ルイボスティー
文字数 2,429文字
「サヤ、ちょっとそれ取ってくれる?」
「えー?どれ?」
「それ、戸棚の奥の」
「わかんないー。固有名詞でゆってー」
「もう、気の利かない子ねえ……ええと、なんだったかしら……」
母のサツキは名前を必死に思い出そうとしている。
「えー!あたしのせい?もーやだー!」
「あ、こら、待ちなさい!……まったく、もう」
小柄な初老の母、サツキはため息をついて娘を見送った。
「まったくもう、お母さんったら!」
自室のベッドにばふん!とうつ伏せに倒れこむ。長いストレートヘアがベッドの上に放射状に広がる。しばらく顔をうずめたまま起き上がらなかった。
今年17になるサヤはすらりとした長身で、クラスでは男子も含めて3番目に背が高かった。女子では学年で1番の長身、そのうえ顔立ちの整った美人で、目立つ。
もともと背が高かったわけではない。中学2年の初めの頃までは中くらいだったのだ。それが急激に成長を続け、今もそこそこの勢いで伸び続けている。
高校に入ってから、サヤは授業参観が嫌いになった。
母のサツキは、サヤの年代にはあまり見かけない、60歳という高齢の母だ。
高齢と低身長、目立つ要素を二つも持ち、さらにサヤの身長とのギャップもあって、クラスで必ず噂になってしまうのだ。もともと目立つことや話題の中心になることが得意ではないサヤは、みんなの注目に晒される授業参観がいつの間にか嫌いになっていた。
「お母さんのこと……大好きなのにな……いつからこんなにとげとげしくなっちゃったんだろう、あたし」
ぐす、と涙ぐむサヤ。
サツキは40を過ぎてから夫と結婚し、42の時に身ごもった。高齢出産はリスクも伴ったが、周囲の心配をよそにサツキは可愛らしい娘を授かった。
一人娘のサヤをサツキは大切にたいせつに可愛がった。
サヤが興味を示したものや、好きなものは何でも一緒に楽しみ、たくさん笑いあった。
そんなサツキの様子が変化し始めたのは、50代半ばに差し掛かり、サヤが中学校に上がった頃からだった。
動悸やめまい、原因のはっきりしない不調などを訴えるようになった。関節が痛む、手足が冷える、疲れやすい、などだ。
最初は疲れがたまったのか、とサツキは考えていたが、症状は一向に改善しなかった。そのうち睡眠の質も低下して、温厚で明るかったサツキはだんだんと周りにつらく当たるようになっていった。
サヤは、そんな母の変化に戸惑いながらも、為す術なく見ているしかできなかった。
ベッドに寝転んで気持ちを少し整理できたのか、サヤは立ち上がって台所に水を飲みに行った。
すると、母が台所でうずくまっていた。
「お母さん?!」
サヤは心臓をぎゅっとつかまれたような恐怖を感じながら母に駆け寄った。
「……ああ、サヤ。ちょっと、立ちくらみがしてね……」
「お母さん、さっきは怒っちゃってごめんね。サヤね……」
「ああ……いいんだよ、サヤ。すまないねぇ……こんな年寄りのお母さんで……」
サヤは鼻の奥がツンとするのを感じた。涙がにじんでくる。
「そんなことない。あたしお母さんが大好き。あたしこそごめんね、いい子になれなくて……」
「サヤ、あんたはいい子だよ。お母さんはサヤが、世界で一番大好きだよ」
サヤは思わず母に抱きつき、そのまま子どものように泣きじゃくった。
「……思い出したよ。戸棚の奥に、る……なんだっけ」
「もー、思い出してないじゃない」
「あー、ともかくね、お茶があるはずなんだよ。見つけて取ってくれるかい?」
「あ、これ?ルイボスティー?」
「そうそう、それそれ」
母は湯を沸かし、ルイボスティーを煎じ始めた。
「……あまい香りがするね。これ、どうしたの?」
「私の弟がね、ちょっと前に送ってくれたんだよ。姉さんに効くかも、ってね」
「これ、安彦おじさんの手紙?どれどれ……『このルイボスティーは更年期障害の緩和が期待できる、ミネラルたっぷりの健康茶です。活性酸素の除去もしてくれるらしいので、よく煮出してから飲んでください』だって。お母さん、更年期障害って何?」
