第1話 わかれみちのであい -1
文字数 3,194文字
記憶があいまいなのだが、それはもう五〇年もむかしの、一九七三年(昭和四八年)十一月も半 ばを過ぎた、高校受験を間近にひかえたころのことになる。
その、長崎県のとある町のとある中学校で起こったちいさなできごとからはなしをはじめようと思う。
その日、受験勉強でためこんだ疲れの上に昨夜からの疲れを重ねて、
校門前の坂道をまえかがみになって登ってゆく三年生のうしろすがたは、
まるで、粘土でできた人形の行列のように見えた。
教室に入ると、もう半分以上の席が埋まり、だれもが教科書や参考書を開いて、机に両肘をついて頭をかかえこみ、机に腰かけて、あるいは向かい合わせになって質問の出し合いをやっている。
こんな、圧迫された空気の中で授業をうけるのも、もう二ヶ月あまりになるだろう。
わたしにとっては、耐え難いばかりの毎日だった。
半ドンのその日、わたしこと津村 昭人 は、両親の留守をいいことに、授業の終わりをしらせるチャイムがなると、すぐに、親友のシンちゃんと佐竹 に声をかけた。
「今日さ、家の人のおらっさんけん、ひさしぶりに遊びにこんや!」
「ほんとや、オイいく。……シンちゃんどがんすっ、」
「ああ、いっぺんかえって、そいから来るけん。ひょっとしたら、来られんごとなるかもしれん。」
「そうー。じゃあ、先にかえって佐竹といっしょにまっとるけん。出られたらでてきて。あんまいむりせんごとね、」
シンちゃんはウンとうなずき、下校する生徒をかきわけて、バスに乗ってかえっていった。
わたしと佐竹は、みんなの下校する表道はさけて裏道をかえった。
佐竹こと佐竹 義高 とは、もうずいぶんと通いなれた道だった。
途中、高専の人たちのランニングする集団とすれちがう。
勉強ぎらいの自分だったが、たったひとつ、スポーツにかけてはだれにも負けない自信があった。
しかしわたしが所属していた陸上部の大会はすでに終わっていて、高専の人たちの
「イッチニー」
「イッチニー、」
「高専ファイッ、」
「高専ファイッ!」
というかけごえは、なにか、おきわすれにしてきた大切なものを、おもいおこさせるように胸にひびいた。
ああー、たのしかった中学時代も、もうすぐおわりかー、
「ただいまー、」
家の人がいないのをわかっていながらわざと大声でそう言ってみる。
「おじゃましまーす。」と佐竹がつづく。
わたしは、よし、よし、とうなずいてみせた。
わたしは佐竹をその場にまたせ、子供部屋にいって勉強机の椅子に学生服をかけて、レコードをもって、ステレオのある洋間へ佐竹を案内した。
部屋のなかが冷え切っていたので、明かりをつけるとすぐに戸をしめ、窓のカーテンも全部しめきって炬燵のスイッチを入れる。
カーテンをしめきったのは寒いせいもあったが、
わたしにとってはそのほうが落ち着けるからだった。
「音楽、なんきく」
そう言ってわたしは、昼食のパン代をためて買った何枚かのレコードをテーブルの上にひろげた。
ちょうどそこに、母からの書き置きといくらかのお金が置いてあった。
《お父さんは出港でしばらく帰ってこられません。
お母さんは広島で大事な勉強会があり、明日の午後にはかえってきます。
このお金は、保 、将春 とわけてパンを買ってください。
今日の夕飯は…… 》
「津村のお袋さんて、なんかしょうらすと?」
「しらーん」
母は、月に二度は必ず広島へでかけて行った。
父は、母のやっていることに強く反対していて、夜、わたしたち子供が寝静まったあとで、
父の、『啜 り泣く母の声に、なんども耳を塞 いだ。
わたしは、やさしい母をいじめるスパルタ教育だった父が大きらいだった。
当時は、離縁ということばは知らなかったが、
父と母が別れたら、母についていこうと決めていた。
……まあ、それはともかく、
わたしにとって父と母がいないということは、勝手気ままに自由な時間がすごせるということであったし、
それに明日は日曜日でもある。
わたしは、大好きな〝サイモンとガーファンクル〟のアルバムをターンテーブルの上にのせて、
しずかに針をおとした。
曲が鳴りだす……、
と、わたしは、わたしだけの世界へと翼をひろげて、
おもいっきり走って、笑って、泣いて、おもいっきり叫んで、
……じぶんをあわれみ、じぶんをいたわる。
「津村、じゅけんべんきょう、しよる?」
とつぜん、佐竹が口にする。
「やみゅー、そがんはなし。今日はさ、受験のことは忘れて、いろいろはなしばしゅうで、ね。」
『受験』
わたしはこのことばを嫌った。
このことばの内には、なにか自分の将来を決定づけられる、とてもイヤなにおいを嗅いだ。
わたしがまだ小学生のころ。
先生から、「あなたたちは将来、どうゆう仕事につきたいですか?
