§01-1 7/20 雨野久秀の告白(1)

文字数 3,402文字

 二十三区内に生を享けた人間であれば、遺伝的形質のひとつの発現として、今さら検索アプリなんぞの助けを借りるまでもなく、蜘蛛の網ほどの戦略性も感じさせない地下鉄十三路線を、それこそ徒手空拳で乗りこなせる。そんな、すっとぼけた都市伝説があるらしい。どこのどいつが吹聴して回っているのか? ――高校二年の一学期の真ん中なんて中途半端な時期に、奈良の田舎から転校してきた雨野久秀みたいな男が、勢いあまって想像を逞しくし過ぎてしまい、うっかりそんな戯言を口にするのかもしれない。ありそうな話だ。
 ところが父曰く。一学期の真ん中と言っても厳密には六月のことであり、六月は多くの企業で年次株主総会に伴う組織改編が行われる月であり、そのタイミングで引っ越しがあったとすれば、父親は相応の立場にある人間であるやも知れぬ。下々の人事異動はおおむね四月に終わるものだが、取締役に近ければ近いほど、異動タイミングは株主総会への依存度を強めていくのだ。――とかなんとか。
 これを真に受けてみると、雨野久秀のお父様はそれなりのお立場にあるお方であるお可能性がお急浮上してくるわけで、一学期の真ん中での転校は中途半端でもなんでもない、むしろ意味深いタイミングであるかもしれないのだった。故事にも伝わるように、世の中を知らぬ人間というものは、このようにしてみっともない誤読を犯すという話か。危ない、危ない……。
 雨野久秀はその名が示す通り、奈良(旧大和国)から転校してきた。しかし生まれたのは名古屋だった。小学生の終わり頃に奈良へ引っ越したとき、だから、その名で揶揄われた。「弾正」への連想から、「ダンちゃん」と呼ばれた。――あとになってからそう聞いて、なんて気の毒な男だろう…と思った。松永久秀は評判が悪い。多分に後世になって創作された虚像であるらしいとも聞くが。
 雨野はお世辞にも、パッ!と見た瞬間にドキッ!とするほどの男ではない。しかし、たまたま私の左斜め前方に座ったもので、折りにつけ観察を続けてみたのだが、さほどの時間を要するまでもなく、いわゆる「スケコマシ」であるという事実が発覚した。「スケ」とは「女」を指すスラングであり、「コマス」は「手のひらの上で転がす」的な意味合いを持つ。
 すぐに数名の女が落ちた。どこまで落ちたかは知らないが、落ちたのは見ればわかる。ただし淫乱・淫靡な匂いは漂ってこない。いまだに世の中を席巻し続けているらしい、あのおめでたい異世界ハーレムものの世界を彷彿とさせる。つまり、性欲は(何故か知らぬが)抑制されており、そんな場面に遭遇すると(何故か知らぬが)顔を赤らめたり慌てふためいたりする、例のお約束のやつだ。しかしあれは、何故ああなのだろう? 主人公は十二分に思春期ど真ん中の男だし、ハーレムの構成員は十二分どころか十八分くらいまで熟し切った肢体を、これ見よがしに強調しているというのに。……え、女の子が怖いって? おいおい、そいつは転生する前の話だろう。
 とはいえ、「ハーレム」に喩えておきながらこんなことを言うのもなんだけれど、雨野久秀が異世界ハーレムものを再現するが如き煽情的な美少女たちに取り囲まれるような情景は、残念ながらここには現出しないのだ。もちろんこの学校にあれほどまでに煽情的な美少女がいないと断定するものではなく(たぶんいないけどな……)、雨野のスケコマシ度合いの力量の問題を反映してのことであろう。どれもまあ、私の口から言わせて頂いていいのであれば、着順掲示板に載ることはあっても未勝利のまま引退する競走馬…並みの連中だ。種馬にはなれない。女だから当たり前だという話ではなく、資格要件が満たされない哀しい現実の隠喩として。
 唐突だが、私は府中にある東京競馬場にちょくちょく通ってきた。叔父の征直が誘ってくれる。叔父の征直は雨野久秀とは違い、パッ!と見た瞬間にドキッ!とするほどの男である。独身で、競馬場に行くくらいしか趣味のない叔父だから、東京で開催中の土曜日は朝から夕まで一緒に過ごす。私もちょっとお小遣いをもらい、1レースに1枚だけ馬券を買う。大きく当てたいから三連単(一着から三着までを着順通りに言い当てるもっとも当選難易度が高い馬券)を選ぶ。どうせ叔父のお金だし、大したお金でもない。全レース打っても、たったの3,600円だ。
 1レースに300円しか使わせてくれないのは、決して叔父がケチだからではなく、万が一万馬券が当たったりすると、払戻金の処置に窮するからである。300円が30,000円を超えるくらいの話なら、まるっと全額くれてやってもいいわけだが、3,000円が300,000円を超える事態ともなれば、さすがにまるっとくれてやるのは躊躇われる。私の親(叔父は母の弟だ)もきっといい顔をしない。叔父とのデートに干渉してくる恐れすら出てくるだろう。だから私は1レースに300円しか買わないのであり、だから私は百倍に満たない勝ち馬投票券は買わないのである。300円が3,000円になったくらいで、今どきの高校生が興奮するかね?
