ほうじ茶ラテとドーナッツ

文字数 3,227文字

「あーあ、雨の日はつまんないなあ」

梅雨の最中、けんじが退屈そうに畳の上をゴロゴロと転がっている。それはそれで楽しそうに見えるのだが。

「けんじ、あんたまたそうやってゴロゴロして。」
母きよみのお叱りが飛ぶ。
「そんなこと言ったって母ちゃん、つまんないものはつまんないんだもん。」
ぱたんぱたん、と半回転を繰り返すけんじ。まるで畳に蝶番がついたドアだ。
「くーーー、情けないねぇ。あたしが若い頃は何でも見つけては遊び道具にしたもんだったよ。」
母のきよみが若かりし頃を思って嘆いている。むろん、嘆いている対象は若い自分ではなく、目の前の息子だ。

「母ちゃんは昔、どんな遊びをしてたのさ。」
うつ伏せになって顔を上げたけんじが尋ねる。この際ひまつぶしになればなんでもいいや、というスタンスだろう。
「よくぞ聞いてくれたね。母ちゃんが若い頃は!」

威勢よく始まった母の語りはぷっつりと途切れた。

「わかいころは?」
「…母ちゃんが、若い頃は…」
汗がにじんでいる。それほど蒸し暑くもないのだが。

「あーもういいや。やっぱつまんねー。」
小5らしいそっけない口調だった。
「あーーーっ!今、母ちゃんのことバカにしたでしょ!そうでしょ!」
「いや、そういうのいいから。」
いかにも面倒くさそうにけんじが答える。
「よくないっ!」
「いいってばさ。」
「いーや、よくない!母ちゃんは何が何でもあんたを【つまんない】から脱却させてやる!」

かくしてきよみの日曜ミッションが始まったのだった。

「けんじ、ドーナッツ作るよ。」
「えーめんどくさいー。食べるだけならいいけど。」
「まーったく、誰に似ちまったんだろうねぇ、この子ときたら。」
おでこに手を当てて大げさに首を振るきよみ。やや悦に入っているのかもしれない。
「んじゃ、あんたはほうじ茶ラテ作んなさい!」
「はぁ?なにそれ。」
「スタバのメニューにあるの。あんたほうじ茶知ってるだろう。」
「うん、お茶っぱの缶に入ってる、茶色いやつだろ。」
「じゃあラテは。」
「コーヒーとかにミルク入れたやつのこと?」
「そう、それ!わかってるじゃないの。作りなさい。」
「ええと、作れったって…。」

けんじが見るときよみはもう中華鍋で油を加熱開始していた。続いて手早くパンケーキミックスをボウルにあけてミルクと卵を計量している。
「…ちえっ…。」
しぶしぶとヤカンに水を入れてお湯を沸かす。

「けんじ、ココアは好きだっけ。」
「聞くまでもないじゃん。ドーナッツに入れるの?ぜひ!」
「あとは何か入れるもの…アーモンドとかは?」
「ドーナッツに?そんなの入れたっけ。」
「砕けばありなのかな…。」
ブツブツときよみは考え込んでいる。

「お湯わいたけど、もう入れていいの?」
「もうちょい待って。ドーナッツが揚がるころには冷めちゃうから。」
「りょーかい。」

けんじは母の器用な手先をなんとなく見つめていた。小さなボウルに分けた生地にココア、砕いたアーモンド、砕いたクルミを混ぜ込んで、適当な大きさに丸めて油に入れている。

「母ちゃんの母ちゃんもさ、昔こうやってドーナッツ作ってくれたの?」
何気なく問うと、ふいに母の目が遠くを見つめた。
「…かあちゃん?」
返事がない。考え事をしているようだった。
「なあ、かあちゃん。」
「…ん…ああ、何?」
「…えと、何でもない。そろそろお茶淹れていい?」
「ああ、おいしく淹れとくれよ。こっちはおいしいドーナッツ用意してるからね。」

大きめの急須にほうじ茶を2さじ放り込み、沸騰したお湯を注ぐ。じっと蒸らすこと1分半。
濃いめに作ったほうじ茶をマグカップに6分目注いで、ミルクをたっぷり入れる。ほわぁ、とほうじ茶の香ばしい香りとミルクのやさしい香りが心地よく立ち上った。
(あ…意外とおいしそうかも…)