つむらくん、あなたはどんなことをやりたい?」
と、質問を受けたことがある。
わたしは迷うことなく、
「はい。オリンピックせんしゅになって、金メダルをとりたいです!」と、答えていた。
先生は、「そおー! がんばってくださいね、先生もたのしみにしています。」と言ってくれた。
そのころのわたしにとって、そのこたえは自然だったし、先生もよろこんでくれた。
しかし……、オリンピック選手の夢は、すでに触れることのできない陽炎のようになっていた。
『みんなはもう、良い大学や良い会社を頭にえがいて勉強にはげんでいるのだろうか?
……いったいなんのために。
金持ちになるため? 人より優位な地位を得るため?
しかし……、良い高校へいって決まりきった法則や数式や形式を丸暗記して、それでまた大学へいっておなじことくり返して、
そんなことが、いったいなんの役に立つのだ。
そんなことをやるために生きているとするなら、
人生とは――、なんとつまらない!』
三年生も終盤をむかえるそのころ、『受験』に対するコンプレックスは、耐え難いほどに膨らんでいた。
「こんにちはー。つむらくん、つむらくん、」
玄関の戸のひらく音がして、森沢 真一郎 くんことシンちゃんの声がした。
「あれっ? 早かったね……、どがんしたとー、」
わたしは立ち上がり、迎えにでた。
いつもなら、復習を済ませてそれから自由時間が許されるはずなのに?
「うんにゃ、帰ってからギターの本ば見よったぎんた、お母さんの怒らしてさ、本ば取りあげられてしもうて、頭にきたけん、勉強せんで出てきた。」
すると佐竹が、わたしのうしろから身体をのりだして、
「なんて、なんて、……どがんしたって。」と、おなじことを訊く。
シンちゃんは、ていねいに同じことばをくりかえした。
佐竹の質問に丁寧にこたえるシンちゃん。
そして、他人のことを自分のことのように気づかう佐竹。
かれらは最高の友だちでした。
「今、〝サイモンとガーファンクル〟の曲ば聴きよったっちゃん」
わたしは、シンちゃんも〝サイモンとガーファンクル〟が好きなことを知っていた。
すると、シンちゃんはスニーカーを脱ぎながら、
「雪のふってきたぞ! パラパラばってん。」と言った。
ちょうど〝冬の散歩道〟がかかっているところだった。
わたしたちはすぐにおもてに跳びだした。
「うわぁー、ほんなごてー、はつゆき……、かね」
はらはらはらはらとおちてくる雪に、わたしも佐竹もシンちゃんも、しばらく見とれていた。
とおく、かすかに、かすむ山……、
うすく、しろく、化粧をほどこしてゆく瓦屋根、
黒い道が、みるみるすがたをかくしてゆく。
さまざまな自然現象のなかでも、わたしは、なにより雪が大好きだった。
それは、雪のこわさをしらない暖かな土地に育ったせいもあるのだろうが、
雪を見れば、寒さを忘れた。
真っ白に積もった雪は、つめたいように思えなかった。
「ねぇー。きょうさ、なんで杉 の休んだか知っと?」
と、シンちゃんがとつぜん口にした。
その、長崎県のとある町のとある中学校で起こったちいさなできごとからはなしをはじめようと思う。
その日、受験勉強でためこんだ疲れの上に昨夜からの疲れを重ねて、
校門前の坂道をまえかがみになって登ってゆく三年生のうしろすがたは、
まるで、粘土でできた人形の行列のように見えた。
教室に入ると、もう半分以上の席が埋まり、だれもが教科書や参考書を開いて、机に両肘をついて頭をかかえこみ、机に腰かけて、あるいは向かい合わせになって質問の出し合いをやっている。
こんな、圧迫された空気の中で授業をうけるのも、もう二ヶ月あまりになるだろう。