「さあ……」
透明のマグに注いだルイボスティーは、なんとなくワインを思わせる濃い鮮やかなオレンジがかった色をしていた。
ふーふー、と冷ましながら二人でお茶を頂く。
「……あら」
「これ、おいしい!」
「すっきりして、飲みやすいわね」
「緑茶や紅茶みたいに渋くないね」
「ミルクを入れたらどうなるかしら」
「持ってくるね」
調製豆乳を入れてみる。
「!」
「すごくおいしい……!」
「ああ、何ていうのかしら、体に染みてくるような美味しさね」
「お母さん、あたしこれ好き!」
「弟にお礼の手紙を書かなきゃね」
二人に久しぶりに笑みがこぼれた。
ルイボスティーを常飲するようになってから、母が変わり始めた。
気持ちや体調が安定し始め、夜も眠れるようになってきた。
刺々しさは影を潜め、元来の明るいサツキが戻ってきた。よく笑い、よく働くようになっていった。
サヤはというと、やや暗くうつむきがちだった性格だったが、子どもの頃から持っていた伸びやかな性格が再び顔を見せ始めた。身長に対するコンプレックスもあまり意識しなくなっていった。
後で知ったことだが、ルイボスティーに含まれる各種ミネラル成分は更年期障害の症状を和らげてくれる効果が期待できるそうだ。またミネラルは、神経伝達物質の生成に必要な材料となるらしく、ミネラル補給でうつや発達障害が改善されるという報告もあるらしい。
また活性酸素を除去する酵素も含まれており、若さと健康を保つのにもいいらしい。
「安彦も、たまにはいい贈り物をしてくれるのねえ」
「おかーさん、たまには、は言わなくてもいいんだよ」
今では毎朝のお茶、夕食後のお茶、時には寝る前にもルイボスティーを一緒に飲むことが楽しみの一つになっていた。寝る前にも飲めるのはカフェインが入っていないからできることである。
(お茶って、こんなにも人生を変えることがあるんだ。
すごいな、お茶って)
サヤはお茶についてもっと知りたい、と思うようになっていった。
「えー?どれ?」
「それ、戸棚の奥の」
「わかんないー。固有名詞でゆってー」
「もう、気の利かない子ねえ……ええと、なんだったかしら……」
母のサツキは名前を必死に思い出そうとしている。
「えー!あたしのせい?もーやだー!」
「あ、こら、待ちなさい!……まったく、もう」
小柄な初老の母、サツキはため息をついて娘を見送った。
「まったくもう、お母さんったら!」
自室のベッドにばふん!とうつ伏せに倒れこむ。長いストレートヘアがベッドの上に放射状に広がる。しばらく顔をうずめたまま起き上がらなかった。
今年17になるサヤはすらりとした長身で、クラスでは男子も含めて3番目に背が高かった。女子では学年で1番の長身、そのうえ顔立ちの整った美人で、目立つ。
もともと背が高かったわけではない。中学2年の初めの頃までは中くらいだったのだ。それが急激に成長を続け、今もそこそこの勢いで伸び続けている。
高校に入ってから、サヤは授業参観が嫌いになった。
母のサツキは、サヤの年代にはあまり見かけない、60歳という高齢の母だ。
高齢と低身長、目立つ要素を二つも持ち、さらにサヤの身長とのギャップもあって、クラスで必ず噂になってしまうのだ。もともと目立つことや話題の中心になることが得意ではないサヤは、みんなの注目に晒される授業参観がいつの間にか嫌いになっていた。
「お母さんのこと……大好きなのにな……いつからこんなにとげとげしくなっちゃったんだろう、あたし」
ぐす、と涙ぐむサヤ。
サツキは40を過ぎてから夫と結婚し、42の時に身ごもった。高齢出産はリスクも伴ったが、周囲の心配をよそにサツキは可愛らしい娘を授かった。
一人娘のサヤをサツキは大切にたいせつに可愛がった。
サヤが興味を示したものや、好きなものは何でも一緒に楽しみ、たくさん笑いあった。
そんなサツキの様子が変化し始めたのは、50代半ばに差し掛かり、サヤが中学校に上がった頃からだった。
