§05-4 7/23 佐藤カッコ由のほうの問題(4)

文字数 4,281文字

 ワンクリックでカルボナーラとかオムライスとか上海焼きそばとかを届けてくれるというサービスがあるもので、それに佐藤由惟がドンッとお胸を叩いて気前よく「今日は私が持つよ!」とお財布を開いて見せたものだから、このままここでお昼ご飯を頂く運びとなった。実際、カルボナーラとオムライスと上海焼きそばをオーダーし(ワンクリックでもツークリックでもなくもうちょっとクリックさせられたが)、三品をふたりでシェアすることにした。
 なんだかこうなってみると、私たちって保育園からの幼馴染みだったっけ?みたいな気分になってくるのだから、不思議なものである。しかし佐藤由惟と私とは、実のところ雨野久秀をめぐる恋敵の関係にある。――いや違う。佐藤由惟が雨野久秀を好きで、雨野久秀が私を好きで、私は別に誰のことも好きではないという、わかりにくくはないけれども、誰かと誰かが真っ向勝負して優劣を決めればそれで落着するというような、そうした方向でのわかりやすさもない関係だ。
 少なくとも私が雨野久秀をこれっぽっちも好きではないことが救いとなっており、ただいま現在の状況としては、佐藤由惟がこの私から雨野久秀に好かれる要素を探り出そうと試みており、私のほうでも協力を惜しまない姿勢を見せているところである。共闘体制と呼んで呼べなくもない。立憲民主党と日本共産党が手を組むような話だ。いやむしろわかりにくいか、それ。
 さすがに寝そべったままでは食事はできないので、できないこともなかろうけれど私たちはそこまでくだけた関係ではないし、現状もリラックスの底が抜けるほど盛り上がっているのでもないし、私たちはフラットシート上で座り直し、フォーク(カルボナーラ)とスプーン(オムライス)と箸(上海焼きそば)の分配に悩んだあと、飲料を追加補給してから食事を始めた。――ちなみに、カルボナーラとオムライスと上海焼きそばを前にすると、「フォークと箸」「フォークとスプーン」には互換性があるが、「スプーンと箸」には互換性がないため、私が互換性のない「スプーンと箸」を、佐藤由惟が単体でも働けるフォークを使うことに決まった。佐藤由惟にとって本日のゲストである私のほうに、道具を二つ譲る形での決着である。
「しかし、そっか。――目の前にこれほどの逸品がこれ見よがしに張り出していたというのに、雨野はわざわざ振り返ってしか見ることのできない私を好いたという話か。ちょっとばかり癖のある男なのかもしれないね」
「結城さんほんとにまったく接触なかったの?」
「なかったと思うけどなあ……」
「そうなるとさ、もう見た目で結城さん好きになった、てことだよね?」
「確かに、最初見たときハッとした、とは言ってたな」
「あ、そうなんだ」
「うん。ふつうに可愛いとも言われた」
「結城さんほんとに可愛いし」
 まあ、そうなんだけどね。
「しかしなんだな、『ふつうに可愛い』てどういうことかね? 『可愛い』の前に『ふつうに』てくっつくのはなんで?」
「可愛いの中にもいろいろあるからじゃない?」
「それは垂直方向の話として? それとも水平方向?」
「垂直と水平がわからないよ」
「垂直はそのまま『可愛い』の程度――『むちゃくちゃ可愛い』とか『すこぶる可愛い』とか『そこそこ可愛い』とか『わりかし可愛い』とか、そういうスペクトラム模様のやつね。水平は多様性――『ちっさくて可愛い』とか『ぽっちゃりしてて可愛い』とか『ちょこちょこしてて可愛い』とか『おっとりしてて可愛い』とか。嗜好性と言い直してもいいかな」
「じゃあ『ふつうに』は真ん中くらいってこと?」
「そうなるよね? 少なくとも偏向した趣味をくすぐってはいないよね?」
「結城さんちょっと変な子だけどね。――あ、ごめん」
 まあ、それはそうなんだよ。
「いや、いい。その自覚は小学生の頃からある。今さら驚きも傷つきもしない」
「でもさ、程度問題だけで好きになるもの? 可愛いに程度があるのはわかるけどさ、最高ランクにいるのがたとえば吹雪さんだよね? でもそれだけだと、可愛いの程度に応じて好きの程度も決まってきたりしない? でもたぶん違うよね。男子のいちばん好きなのはみんな吹雪さんなんてことないわけだし。やっぱりなんらか嗜好性みたいなやつとの掛け算みたいになってるんだと思う」
「加減乗除すべてあるだろうな。足し引きで済む話もあれば、数倍になったり数分の一になったりもする。あ、符号もついてくるか。いやでもマイナスにマイナス掛けたらプラスになっちゃうな」
「愛憎が反転するみたいなのって、それじゃない?」
「それだ! まさしくそいつだね」
 なんだ、佐藤由惟もなかなか話せる女ではないか。
「……結城さん、いま『可愛い』を分類してるの、なんか意味あるのかな?」
「だって佐藤ちゃん、雨野好みの女になりたいわ…て話なんでしょ?」
「うん、まあ、そうなんだけど……」
「でも今ちょっと思ったんだけどさ、そのために自分を変えるのってどうなの? やっぱり自分の持ってる武器を磨き上げるべきじゃないの?」
「私ってそんなに可愛くないかな?」
「いや、佐藤ちゃんは可愛いほうに分類されるよ。でもほら、女どうしの評価は当てにならないからね。なにしろ相手にしてるのは思春期真っ只中の田舎者な少年なわけであるからして」
「なるほどね。確かにそうだね。――となると、私の武器か……。武器って『私のチャームポイント』みたいな話でしょ?」
「そうそう、それそれ」
「要するに