わたしにとっては、耐え難いばかりの毎日だった。
半ドンのその日、わたしこと
「今日さ、家の人のおらっさんけん、ひさしぶりに遊びにこんや!」
「ほんとや、オイいく。……シンちゃんどがんすっ、」
「ああ、いっぺんかえって、そいから来るけん。ひょっとしたら、来られんごとなるかもしれん。」
「そうー。じゃあ、先にかえって佐竹といっしょにまっとるけん。出られたらでてきて。あんまいむりせんごとね、」
シンちゃんはウンとうなずき、下校する生徒をかきわけて、バスに乗ってかえっていった。
わたしと佐竹は、みんなの下校する表道はさけて裏道をかえった。
佐竹こと
途中、高専の人たちのランニングする集団とすれちがう。
勉強ぎらいの自分だったが、たったひとつ、スポーツにかけてはだれにも負けない自信があった。
しかしわたしが所属していた陸上部の大会はすでに終わっていて、高専の人たちの
「イッチニー」
「イッチニー、」
「高専ファイッ、」
「高専ファイッ!」
というかけごえは、なにか、おきわすれにしてきた大切なものを、おもいおこさせるように胸にひびいた。
ああー、たのしかった中学時代も、もうすぐおわりかー、
「ただいまー、」
家の人がいないのをわかっていながらわざと大声でそう言ってみる。
「おじゃましまーす。」と佐竹がつづく。
わたしは、よし、よし、とうなずいてみせた。
わたしは佐竹をその場にまたせ、子供部屋にいって勉強机の椅子に学生服をかけて、レコードをもって、ステレオのある洋間へ佐竹を案内した。
部屋のなかが冷え切っていたので、明かりをつけるとすぐに戸をしめ、窓のカーテンも全部しめきって炬燵のスイッチを入れる。
カーテンをしめきったのは寒いせいもあったが、
わたしにとってはそのほうが落ち着けるからだった。
「音楽、なんきく」
そう言ってわたしは、昼食のパン代をためて買った何枚かのレコードをテーブルの上にひろげた。
ちょうどそこに、母からの書き置きといくらかのお金が置いてあった。
《お父さんは出港でしばらく帰ってこられません。
お母さんは広島で大事な勉強会があり、明日の午後にはかえってきます。
このお金は、
今日の夕飯は…… 》
「津村のお袋さんて、なんかしょうらすと?」
「しらーん」
母は、月に二度は必ず広島へでかけて行った。
父は、母のやっていることに強く反対していて、夜、わたしたち子供が寝静まったあとで、
父の、『
りえん
する』ということばをなんども聴いたし、わたしは、やさしい母をいじめるスパルタ教育だった父が大きらいだった。
当時は、離縁ということばは知らなかったが、
父と母が別れたら、母についていこうと決めていた。
……まあ、それはともかく、
わたしにとって父と母がいないということは、勝手気ままに自由な時間がすごせるということであったし、
それに明日は日曜日でもある。
わたしは、大好きな〝サイモンとガーファンクル〟のアルバムをターンテーブルの上にのせて、
しずかに針をおとした。
曲が鳴りだす……、
と、わたしは、わたしだけの世界へと翼をひろげて、
おもいっきり走って、笑って、泣いて、おもいっきり叫んで、
……じぶんをあわれみ、じぶんをいたわる。
「津村、じゅけんべんきょう、しよる?」
とつぜん、佐竹が口にする。
「やみゅー、そがんはなし。今日はさ、受験のことは忘れて、いろいろはなしばしゅうで、ね。」
『受験』
わたしはこのことばを嫌った。
このことばの内には、なにか自分の将来を決定づけられる、とてもイヤなにおいを嗅いだ。
わたしがまだ小学生のころ。
先生から、「あなたたちは将来、どうゆう仕事につきたいですか?
