第4話

文字数 1,612文字


 ヘマをしてしまった。
 僕は制服の上衣を脱ぎ、流血を隠すために腕にかけた。手首の少し上がザックリ切り裂かれている。仕掛けるタイミングをミスして、ターゲットの方から先に攻撃されたのだ。
 しかも、動揺して力の加減を間違え、依頼された以上のダメージを与えてしまった。
 僕だって生身の体で生きている以上、物理的攻撃を受ければ怪我をしてしまう。日本刀で切られた傷は思いのほか深かった。自力では治せそうにない。
 とりあえず、なるべく人通りの少ない裏道を選んで自宅へ向かうことにした。
――あんな場面を見てしまったせいだ。
 僕は唇を噛み締め、ズキズキする腕を抱えた。
 図書室の書架の向こう側で、大地は蒼空にキスしていた。
 そっと頬に触れた右手と、強めの力で頭の後ろを押さえている左手。長身を(かが)め、蒼空の小さな唇を慈しむように(ついば)む。
 醜い性奴隷どもとの痴態とはまったく違い、それはとても崇高(すうこう)な行為に見えた。

――どうして大地の優しいキスを受けるのが僕じゃないの?

 いや、わかっている……わかっているのだ。
 大地を白く癒せるのは蒼空だけで、黒い命を吹き込んだ僕の出る幕などない。

 永遠にない。



「海斗!」
 狭い路地を抜けたところで、蒼空に遭遇してしまった。
「どうしたの!? 大丈夫?」
「え、なにが?」
 僕は平静を装い笑みを浮かべた。
「その血……」
 驚いた顔で指さされて見下ろすと、ワイシャツの胸の部分がわりと広範囲に赤く染まっていた。負傷した腕を体に寄せ過ぎたせいだ。こんな失敗は全くもって僕らしくない。
「あ……猫が車に()かれるとこ見て思わず抱き上げちゃったから」
 だめだ、うまく誤魔化せない。
「怪我とかじゃないし、大丈夫」
 僕は愛想笑いして蒼空に背を向け、腕を抱えるようにして逃げ出した。
 そのまま走って自宅にたどり着くと、玄関先で父親が待ち構えていた。
「しくじったな」
 答えるより早く、僕の体は見えない何かにがんじがらめにされ、宙吊りにされてしまった。
 父親は腕組みしたまま、背中から無数に生やした細く黒い手で、僕の制服を切り裂きながら裸に()いていく。頭上で吊るされた腕から流れる血が、ゆっくり肌をつたい爪先から床に(したた)り落ちた。
「これはこれで美しい」
 黒い手は傷に触れ、鋭い爪を沈める。新しい血がどくどくと湧き出す。痛みに思わずうめくと、父親は僕に両手を伸ばしてきた。
 おぞましい口づけ。
 血を塗りたくるように肌を撫でまわす無数の黒い手と、腹の下の方で淫靡(いんび)にうごめくヒトの形をした手。
 吐き気がする。涙が止まらない。
 それなのに体の方は快楽に(あらが)えず、無理やり広げられて体の奥深いところまで侵入を(ゆる)してしまう。

 僕は深淵をのぞきながら、いったい自分はどこにいるのだろうと考えている。
 深淵のふちに立っているのか、()ちかけているのか、それとも、もうとっくに墜落してしまっているのか。

「治してやろう」
 獣欲を満たした父親は微笑み、僕から羽を一枚ぶちっと抜き黒い霧に変えて傷を(おお)った。もやもやと傷口に吸い込まれていく霧を眺めているうちに父親は姿を消し、僕は解放されて床に崩れ落ちる。
 とても……とても疲れていた。
 だから気が回らなかったのだ。
「もしかして、海斗なの?」
 やわらかく清浄な空気が僕を包む。肩に温かい手を感じて身を起こすと、そこには蒼空の姿があった。
 どうしてここに、なんて訊くまでもない。僕の様子が変だったから心配して訪ねて来たのだろう。父親との(けが)れた行為を見られなかっただけ、まだましかもしれない。
「綺麗ね」
 蒼空は僕の翼に触れた。
「熱っ」
 声を上げた僕に慌てて手が離れる。見れば、蒼空が触れた部分の羽が白くなっていた。
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登場人物紹介

三島海斗。黒い翼を隠し持つ人外だが、ヒトの世界にとけこんで闇の任務をこなせるように育てられ、学校にも通っている。養い親はかつて神だったモノで、気まぐれに拾って育てたと聞かされている。

矢野大地。テニス部のエースで生徒会役員もつとめる優秀な生徒。小学生のころ池で溺れたことがあり、そのとき命を救ってくれたのは蒼空だと思いこむ。黒く染まった裏の顔を持つが、蒼空に対してだけは昔のまま純粋な気持ちで接している。

原田蒼空。平凡で目立たない小柄な女の子。誰にも嫌われることのない柔らかな空気をまとっている。一緒にいるだけで癒されるような、やさしく素直な性格の持ち主。

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