第5話
文字数 2,196文字
「誰にも言わないよ」
口止めにあっさり頷 き、蒼空はうっとり夢見るような目で僕を眺めた。
「勿体ないね。こんなに綺麗なのに隠さないといけないなんて」
血と汚濁 にまみれ、白すぎる肌に漆黒の大きな翼を生やし、額に金色の目が縦に開いている僕のどこが綺麗だと思うのか。
この姿を見て驚かないことが何より不思議だが、蒼空にはそういうところがある。
ありのままを受け入れてくれる愚鈍なまでの素直さが、涙が出るほど僕の心を震わせているのに、たまらなく憎くもあった。
蒼空は約束を律儀に守り、大地にすら話さないだろう。
だが僕は深く……深く絶望していた。
「早く帰って。僕は大丈夫だから」
僕は膝を抱え、翼を広げて自分を覆い隠した。これ以上、蒼空の目を汚すわけにはいかない。
「わかった。またね、海斗」
ドアが閉まり、軽やかな足音が遠ざかる。
僕は蒼空に触れられた羽を、あらためて確認してみた。やっぱり、漆黒の羽がその部分だけ白くなっている。黒が白に変色したのではなく、黒い塗りが剥 げて白くなったように見えた。
「癒しの神か」
声とともに空気が揺らいで父親が現れた。
「まれにヒトに転生するらしいが、よもや隣の家にいたとは」
見逃してもらえるとは思えない――次に父親が何を言うか、僕にはわかっていた。
「始末しろ」
父親は白くなった羽を強く掴 んだ。その手から黒い瘴気が染み渡る。
「この住処も潮時だな」
一瞬で漆黒に戻った翼を、僕は少なからず残念に感じた。
蒼空を手にかけなければならないのなら、せめて苦しまないようにしてあげよう。
「蒼空を失ったら生きていけない」
大地の声が脳裏にこだまする。
蒼空を失った大地は、きっと今よりあからさまに黒くなるだろう。
ここを離れるとしたら、周囲の人々から僕に関する記憶は消される。大地が黒い種に支配されながら荒 んだ人生を送るとしても、僕は傍 にいることさえできない。
遠く離れてしまえば、忘れられるだろうか?
癒えない傷から血を噴き出すことも、その血が業火を放つことも、身の内から焼かれ苦しみ悶えることも、全てなくなって、僕は楽になれ……る?
本当に?
「不愉快だ」
父親は力づくで無理やり僕の翼を広げた。
「せっかく捕えて、ここまで堕 としたのに」
無数の黒い手が僕に絡み付き、ぎゅうぎゅうと締め上げる。
「癒しの神と交わりでもしたら、元に戻ってしまうじゃないか」
僕は抵抗することも忘れ、父親の目を凝視した。底なし沼のようなどろりと濁った黒い目。
――元に戻る、とはどういうこと?
「僕はどこか暗い所から拾われたのでは……」
父親は目をスッと細めた。
「天にな、穴を穿 ってみたのだよ。この身が通るには小さ過ぎたが、生まれたてのおまえを捕らえるには十分だった。引き摺 り下ろした時、この翼は真っ白で……それはもう」
堕ちた神の成れの果ては、大きく口を開けて可笑しそうに嗤 った。
「ひどく醜かったよ」
ガンと強い力で叩かれたように頭が痛んだ。
邪悪なはずの僕が、なぜ蒼空の傍にいて心地良かったのか、やっとわかった。
僕の翼は白から黒に、瘴気で染められたものだった。身の内を満たす精気もまた黒く穢 されたものなのだろう。
では、大地を黒く染めたのは僕じゃなくて……この堕ちた神?
胸の奥深いところでかさぶたが剥がれ落ち、どくどくと熱い血が噴き出してくる。ほどなく血は業火と化し、出口を求め暴れ始めた。
「ああ、気が変わった。癒しの神はこの手で始末するとしよう」
未来永劫ずっと神には戻れぬ黒い者は、妬みと憎悪に満ちた顔をしていた。
――ああ、なんて醜い!
