第11話

文字数 3,065文字

「シャワー、先に使ってください」
 着替えを渡される、お父さんのものらしい使っていない新品のグレイ色のスエット。一体どうしてこんな事態になってしまったのか。今晩は御崎ちゃんの家に泊まることになってしまった。と言っても早朝には帰る。
 アルコールが抜けきるまでは車を運転するわけにもいかない。
 リビングに布団を用意すると言われて、布団を汚すわけにもいかないためシャワーを浴びて家にあったこのスエットに着替えることになった。
「ありがとう……だけど絶対入って来ないでね」
「……ちっ」と悪そうに軽い舌打ち。
「ほら、それ、そういうところだからね? 全然、安心が出来ないから御崎ちゃんお先にシャワーどうぞ、どうぞどうぞ、お先にどうぞ」
「上山さん、覗かないでくださいね」
「はいはい、覗きませんよ」
「一緒に入りますか?」
「一体なんでですか?」
 完全に舐められている、遊ばれている。
 車を置いて帰るわけにもいかない、今日が定休日でよかった。何もせずに一泊して明日の早朝に帰ろう。ある意味で「男のロマンみたいな状況」でもあるんだけど、相手が中学生だと俺が乗るのはパトカーの後部座席だ。俺はルパン三世でもないわけでロマンの追求などしない。まして警察から逃げ切るようなことも出来ないわけだな。
 そんな感じでも、なんとか無事にシャワーを浴び終えた後、布団を用意される。俺は別にソファーでも良かったんだけど親切を断ることはしない方がいい。流石に一軒家、家族で住んでいただけあって来客用の布団とかそういうものもあるようだ。俺の家にはないんだよね。俺の家には来客を饗すだけの広さがない。
 寝る前に、彼女との会話。
「あのね、しっかり作って食べてね」
「いいじゃないですか、上山さんもこうして来てくれるので」
「あのね」
「なんならここに住みますか?」
「もてあそばないで……明日の朝には帰るよ」
 彼女は少し楽しそうに笑って「上山さんって面白くて飽きがこないですね」と言う、褒められているのか微妙な言葉に「お陰様で」と返す。とりあえず、さっさと眠ってしまうことにしよう、そう考えながら「やっぱりビールには揚げ物だよな」と「あんこうの唐揚げ」を考えながら眠りについた。

 ・・・・・・・・・・

 ――ピピピピ、という電子音。
 布団で起きると見慣れない天井に思わず「あれ?」と思った。
「そうだ、御崎ちゃんの家だったな」
 ごちゃごちゃなリビング、布団の中。
 寝転がったままで頭の上を手で探ると自分のスマホを手にして「朝4時」と思いながら目覚ましを止める。そうして起きて帰る準備をする、借りた着替えは畳んで、自分の着てきた服に着替え終わる。帰ろうかな。
「挨拶しないと、御崎ちゃんは流石にまだ眠っているよな」
 そう思っているけれど御崎ちゃんの部屋の方向から音が聞こえた。
「――起きているのかな?」
 そう思うのと同時に。
「――ああああああああ!」
 少し寝ぼけていた俺の眠気は吹き飛んだ。御崎ちゃんの叫び声のする方へ、考えるよりも早く御崎ちゃんの部屋へ急いで入る。
「御崎ちゃんどうしたの大丈夫!?」
 彼女はベッドの上にうずくまり髪を手で掴んでいた。
「車が、前が全部ぐしゃって、血が! お父さんとお母さんが」
 車の事故の悪夢を見ていたのか?
「対向車が向かってきてそれでそのまま車に衝突して。次の瞬間にはもう車の中はめちゃくちゃで……血だらけで。お父さんもお母さんも何もかもが一瞬で壊れてしまって。なんで私だけ助かって生きのびて。なんのために、どうして」
 取り乱していることは分かる、とにかく一旦落ち着かせないと。
 大人の俺まで取り乱したら元の子もない。
「待って、それは悪夢だって。だって御崎ちゃんはその車に乗っていないはずだよ? 御崎ちゃんは前に俺に「ある日突然目の前から居なくなって」って、自分で言っていたじゃないか、だから、今見たものは全て悪夢なんだって」
「夢……? 悪夢?」
「そうだよ、悪夢を見ていたんだ」
 その言葉を聞くと「夢……」と疲れたように呟いた後で、目を閉じて再び眠ってしまった、それは「忘れるように」童話の眠り姫のように。その一連の出来事に俺はただ驚いて、同時に色々な「疑問」が生まれていた。
 ――今、彼女が言っていたことは本当に夢なのか?
 何だろう、確証になるものはないけれど「夢じゃないような直感がしてならない」さっきの取り乱し方や怯え方、表情は「リアル」そのものだった。だけど「普段は俺に嘘をついているのか」と考えるとそれも違うような気がする。
 普段の御崎ちゃんは、取り繕った笑いでもなかった。