動悸やめまい、原因のはっきりしない不調などを訴えるようになった。関節が痛む、手足が冷える、疲れやすい、などだ。
最初は疲れがたまったのか、とサツキは考えていたが、症状は一向に改善しなかった。そのうち睡眠の質も低下して、温厚で明るかったサツキはだんだんと周りにつらく当たるようになっていった。
サヤは、そんな母の変化に戸惑いながらも、為す術なく見ているしかできなかった。
ベッドに寝転んで気持ちを少し整理できたのか、サヤは立ち上がって台所に水を飲みに行った。
すると、母が台所でうずくまっていた。
「お母さん?!」
サヤは心臓をぎゅっとつかまれたような恐怖を感じながら母に駆け寄った。
「……ああ、サヤ。ちょっと、立ちくらみがしてね……」
「お母さん、さっきは怒っちゃってごめんね。サヤね……」
「ああ……いいんだよ、サヤ。すまないねぇ……こんな年寄りのお母さんで……」
サヤは鼻の奥がツンとするのを感じた。涙がにじんでくる。
「そんなことない。あたしお母さんが大好き。あたしこそごめんね、いい子になれなくて……」
「サヤ、あんたはいい子だよ。お母さんはサヤが、世界で一番大好きだよ」
サヤは思わず母に抱きつき、そのまま子どものように泣きじゃくった。
「……思い出したよ。戸棚の奥に、る……なんだっけ」
「もー、思い出してないじゃない」
「あー、ともかくね、お茶があるはずなんだよ。見つけて取ってくれるかい?」
「あ、これ?ルイボスティー?」
「そうそう、それそれ」
母は湯を沸かし、ルイボスティーを煎じ始めた。
「……あまい香りがするね。これ、どうしたの?」
「私の弟がね、ちょっと前に送ってくれたんだよ。姉さんに効くかも、ってね」
「これ、安彦おじさんの手紙?どれどれ……『このルイボスティーは更年期障害の緩和が期待できる、ミネラルたっぷりの健康茶です。活性酸素の除去もしてくれるらしいので、よく煮出してから飲んでください』だって。お母さん、更年期障害って何?」
「さあ……」
透明のマグに注いだルイボスティーは、なんとなくワインを思わせる濃い鮮やかなオレンジがかった色をしていた。
ふーふー、と冷ましながら二人でお茶を頂く。
「……あら」
「これ、おいしい!」
「すっきりして、飲みやすいわね」
「緑茶や紅茶みたいに渋くないね」
「ミルクを入れたらどうなるかしら」
「持ってくるね」
調製豆乳を入れてみる。
「!」
「すごくおいしい……!」
「ああ、何ていうのかしら、体に染みてくるような美味しさね」
「お母さん、あたしこれ好き!」
「弟にお礼の手紙を書かなきゃね」
二人に久しぶりに笑みがこぼれた。
ルイボスティーを常飲するようになってから、母が変わり始めた。
気持ちや体調が安定し始め、夜も眠れるようになってきた。
刺々しさは影を潜め、元来の明るいサツキが戻ってきた。よく笑い、よく働くようになっていった。
サヤはというと、やや暗くうつむきがちだった性格だったが、子どもの頃から持っていた伸びやかな性格が再び顔を見せ始めた。身長に対するコンプレックスもあまり意識しなくなっていった。
後で知ったことだが、ルイボスティーに含まれる各種ミネラル成分は更年期障害の症状を和らげてくれる効果が期待できるそうだ。またミネラルは、神経伝達物質の生成に必要な材料となるらしく、ミネラル補給でうつや発達障害が改善されるという報告もあるらしい。
また活性酸素を除去する酵素も含まれており、若さと健康を保つのにもいいらしい。
「安彦も、たまにはいい贈り物をしてくれるのねえ」
「おかーさん、たまには、は言わなくてもいいんだよ」
今では毎朝のお茶、夕食後のお茶、時には寝る前にもルイボスティーを一緒に飲むことが楽しみの一つになっていた。寝る前にも飲めるのはカフェインが入っていないからできることである。
(お茶って、こんなにも人生を変えることがあるんだ。
すごいな、お茶って)
サヤはお茶についてもっと知りたい、と思うようになっていった。