第11話 選択 -2

文字数 4,336文字

 
当時、わたしのこころをとらえていたのは、とても危険な感情でした。

 彼女のかんがえていることが、自分の手の中の出来事のように感じられていました。

 これだけ、彼女のことに思い悩んでいるのだから、わからぬはずがない。
 ――と、そう思い込んでいました。
 とどうじに、
彼女とわたしの間にできた――溝を、
意識しはじめていたのも事実でした。

 これ以上、中途ハンパな交際はつづけられない。
『なんとかして、なんとしても、彼女を自分のものにしたい!』
そんな思いが、抑えきれないところまで来ていた。



 昼過ぎ、彼女から電話があった。

「津村くん、どがんやた?」

「まだ見にいっとらん。夕方、人の少のうなってから見にいこうかねって思うとった。
 ところで杉さ、
なんで行くときに電話してくれんやったとや、」

 わたしの声が、急に上擦りだす。

「オイさー、
杉の家までむかえに行ったっつおー。
 ふたりの合格ばさ、いっしょにたしかめに行きたかったとさ。
 杉、
オイのこと、避けよるっちゃなかとや――」

 生唾があふれ、のどが鳴り、足もとが震えた。
 こんなことばを出して良かったのか、悪かったのか、自分でわからない。
 ただ感情のままが口を衝いた。

「どがんしたと、津村くん。
 なんか、いつもとちがうよ、」

「そうや、いっちょんかわらんばい。
 変わったとは、杉のほうじゃなかとや。
 杉――、
オイにいろいろはなしたことば後悔しとっちゃなかや。
 オイにはなしても、いっしょやったって、そがん思うとっちゃなかとや。」

 ここまで口にして、切ないものが込みあげた。

「もー、ほんとうにどがんしたと――。
 津村くんが、私がはなしたことばそがん気にしとるとやったら、
はなさんほうが良かったって思う、」

「よー、言うぞ。
 オイは、杉にとっていったいなんや! 
 杉の悩みよることば、いっしょになって考えてやりたかって思いよるとに。
 オイの考えとること間違(まちご)うとるや? 
 杉にとって迷惑や、そいば聞かせて!」

「…………」

 彼女は、しばらくことばを失っていた。

……そして、

「津村くんって、やさしかとね」

 そのことばに対して、
「よー言うぞ、あたりまえやろうー。好いとる女に、なんでんしてやりたかって思うとは、あたりまえやろーが、」
と強く返した。

「……ごめん、津村くん。こんど、ゆっくりはなしばしよう。
あっ、
言うとば忘れとったばってん、受かっとったよ。」

「そうや……、おめでとう……」

「なんか、御通夜(おつうや)のときのごとある声ね」

「そうや、ごめん。お・め・で・とう。
ほんとに、おめでとうー。」

「ありがとう。津村くんの受かっとるとば、私も祈りよるけん」

「うん、あとで必ずしらせる。そいじゃー」


 午後三時過ぎ、クラスの友人から電話があった。
 いっしょに工業高校の電気科を受けた吉川(よしかわ)くんだった。

「津村、おまえ受かっとったろー?」

「うそー、知らん。」

「ラジオ聴いとらんやったとや。たぶん、おまえの名前ば言うたごとあったぞ。」

「そうや……。ちょうど今から学校まで見に行こうかねって思うとったところさ。いっしょに行かんや。」

 彼をさそい、佐竹に電話を入れた。

 佐竹は、工業高校の土木科を受けていた。
 しかし、佐竹ものんびりしたもので、家で親父さんと将棋を指していたと言う。

 わたしたち三人は佐竹の親父さんに送ってもらうことになった。

 学校に着いたときはもう人もまばらで、
白い掲示板だけが五つ六つポッカリ浮かんだように見えていた。
 それは、校門を入ったすぐのところ、わたしが深々と頭を下げたあたりだった。

 わたしたちは、おそるおそる近づいていった。

 この学校は、県下でも有数の競争率の高い工業高校で、
各学年に建築科一クラス、機械科二クラス、電気科二クラス、土木科二クラス、地質科一クラス、金属科一クラスの計九クラスがあった。
 その科目べつに掲示板があって、佐竹のお父さんは校門のところに車を止めて、こちら向きに立っていた。

「土木、土木、土木、」
さいしょは佐竹の名前を探すことになった。

「あっ、あったー、グハハハハー、あったぞー!」
いつもの佐竹の笑いである。

 佐竹は校門の前に立つお父さんに向かって跳び上がって見せた。
 つぎは、わたしの番だ。
 電気科Aクラス……、そのとき、

「あったー、ハー、あったー。」
と吉川くんが叫んで、大きく胸をなで下ろした。

 ドキ、ドキ、ドキ、ドキ、むねが高なる。
 目が必死になまえを追う。
 佐竹や吉川くんもいっしょに探してくれた。
 アイウエオ順に書き出されているので見つけるのは簡単だった、
のだが、わたしは、最初から順に確かめたかった。

 Aクラスにはない。
 目線がつぎの紙にうつる。――と、焦る気持ちは正直なもので、目は書きだされた中盤あたりに飛んだ。

「あったー、」
わたしはなんどもおなじところを確かめた。

 受験番号339、津村昭人。
 上がっても落ちてもどっちでもいいや――、
 などと思っていたのに、天にものぼる心地だった。

 後に知ったことなのだが、クラス四十四人中、四十三番だった。中には、受かって当然の男が落ちていた。

……運命のイタズラだった。

 佐竹のお父さんに報告をすませ、かえりはバスで帰ることにした。

 佐竹のお父さんは、
「あんまい(おそ)うならんごと遊んでこんね。
 ばってん、(うち)の人には(はよ)(しら)せんばいかんよ。
 (いえ)で、ごちそうばつくって待っとらすやろうけん。(よし)ボーも、(おそ)うならんごと。
 みんな来てまっとらすやろーけん、」
と、言われた。

