通用しない。

VR(ブイアール)

突如視界に現れた、宙に浮く半透明の液晶アイコン。

女性の声音で、脳内に直接語りかける。

六道の冒険をサポートするが、これはきっとVRじゃない。

ヴァティー:

虎のセントール(ケンタウロス)

豊かな胸部の持ち主。その胸を荒縄で、横一文字に縛り付けている。

オレンジが溶け込んだピンク髪のサイドアップ。

セルケト:

蠍のセントール。

長い黒髪に幼い少女の姿。

対照的な蠍の下半身は、さながらミニ戦車と言える。

典型的なツンデレ。

デスマスク:

男はそう名乗った。

夢幻回廊で邂逅した髑髏の鉄仮面。

事情通のようだが、その風体は異様の一言に尽きる。

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