「……確かこの前来た時……」
 俺はしばらく御崎ちゃんの様子を見て、起きる気配がまだなかったから一度リビングに音を立てずにそっと戻った。彼女が寝ているうちに悪いと思いつつ「あるもの」を探し始めた、確かリビングの床で見た記憶がある。散らかったリビングの中を静かに探すとそれは見つかった「久里浜アルコール医療センター 精神科」の診察券。
「これだよな。一応テレビにも出たりする有名な病院だから名前だけは知っているけれど、行ったことは一度もないかな。担当医は……遠坂先生か」
 診察券は透明な名刺入れのようなものに入っていて、裏を見るとそこに「連絡先」と書かれていた電話番号の書かれたメモを見つける。
 病院の番号と、それと親戚の名前と電話番号。
 御崎ちゃんには悪いと思いつつも「俺は話を聞くべきなんじゃないのか」と、それらを自分の手帳に書き写した、実際に彼女は「現在は孤立している」ように見えるからだ。親戚、あるいは担当医から話を聞けるのならそうしたい。
 さっきの出来事も踏まえて、彼女のことを。
「明日、親戚さんに電話をかけてみるか」
 どこまで話を聞けるのかは分からないけれど、事故のこと、御崎ちゃん本人のこと、ある程度「誰かが」見ていてやらないとマズイような気もした。
「俺がこんなことしていいのか分からない、けれど」
 断られたらその時は素直に引き下がろう。

 ・・・・・・・・・・

 リビング、テレビを点ける気にはなれなかった。
 その後落ち着けるわけもなく起きて時計の針の音を聞いている、御崎ちゃんが起きる前に帰ることも躊躇った。また取り乱したとしたならどうしよう、そう考えながらリビングのソファーに座っていると、7時頃にガチャリと御崎ちゃんの部屋の扉が開く音。
 思わず俺は身構えた、しばらく待つと寝ぼけ眼をこすった御崎ちゃんがリビングに現れて「おはようございます」と俺に声をかけてくる。
「お、おはよう」
 起きているもののまだ眠そうだ。
「てっきり、上山さんはもう帰っちゃったのかと思いました」
「あ、ああ。御崎ちゃんが起きるまでは居ようかなと思って」
 と戸惑いながら言うと「おやおやあ?」と彼女は何事もなかったかのようにニンマリして「何だか意味深な回答ですねえ?」と俺を揶揄してくる。
 ――さっきの出来事を覚えていないのか?
 どうやら本当に覚えていない様子だった、悪夢を見たことすら覚えていない。会話にすら上がらない。俺も何を話していいのか戸惑う、やっとの思いで「じゃあ帰るよ」と伝えることが精一杯だった。一度帰って俺が落ち着こう。
「何かあったら連絡してね」
 そう言って車に乗って自分の家に戻ることにした。
 道路を走る車の中、今日はなんとなくファンク・ミュージックを聴く気にもなれずにラジオを付けると悲しいラブソングが流れて、それを聴きながら「浜味」へ帰った。俺の気分も天気もずっと曇り空だった。
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登場人物紹介

「上山海舟」神奈川県、三浦市にある小料理屋「浜味」の若代将。亡くなった父から料理の技術と心得を受け継いでいる。少し気が弱いことを気にしている。

「御崎花蓮」三浦市に住む女子中学生。釣りがさっぱりでチャットで知り合った上山とリアルでも会うという、ロックな性格。自分より年上の上山を〈チョロい〉と思ってからかうこともある。

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