「どうも、すいませんでした。」
そう言ってわたしたちは歩きだす。

 途中、吉川くんとわたしは家に電話を入れた。
 わたしの父は当直で、母はいつものように、外出からまだ帰ってきていなかった。

 つぎに、シンちゃんの家に電話を入れてみた。

「モシモシ、あっ、シンちゃん。どがんやった。」

「上がっとった。」

「あっそうやー、シンちゃんなら間違いなかって、思うとった。」

「津村と佐竹は? どがんやった。」

「んにゃ~、二人とも落ちとったー、」

「……そうや、」

「ウソさ、うそー、二人とも上がっとった!」

「モーッ、びっくいしたやっか! ほんきで心配したやっかあー、」
シンちゃんの顔が目にうかんだ。
シンちゃんはつづけた、

「エミちゃんも笹本も受かったぞー、」

「あっ、そうやー。杉も受かったって言いよったけん、ほとんどみんなうかったとばいねえ。
 シンちゃん、いまから街まで出てこられん?」

「エー、今から? あしたゆっくりはなさんや。」

「んにゃー、ちょっとだけさ。佐竹と吉川くんもおるっちゃん。」

「そうやぁー、そしたら出てくるけん。……ちょっと待っとって、」
そう言って、遠くのほうで、今から街に出てきてよか? と、お袋さんにたずねている声が聴こえた。

「お父さんが七時ごろかえってこらすけん、それまでには帰ってきなさいよ」と、お袋さんの声。

 夕方五時ごろ、わたしたち三人は街の中心部から四五分ほど歩いたところの公園のベンチに腰かけていた。
 吉川くんは、家の手伝いがあるからといって、シンちゃんが来るのを待って帰っていった。

 三人のはなしはすぐに彼女たちの話題にとんだ。

「津村は高校にいっても杉とつき合うっちゃろう? 
 ばってん、そがんなったら会いに行くとのたいへんかねぇ」
シンちゃんが言った。

「んにゃ~、こいやったら、屋島にでんどこでんごっとい行くさー、ぞっこんやもん。ねぇー、津村。」

「んー、高校にいっても、つきあいたかって思うとる。
 正直、今のオイのいちばんの楽しみっていうか、生きがいっていうか……、杉しかなかけんね」

「カァーッ、()うねー、」
そう言って、佐竹のひじ打ちを食らった。

「なんか、津村のうらやましか。」
と、シンちゃん。

「ほんなごてばい。オイなんか、笹本とはなしよったっちゃ、いっちょんつまらんとって。笹本はっきりせんちゃんねぇー、」

 その後はじめて聞いた、佐竹と笹本さんの進捗状況だった。

「なんや、佐竹。笹本の気持ち訊いたとや?」

「きいたばってんさ、ハッキリせんちゃんね。
『私まだわからんけん、しばらくかんがえさせて……』そが()うとってさ、ときどき気のあるそぶりばすっちゃんねー。
 ばってんさ、近づいていったら肩すかしば食らうっちゃん。
 あいの気持ちの、いっちょんわからんさ。
 そいに、まだ、木山のことば好いとっごとあっし、」

 佐竹がめずらしく真面目なかおでしみじみと語る。

「たぶん、笹本も迷いよっつぉー。
 佐竹、もうひと押しせんば木山に笹本ば()らるっぞー、
木山も笹本もおなじ高校けん、佐竹がぜったいに不利になるって、」

「よかー、オイ。
 なんべんもおんなじこと()いとうなかさね。
 二回も()うたっちゃけん。
 笹本も分かっとっさ。
 笹本から()うてこんていうとは、
たぶん、オイのこと好かんちゃろうー」
佐竹の答えはあっさりとしたものだった。

 わたしは、
『佐竹、おまえ、ほんきで笹本のことば好いとっとや!』
と言いたかった。

 しかし、そんなことはわからないことだった。
 人の感じかたや表現には十人十色あるのだから。……とは、後に知ることだった。


 わたしもシンちゃんも佐竹を見た。

「なんや、なんや、そがん見んなよ! 
 なるようにしかならんさ。
 高校にいったら良か女ば見つくっさ。
 そいよっか、エミちゃんとはどがんなったとや? ――シンちゃん、」

 シンちゃんは、左どなりの佐竹の顔をじっとみつめる。

「なんや、なんや、もったいぶんなさ。
どがんなったとやって!」

 シンちゃんは、ニッと笑って、

「どがんもなっとらん。」と、一言いった。

「どがんもなっとらんって……、なんやそい、」と佐竹は言ったが、
わたしには、そんなシンちゃんの気持ちがわかる気がした。

 おそらくシンちゃんは、自分とエミちゃんとの間に芽生えているはずのものを毀したくなくて、
かるはずみなことができないでいるのだ。
友だちのワクを越えた、
だれの目にもわからない、
ふたりだけで感じ合えている秘め事のような気持ちの往き来を。

 わたしには、そんな二人が羨ましかった。
 わたしは、わたしと杉の間にできた、深くて暗い、淵のようなものを見ていた。

 以前見えていた……そこには、なにも見えなかった。
 有るのか、無いのかがわからなかった。

 シンちゃんは善く考える人だ。
 おたがいに気持ちを打ちあけたときに掛けてしまうかもしれない相手への負担を(おもんばか)って、
それよりは、
今やるべきことを行い、
そこはかとなく感じあえているそのときどきを大切にするほうが、
お互いにとっても……善いことなのだ。――と。

 わたしも、そうあるべきであったのだろう。
 しかしもって生まれた(さが)だ。
 わたしには、どうしてもそうすることができなかった。
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