第3話

文字数 1,894文字

 「優等生の矢野大地」が表向きの顔であることは、僕だけの秘密でもなんでもない。

 (けが)れた欲を満たしたがる性奴隷たち。
 苦痛を(まぬが)れるために仲間を売ったり、搾取(さくしゅ)に応じて保身をはかる羊ども。
 ご機嫌取りに余念なく立ち回る道化に、媚びへつらう下僕。

 皆で寄ってたかって、大地の「優等生」の仮面を強固なものに仕立てていく。
 黒い大地に服従を誓った者たちは愚鈍(ぐどん)な民のように考えることをやめ、今にも崩れそうな崖っぷちを歩かされても逃げ出したりせず、彼の下に留まりたがる。
 だけど大地は、誰かを庇護(ひご)する気など毛頭ない。手を差し伸べたとしてもそれは気まぐれに過ぎず、また気が変われば躊躇(ためら)いなく突き落とすだけだ。

 中学高校と共に過し、一番近くでその様を見ていながら、僕もまた大地にひれ伏す愚かな民でいたいのだ。



 その日の放課後は仕事の予定があった。
 反社会的勢力の会長から死なない程度に精気を抜く。最近はヒトからの依頼が増え、こんなつまらない仕事ばかりだ。
「おい海斗、ちょっと手伝え」
 帰り支度をしていると大地がやって来た。蒼空も一緒だ。
「なに?」
「新しい本を図書室に運ぶの頼まれたんだけど、けっこうな量なんだよ。悪いけど一緒に運んでくれるか?」
「そんな面倒なこと引き受けたの? 珍しいじゃん」
「俺じゃねーよ」
 大地が蒼空を指差す。
「ごめんね、あんなに多いと思わなかったから……」
 彼女は申し訳なさそうな顔で僕を見る。
「蒼空の頼みじゃ仕方ないね。いいよ」
「ありがとう」
 蒼空の頬に笑窪が浮かぶと、まわりの空気がぱっと明るくなった。

 僕や大地の黒い部分まで白に変えてしまえるような、優しく善なる無垢のヒト。

 額の真眼で見ても、真綿のような白さと輝きを持っているのは、蒼空ただ一人だ。そばにいるだけで浄化されそうな気がして居心地が()い。
 大地にとって、蒼空は特別な存在だ。
「蒼空には優等生の顔しか見せたくない。だからあいつは俺の良心そのもので、たぶん失ったら生きていけない。この意味……わかるよな?」
 ずいぶん前、釘を刺すように言われたが、大地の裏の顔について蒼空に告げ口などするわけがない。
「あいつが助けてくれなかったら俺の命は十二歳で終わってた」
 幾度となく聞いたその言葉は、僕の胸の深いところを傷つけ、癒えることのない傷から噴き出す煮えたぎった血が出口を求めて身の内で暴れ、業火となって僕を(さいな)む。

――大地を助けたのは蒼空じゃない!

 そう叫ぶことができたなら、どんなに楽だろう。だが真実を口にしたら、ヒトとして大地の(そば)にいる事を諦めなくてはならなくなる。
 十二歳まで白く輝いていた彼に、魂を黒く染める種を植えたのは、まぎれもなくこの僕なのだから。



 小学校最後の夏休み、貯水池で溺れた大地を助けるために、僕は自分の精気を分け与えた。
 黒い翼を持つ僕の精気でヒトを蘇生させたらどうなるかなんて、当時の僕にはわからなかった。だが、息をしなくなった大地の命を繋ぎとめるには、やるしかなかったのだ。
 最も手っ取り早い方法で口から精気を吹き込むと、止まっていた心臓が力強く動き出した。僕が(よみがえ)らせたと思うとたまらなく愛しくなり、夢中で大地の唇を(むさぼ)ってしまった。
 我に返ったのは、僕らを呼ぶ蒼空の声が聞こえた時だ。
 かなりの精気を失った僕は、翼や真眼をあらわにした本来の姿を隠せなくなっていて、倒れそうになりながら必死でその場を離れ、木立の下の茂みに逃げ込んだ。
 そして蒼空は、ずぶ濡れで倒れていた大地を見つけ、介抱しつつ救急車を呼んだ。それで、彼を助けたのは蒼空ということになってしまったのだ。
「人工呼吸なんかしてない」
 そう否定する蒼空は正しい。本当にしていないのだから。
 だが大地は信じなかった。羞恥心から嘘をついていると思い込んだ。
 僕は目の前で恋が育つのを、大地が黒く染っていくのを、ただ黙って見ているしかなかった。



「こうやって三人でいると昔を思い出すね」
 それぞれ本を抱えて図書室に向かう途中、蒼空が嬉しそうに言った。
「懐かしい」
「久しぶりに三人でどっか遊び行くか?」
 大地の声は優しい。蒼空に向ける顔には邪悪な色などみじんもなく、優等生の仮面とも違う本来の姿があった。
「邪魔になりそうだから遠慮しとくよ」
 僕は冗談めかして笑いながら断る。

 見たくない。こんな大地の姿など。

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登場人物紹介

三島海斗。黒い翼を隠し持つ人外だが、ヒトの世界にとけこんで闇の任務をこなせるように育てられ、学校にも通っている。養い親はかつて神だったモノで、気まぐれに拾って育てたと聞かされている。

矢野大地。テニス部のエースで生徒会役員もつとめる優秀な生徒。小学生のころ池で溺れたことがあり、そのとき命を救ってくれたのは蒼空だと思いこむ。黒く染まった裏の顔を持つが、蒼空に対してだけは昔のまま純粋な気持ちで接している。

原田蒼空。平凡で目立たない小柄な女の子。誰にも嫌われることのない柔らかな空気をまとっている。一緒にいるだけで癒されるような、やさしく素直な性格の持ち主。

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