「さあ、できたよー。」
大きめのお皿にキッチンペーパーを敷いて、じゅうじゅうと音を立てる不揃いなドーナッツたちが載せられていた。

『いただきまーす。』
2人して両手を合わせ、ふうふう言いながらドーナッツにかじりつく。
カリッ、サクッ、フワッ…。
「あっつ!あつい!…んまい!」
ふわあ、と甘い香りが鼻をくすぐる。
「どれどれ…あら、おいし。ほうじ茶ラテ、上手に淹れたじゃないの。」
「へへ、まあね。母ちゃんのココアドーナッツもなかなかじゃん。」
「言うね、こいつ!」
コツン、とけんじの頭を小突く。
「クルミのドーナッツもなかなかいけるわよ。」
「おれはアーモンドのほうが好きかな。」
「砂糖、もう少し入れてもよかったかしら。」

「ふあ〜、食べたぁ〜。」
けんじが満足そうにひっくり返っている。見つめるきよみの目も幸せそうだ。
「さ、片付けるわよ。手伝って。」
「え〜〜〜〜〜。」
「えー、じゃないの。片付けるまでがセットなのよ。」
「ちぇ〜〜〜〜〜。」
「返事は?」
「はぁ〜〜〜〜〜〜い。」

ざぶざぶ、とけんじが泡立て器に苦戦していると、隣で洗い物をしているきよみが話し始めた。

「母ちゃん昔ね、私のお母ちゃんとこうやって一緒にドーナッツ作ってたのよ。なんでもね、私のおばあちゃん、つまりけんじのひいおばあちゃんもこうやってドーナッツ作ってくれてたらしいの。戦後間もない頃よ。びっくりでしょ?」
せんご、と聞いてもなんとなくピンとこない。
語るきよみの目は優しかった。母のことを思い出しているのだろう。

「私のお母ちゃんってばね、せっかちでねぇ。せっかくドーナッツ揚げ終わったのに、つまづいてぜーんぶ床にひっくり返しちゃったこともあったのよ。」
「えー、もったいねー!」
「そう。それでね、もったいないからって、拾ってふーふーしてみんなで食べたの。今思うと、楽しかったなあ。」
心なしか、母の顔がいつもより若く見えた。
「あの頃はドーナッツと牛乳か、ミルクティーだったな。贅沢とかじゃなかったけれど、私には最高に贅沢な時間だったな。ほんとに…。」
そう言うと、きよみの手が止まった。

けんじは何となくきよみの顔を見て、びっくりした。
「…母ちゃん、どうしたの?だいじょうぶ?」

ほろほろ、ときよみが涙をこぼしていた。

「…え?…あらやだ。どうしちゃったんだろうね、私。」
泣いていたことに気づいていなかったらしい。乾いたふきんで涙をぬぐっている。
「ごめんね…私のお母ちゃんが亡くなったの、けんじが生まれる前だったから…お母ちゃんにけんじの顔、見せたかったなあって思っちゃって…。」
涙は後から後からこぼれてくる。
「母ちゃんね、昔は体の弱い子だったの。私のお母ちゃんがね、何度も徹夜で看病してくれたり、私が元気ない時もいろいろ工夫して私を笑わせて楽しませてくれたりして…本当に、ほんとうに優しいお母ちゃんだったの。」

とおくを見つめるような眼差しできよみは言った。
「もっと…もっと、一緒にいたかったなあ…。」
力が抜けたのか、きよみはそのまま床にぺたん、と座り込んでしまった。

けんじが手を洗い、手を拭くと、後ろからがば、と抱きついた。

「…けんじ?」
「母ちゃん、おれさ、ばあちゃんのことはよくわかんないけれど、母ちゃんにはおれがいるよ。ずっとずっと、一緒にいるよ。」
背中にあたたかな温もりが伝わってくる。小さくてけなげな、たからものの温もりが。
「…うん、ありがと。母ちゃんうれしいよ。」
向き直ってけんじをぎゅっと抱きしめる。

「母ちゃん、またドーナッツ作ってくれる?今度はおれも一緒に作りたい。」
「お?いいわよー。じゃあ次はもっといろいろ混ぜちゃおうかね。抹茶とかヨーグルトとか…。」
「なにそれやばい!おいしそう!」
「いつやろうか?」
「来週の日曜日とか?」
「よし、じゃあ前の日に買い出しに行こうね。」
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