第2話

文字数 1,850文字


 何事もなかったように一限から教室に戻った僕は、いつも通りひっそりと気配をころして過ごした。
 成績は可もなく不可もなく。あくまで目立たぬように……僕を育てた父親の方針だ。
 といっても、実の父ではない。
 それどころか、ヒトですらない。
 どこか暗い所にいた僕を拾い上げたのは、堕ちた神の成れの果てだった。
 だから、僕も元がヒトなのかどうかわからない。たぶん違うのだろうと思う。三島海斗という名前も偽物だけど、かといって本当の名前みたいなものが他にあるわけではない。
 

は、自分の仕事を代わりにこなせる者を必要としていたようだ。物心つく前から容赦なく仕込まれたおかげで、僕はヒトの世にまぎれて学校へ通いながら、生き物の精気や命を自在にあやつる化け物に成長した。
 立派に育った僕を、父親は特別に愛してくれる。

 それは僕にとって吐き気をもよおすような、おぞましい愛情だった。

「おまえは誰よりも美しい」
 薔薇の繁みに(とら)われるような肉体の快楽で(しば)られ、もがけばもがくほど(とげ)(いた)めつけられ、どこまでも(むしば)まれゆく(けが)らわしさに息も絶え絶えになる。
 だけど、胸の奥底で()えることなく血を噴いて(うず)き続ける傷に比べたら、そんな痛みなど取るに足らないものなのだ。



 放課後、階段の踊り場で蒼空(そら)に会った。
「帰るとこ?」
 いつも通り屈託なく話しかけてくる。ふくふくした白い頬には笑窪(えくぼ)が浮かんでいた。

 大地が愛してやまない、優しさだけが取り柄の、平凡な容姿の女の子。

 蒼空といると、ふんわり柔らかく暖かいものに包まれたような気持ちになる。
 僕が彼女に向ける感情は複雑で、時にめちゃくちゃに傷付けて泣かせてやりたくなる。なのにどういうわけか、大切に守らなければとも思うのだ。
「蒼空は部活?」
 彼女が着ている白地に赤ラインが入ったジャージは、大地と同じテニス部のものだ。
「うん。コーチに頼まれて大地を捜してるの。でも生徒会の方にもいないし、どこ行ったのかな。荷物あるから帰ってはいないと思うんだけど……」
 僕は直感で、大地がどこで何をしているのか悟った。
「捜すの手伝おうか?」
「お願いしていい? 私より海斗の方が大地の事わかってるし」
 何気ない蒼空の言葉が、透明な針のように僕の心臓を(つらぬ)く。残酷な衝動が()いてくるのを、必死に堪えて笑みを浮かべた。
「一緒に捜すより手分けして回ろう。今スマホ持ってる? じゃ、見つかったら連絡するよ」
 僕は蒼空と別れて階段を上に向かった。



 最上階まで行き、校舎中央の階段を更に上ると、予備の机や行事用の照明器具などが収納されている倉庫がある。扉には鍵が付いているが、大地は合鍵を持っていた。どんな手を使ったのかはわからない。
 窓のない扉に手をかけると、内側から女の声が()れ聞こえてきた。ぎしぎしと机を揺らす淫靡(いんび)な音がする。

 僕は(ひたい)真眼(しんがん)を開き、扉の向こうを()た。

 女子生徒を(もてあそ)ぶ大地が見える。
 ほぼ裸に近い女子の痴態には何も感じないが、制服を下だけ脱ぎ捨てた浅ましい大地の姿に、胸の鼓動が高鳴った。
 何度見ても醜悪(しゅうあく)な構図だと思う。なのに、そんな大地から目が離せないのだ。
 いやらしく弛緩(しかん)した表情や、()き出しの筋肉が猛々(たけだけ)しく律動するたくましさ……普段は見ることのできない大地の生々しい姿が僕を(とりこ)にする。
 見ているうちに立っていられなくなって、がくんと膝を折り床に手をついた。
 どうして、こんな(けが)れた行為に(ふけ)る彼に恋焦がれているのか――それだけは誰にも言えない。知られたくない。
 異形の力を行使すれば、大地を手に入れることは可能だろう。
 だけど僕は、そうしようとは思わない。
 精気を奪って意のままにできても、それは大地の抜け殻でしかなく、そんなものは欲しくないからだ。



「海斗、こんな所でどうした?」
 階段の下で待っていると、何食わぬ顔の大地が現れた。
「蒼空が捜してたよ。居場所、教えるわけにもいかないから待ってた」
 僕の顔はいつも通り、共犯者じみた黒い笑みを浮かべている。
 そして大地は、狡猾(こうかつ)な目をしてうなずき、うっとりするほど邪悪に微笑むのだ。


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登場人物紹介

三島海斗。黒い翼を隠し持つ人外だが、ヒトの世界にとけこんで闇の任務をこなせるように育てられ、学校にも通っている。養い親はかつて神だったモノで、気まぐれに拾って育てたと聞かされている。

矢野大地。テニス部のエースで生徒会役員もつとめる優秀な生徒。小学生のころ池で溺れたことがあり、そのとき命を救ってくれたのは蒼空だと思いこむ。黒く染まった裏の顔を持つが、蒼空に対してだけは昔のまま純粋な気持ちで接している。

原田蒼空。平凡で目立たない小柄な女の子。誰にも嫌われることのない柔らかな空気をまとっている。一緒にいるだけで癒されるような、やさしく素直な性格の持ち主。

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