 私は「ものごころ」なる不確かなやつが生じる以前から、ずっとこの叔父に恋をしている。たぶん三歳か四歳の頃には(「お嫁さん」なる概念を認知して以来)、叔父のお嫁さんになると決めていた。それから十年以上が経過した今現在に至ってもなお、叔父の立ち位置を揺るがす男に出会っていない。そして叔父のほうは、今なおパッ!と見た瞬間にドキッ!とするほどの男であり続けながら、そのうえ稼ぎだってずいぶんあるはずなのに、どうしたわけか良縁に恵まれない。彼女さんを紹介してもらった機会も幾度かあるのだが(東京競馬場でだ)、毎度々々「はじめまして」とご挨拶してきた記憶がある。従って私にとってはお誂え向きの状況が続いている。
 だが、そんな幸せいっぱいな週末も、去年の春に唐突に終幕を迎えてしまった。言うまでもなく、covid-19とか呼ばれる厄介なウィルスのせいだ。私の幸せいっぱいな週末どころか、この太陽系第三惑星における人類の覇権史すら終わらせかねないほどに、凄まじく凶悪な連中であるらしい。
 閑話休題――雨野久秀に話を戻そう。
 周囲から羨望を集めるほどの連中でないとは言え、それでも、休み時間になるといつも数人(厳密に四人)の女と談笑している情景は、やはり人目を惹かないではおかない。さすがに高校生ともなればイジメが始まったりはしないけれど、面白くないと思っている男は少なくないだろう。しかし、雨野を排除したところで、女たちが自分のほうを向いてくれるようになるとは限らないという当たり前の現実を、高校生ともなれば男たちのほうでも理解している。雨野一人を排除してみたところで、男の希少性はこれっぽっちも高まりはしないのだ。そのために男たちは、歯噛みして見守るよりほかないわけである。
 しかし少数ながら、あからさまに不満気な顔を隠さない男がいる。邪魔だと言わんばかりに、わざと女たちを押し退けるように歩いて見せたりする男がいる。おまえの席はその近くではなかろうと、私はひとりでくすくす笑っている。もちろん声も出さないし、表情も顔色も変えない。進学校の二年生の一学期という天下泰平な教室内の出来事としては、雨野久秀をめぐるこのようなみっともない騒動は、いちばんおもしろい見世物のひとつだと言っていい。実際、それくらいしかおもしろい見世物も見当たらないのが、進学校の二年生の一学期である。
 さて、本校では、成績上位者三十名の名前が廊下に貼り出される。一学期の期末試験の結果発表を迎えたこの日、雨野久秀の名前が十七位にあり、私のひとつ後ろだった。この辺りにいれば、上位十名ほどは早慶上理を狙いに行くわけなので、GMARCHクラスへの推薦が間違いなく得られる。本校はそのくらいのレベルにある数多の都立高校のひとつだ。
 この期末試験ではトップ5に入れ替わりがあった。入学以来、不動の首位の座にあった紀平理美の名が、なんと!三位にまで転落した。そして初めて紀平から首位を奪ったのが、それまで二十位前後をウロチョロしていた内藤弼であった事実とも相俟って、二学年のフロアーの空気は妙に熱を帯びていた。いよいよ入学時の成績を乱すシャッフル=乱世の影が忍び寄ってきたわけである。
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