つむらくん、あなたはどんなことをやりたい?」
と、質問を受けたことがある。
わたしは迷うことなく、
「はい。オリンピックせんしゅになって、金メダルをとりたいです!」と、答えていた。
先生は、「そおー! がんばってくださいね、先生もたのしみにしています。」と言ってくれた。
そのころのわたしにとって、そのこたえは自然だったし、先生もよろこんでくれた。
しかし……、オリンピック選手の夢は、すでに触れることのできない陽炎のようになっていた。
『みんなはもう、良い大学や良い会社を頭にえがいて勉強にはげんでいるのだろうか?
……いったいなんのために。
金持ちになるため? 人より優位な地位を得るため?
しかし……、良い高校へいって決まりきった法則や数式や形式を丸暗記して、それでまた大学へいっておなじことくり返して、
そんなことが、いったいなんの役に立つのだ。
そんなことをやるために生きているとするなら、
人生とは――、なんとつまらない!』
三年生も終盤をむかえるそのころ、『受験』に対するコンプレックスは、耐え難いほどに膨らんでいた。
「こんにちはー。つむらくん、つむらくん、」
玄関の戸のひらく音がして、
「あれっ? 早かったね……、どがんしたとー、」
わたしは立ち上がり、迎えにでた。
いつもなら、復習を済ませてそれから自由時間が許されるはずなのに?
「うんにゃ、帰ってからギターの本ば見よったぎんた、お母さんの怒らしてさ、本ば取りあげられてしもうて、頭にきたけん、勉強せんで出てきた。」
すると佐竹が、わたしのうしろから身体をのりだして、
「なんて、なんて、……どがんしたって。」と、おなじことを訊く。
シンちゃんは、ていねいに同じことばをくりかえした。
佐竹の質問に丁寧にこたえるシンちゃん。
そして、他人のことを自分のことのように気づかう佐竹。
かれらは最高の友だちでした。
「今、〝サイモンとガーファンクル〟の曲ば聴きよったっちゃん」
わたしは、シンちゃんも〝サイモンとガーファンクル〟が好きなことを知っていた。
すると、シンちゃんはスニーカーを脱ぎながら、
「雪のふってきたぞ! パラパラばってん。」と言った。
ちょうど〝冬の散歩道〟がかかっているところだった。
わたしたちはすぐにおもてに跳びだした。
「うわぁー、ほんなごてー、はつゆき……、かね」
はらはらはらはらとおちてくる雪に、わたしも佐竹もシンちゃんも、しばらく見とれていた。
とおく、かすかに、かすむ山……、
うすく、しろく、化粧をほどこしてゆく瓦屋根、
黒い道が、みるみるすがたをかくしてゆく。
さまざまな自然現象のなかでも、わたしは、なにより雪が大好きだった。
それは、雪のこわさをしらない暖かな土地に育ったせいもあるのだろうが、
雪を見れば、寒さを忘れた。
真っ白に積もった雪は、つめたいように思えなかった。
「ねぇー。きょうさ、なんで
と、シンちゃんがとつぜん口にした。