でアピールしろ、て結論になっちゃうわけ?」
 おいおい、ここで持ち上げるなよ。――つうか、と言いますか、そんなふうに持ち上がるものなのですね。やっぱり御凄いですわ。デブの巨乳ならその辺にいくらでも転がっていますけどね、そもそもデブのあれは巨乳認定してはいけないやつですし、佐藤由惟の、このなんの変哲もない体つきにそれがくっついている景色を、いったい私はどう形容すればいいのでしょう? ――あ、あの、ほら、『奇岩』てあるよね? 奇怪な岩、て書くやつ。どうしてそこで転げ落ちずにいられるの?みたいな。そもそも君どっからきたの?みたいな。あれに近いものあるな。いやあ、壮観だ。
「そんな、まじまじと……」
「じゃ、佐藤ちゃん――いい加減ここ出てお洋服買いに行こうか?」
「え、なんで?」
「もう乗り掛かった舟だよ! 佐藤ちゃんが雨野に告るまで見守るよ! 私しか知らない裏話満載の暴露本まで自費出版しちゃうよ!」
「そんなの出版しないで! ……あ、でも、お洋服は欲しいかも」
「だろお?」
「そこ、でしょお?にしてよ」
「あ、失敬」
 ふたりとも品川は不案内なので(その辺にカフェすら見つけられなかった、情けない……)、どこに繰り出そうかと悩み始めようとしたところ、悩み始めようとしていたのは私のほうだけで、佐藤由惟は迷うことなく有楽町を目指した。
 そういえば…と思い返してみれば、今日は私が持つよ!との頼もしい御発言の際、さらりと開いて見せてくれた財布の中に万札があった。それも、お札を扇型に開いて見せたわけではないので確かなことは言えないのだが、感じとしては一枚二枚ではないようですらあった。万札というやつは、実際に測ったことがないのでうっかりしたことは言えないものの、どうも人類の視覚能力で識別できるくらいには、他の日本銀行券よりも(面積ばかりでなく)厚みがあるように思う。
 誰か勇気をふり絞って手元に千円・五千円・一万円の三種を取り揃え、ちょっと手で破ってみてもらえないだろうか? たぶん、私の見立てが正しければ、千円→五千円→一万円の順に抵抗が強くなっていくだろう。念のため、千円→五千円→一万円の順に破ったあと、次のひと揃えでは、一万円→五千円→千円の順に破ってみてもらえないだろうか? 今度は逆に抵抗が弱くなっていくだろう。さらに念には念を入れ、次のひと揃えでは目隠しをして、ランダムに破ってみた結果を抵抗の順に並べてみるところまで、どなたか試してみて頂けないだろうか?
 この三つの実験結果を取り揃えることにより、初めて、謎に包まれた日本銀行券の種類と厚みの関係が明らかにされるわけである。さらにこの実験では、その副産物として、日本銀行券を破ることに対する心理的抵抗感も明らかにされる。言わずもがなのことだが、最後に目隠しをするのは、経済的価値(額面)が物理的性質(紙の厚さ)を歪めてしまう――破る人の目が眩む――事態を避けるためだ。被験者の心の動揺は、科学的実験に於いては絶対に避けなければならない一方で、その動揺にこそ真実を見出そうとする学問もある。
 いずれにしろ、ひとつの実験で物理学と心理学のふたつの学位が取得できるかもしれないという、これはなかなかお得な実験かと思うのだが、誰かどうか? 手を挙げる人はいないか? 私の周りにはいそうもないので、ちょっとSNSかなんかで公募してみようかな……。
 ……いや、私の近くにいた。

どころか、今まさに

。この実験には最低でも千円・五千円・一万円の三種が三セット必要になるわけだが、先ほど佐藤由惟がさらりと見せてくれた財布の中に一枚二枚ではない万札が見えた。調達が最も難しい――なにしろ手で引き裂くのである――万札が三枚以上、今そこにある。手が届くところにある。
 ……いや、しかし、高校生には「夏休みの自由研究」みたいなやつがない。少なくとも私が通う高校にはない。従って「夏休みの自由研究」ではなく、別の何か、いかにももっともらしい理由を考えなければならない。が、これはそう簡単な話ではない。開成中や灘中なんかの小論文並みに難しい。人を食ったようなやつではダメなのである。
 ……いや、しかし、ではそもそも「夏休みの自由研究」ならいいのか? 千円・五千円・一万円の三種を三セット、快く提供してくれる親がこの世知辛い世の中に存在するのか? なにしろ総計四万八千円相当の日本銀行券を手で引き裂きたい!と言っているのである。なかなかそんな申し出に、諸手を挙げて賛同する奇特な親御さんなど、やはりこの世には期待できないだろう。
「子供が破りました、て銀行に持ってけば取り替えてくれるよ」
「え、そうなの?」
「うん。確か半分以上残ってれば一枚にしてもらえるはず」
「え、なぜ半分以上?――て、そんなの訊くまでもないか。半分で一枚になったら、それもう錬金術だな。『ザ・マジック・ハンド』の異名を欲しい儘にできる」
「その異名、嬉しい?」
 ……確かに、まあ、嬉しくはないな。
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