「まずは男たちに犯させるのも一興……」
「させない!」
僕は叫びとともに業火を吐き出し、目の前の醜悪なものを炎で包み込んだ。父親だったものは凄まじく絶叫して転げ回り、白い炎に炙 られ続けた。
どれほど邪悪であろうと、暗い所で朽ちる身だったのを拾って育ててもらった恩がある限り、逆らうことなどできないと思っていた。
「あ……」
ふと、心身から黒が薄れていくのを感じた。気のせいかと思ったが、清々しく晴れ渡っていくような感覚が確かにある。
翼を広げて見ると、黒が浮いて剥がれそうになっていた。僕が羽ばたくとそれは払われ、靄 となって空気に融けて消えた。
初めて見る白い翼。
それはとても美しかった。
突然、ひくひくうごめく焦げた肉塊が、ぶわっと黒い瘴気を吐き出した。
「慈 しんでやったのに」
怨嗟 の声とともに一本の黒い手が生え、目にも止まらぬ速さで伸びて来て僕の首をがっちりと掴んだ。
「おまえの中に棲 むぞ」
肉塊の表面が割れ、ずるんっと
黒い手を外そうともがいたが、びくともしない。濃厚な禍々 しさを放つ
「もう何をしても無駄」
顔の下まで這 い上がってきた
口止めにあっさり
「勿体ないね。こんなに綺麗なのに隠さないといけないなんて」
血と
この姿を見て驚かないことが何より不思議だが、蒼空にはそういうところがある。
ありのままを受け入れてくれる愚鈍なまでの素直さが、涙が出るほど僕の心を震わせているのに、たまらなく憎くもあった。
蒼空は約束を律儀に守り、大地にすら話さないだろう。
だが僕は深く……深く絶望していた。
「早く帰って。僕は大丈夫だから」
僕は膝を抱え、翼を広げて自分を覆い隠した。これ以上、蒼空の目を汚すわけにはいかない。
「わかった。またね、海斗」
ドアが閉まり、軽やかな足音が遠ざかる。
僕は蒼空に触れられた羽を、あらためて確認してみた。やっぱり、漆黒の羽がその部分だけ白くなっている。黒が白に変色したのではなく、黒い塗りが
「癒しの神か」
声とともに空気が揺らいで父親が現れた。
「まれにヒトに転生するらしいが、よもや隣の家にいたとは」
見逃してもらえるとは思えない――次に父親が何を言うか、僕にはわかっていた。
「始末しろ」
父親は白くなった羽を強く
「この住処も潮時だな」
一瞬で漆黒に戻った翼を、僕は少なからず残念に感じた。
蒼空を手にかけなければならないのなら、せめて苦しまないようにしてあげよう。
「蒼空を失ったら生きていけない」
大地の声が脳裏にこだまする。
蒼空を失った大地は、きっと今よりあからさまに黒くなるだろう。
ここを離れるとしたら、周囲の人々から僕に関する記憶は消される。大地が黒い種に支配されながら
遠く離れてしまえば、忘れられるだろうか?
癒えない傷から血を噴き出すことも、その血が業火を放つことも、身の内から焼かれ苦しみ悶えることも、全てなくなって、僕は楽になれ……る?
本当に?
「不愉快だ」
父親は力づくで無理やり僕の翼を広げた。
「せっかく捕えて、ここまで
無数の黒い手が僕に絡み付き、ぎゅうぎゅうと締め上げる。
「癒しの神と交わりでもしたら、元に戻ってしまうじゃないか」
僕は抵抗することも忘れ、父親の目を凝視した。底なし沼のようなどろりと濁った黒い目。
――元に戻る、とはどういうこと?
「僕はどこか暗い所から拾われたのでは……」
父親は目をスッと細めた。
「天にな、穴を
堕ちた神の成れの果ては、大きく口を開けて可笑しそうに
「ひどく醜かったよ」
ガンと強い力で叩かれたように頭が痛んだ。
邪悪なはずの僕が、なぜ蒼空の傍にいて心地良かったのか、やっとわかった。
僕の翼は白から黒に、瘴気で染められたものだった。身の内を満たす精気もまた黒く
では、大地を黒く染めたのは僕じゃなくて……この堕ちた神?
胸の奥深いところでかさぶたが剥がれ落ち、どくどくと熱い血が噴き出してくる。ほどなく血は業火と化し、出口を求め暴れ始めた。
「ああ、気が変わった。癒しの神はこの手で始末するとしよう」
未来永劫ずっと神には戻れぬ黒い者は、妬みと憎悪に満ちた顔をしていた。
――ああ、なんて醜い!
「まずは男たちに犯させるのも一興……」
「させない!」
僕は叫びとともに業火を吐き出し、目の前の醜悪なものを炎で包み込んだ。父親だったものは凄まじく絶叫して転げ回り、白い炎に
どれほど邪悪であろうと、暗い所で朽ちる身だったのを拾って育ててもらった恩がある限り、逆らうことなどできないと思っていた。
「あ……」
ふと、心身から黒が薄れていくのを感じた。気のせいかと思ったが、清々しく晴れ渡っていくような感覚が確かにある。
翼を広げて見ると、黒が浮いて剥がれそうになっていた。僕が羽ばたくとそれは払われ、
初めて見る白い翼。
それはとても美しかった。
突然、ひくひくうごめく焦げた肉塊が、ぶわっと黒い瘴気を吐き出した。
「
「おまえの中に
肉塊の表面が割れ、ずるんっと
何か
が抜け出した。黒い手を外そうともがいたが、びくともしない。濃厚な
何か
は、ずるずると蛇が巻き付くようにらせんを描いて、僕の体を上ってくる。「もう何をしても無駄」
顔の下まで
それ
は、凍りつくような黒い声を発すると、凄まじい力で僕の口を割って体内に侵入した。