第3話

文字数 2,853文字

 翌日の昼に起きる。
 生活はどうしても仕事に合わせないといけない。
 鈍いステンレスのシンクの前、置いた鏡の前、顔を洗ったり歯を磨いたりする。朝食は昨日の残り物で済ませて仕事の仕込み前の自由時間。基本的に用事のある時以外はテレビや映画を見たり、あるいは買い物をしたりなどする。
 枕元に置いていたスマホを手にとって着信を確認するとメールが届いていた。
 差出人は「ミサキ」内容を確認する。
「えーっと「また釣りをご一緒出来ませんか」か……まあ、いいか「大丈夫だよ」と。俺も基本的に趣味らしい趣味も釣りくらいなものだしな」
 釣れたから再び誘われた形だろう。
 細かい場所や仕掛けなどのセッティングは俺の方で考えておいてあげるとしよう。釣れないと「釣りを嫌いになってしまうかもしれない」からだ。出来るだけ釣れそうな場所で、荷物を置いたり出来る綺麗な場所を考えてみる。
「また三崎港で釣るのも芸がないか、いや別に芸がなくてもいいんだけどさ。どこにしようかな、人少なくて静かだし「小網代」あたりでいいか」
 小網代、とは三浦市の地名である、海が穏やかで綺麗。
 スマホに着信音が「ピロピロリーン」と鳴って、手にとって確認すると返信は「チョロい」だった、どうやら舐められている?

 彼女とのメールでのやり取り。
《いつが都合いい?》
《上山さんの都合の良い日でいいですよ》
《じゃあ水曜日は?》と返した。
 水曜日が定休日だからだ。送ってから「学校は水曜日は休みじゃないわな」と思っていると《はい、では水曜日に》と返信が返ってきた。
「あれ、学校は休みなのかな?」
 まあ、いいか。というより。
「チャットでやり取りした方が良かったか?」
 でもパソコンの電源入れるのも面倒だな、スマホのメールでいいや。
 とりあえずの待ち合わせ場所と時間を決めておいた、水曜日の正午に三崎口駅で。その後行く先は俺に任せてくれるみたいだ。その方が俺も説明の手間が省けて好都合のためそれだけで後は当日に、ということになった。
「釣れていなかったのに、釣りやってて楽しかったのかな?」
 まあ「釣具に触れているだけで楽しい」ってやつも居るっちゃあ居るし、下手なやつほど釣り好きだったりするからな。釣れた時の快感、あるいは「釣れなくても釣れたことを想像するだけで満たされる」そんなやつも居る。特別、おかしいことは何もないわけだ。俺も釣り仲間が出来て良いことなんだろう。
「さーて、とりあえず店の仕込みだな」
 スマホを置いて仕事着に着替えて店の中へ、巡る日々の循環。

 ・・・・・・・・・・

 土曜日、日曜日、月曜日、火曜日、通常営業。
 お客様で賑わったり、それはそれで良いことだけどハードな日々だ。それでもなんとか仕事を切り抜けてようやく定休日、水曜日。
 約束の釣りの当日の日だ。
「今日も気持よく晴れたな」
 親父が使っていた「白のミニバン」は役に立つ。
 少し汚れと傷があるけれど十分現役として働いてくれる、今の俺の車。
 オートマティックなので俺でも運転出来るし、後部座席のシートをたためば割と何でも乗ってしまう。軽トラを使わないといけないようなものは扱っていない、そういう時は大体業者さんに入ってもらう案件だからだ。
 昨日少し疲れてて起きたのは遅め、当日に準備をしている、時間はギリギリになってしまった。そうして車に釣り道具を積み込んでいると、俺の背後から馴染みのある女性の声が聞こえた。気さくに、親しみのある声だ。
「何、どしたの、釣り?」
 振り向くとそこに知っている女性。
「げ、澄香」
「あー、その反応は私にバレると困ることだ。さてはデートだな」
 近所に住む元カノ「原田 澄香」だ。
 もっとも付き合っていたのは一瞬のこと。中学の時で速攻「情けないから」と言われてフラレた相手だ。背は高くなく柔らかそうな黒の緩いセーターを好んで着ている。お洒落なことにはお洒落、髪型と服装にはいわゆる「きつさ」はなく「ゆるふわファッション」今では近所の親切なお姉さんポジションに収まった同級生。
 今でも仲は悪くなく友人である。
 俺はこいつに「会話のイニシアチブ」を取らせたくない、からかってくるから。煙にまけるものならそうしてさっさと出かけてここを去ることにしよう。特に情報を与えるつもりもなく平然を取り繕ってさらっと答えることに。
「デートじゃなくて、ただの釣り」
「相手は女性?」
「一応は女の子だけど、そういうのじゃない……」
「「女の子」っていう単語使うってことは大人じゃないんだ?」
 ヤバい、話す度に内容がバレていく。俺は絶対に秘密機関とかの任務はこなせないだろうなと映画を見る度に思う。実際こうして澄香の思うがままに情報を引き出されてしまうあたり、気が弱いけれど正直者の小市民ということだ。

 澄香は笑って言う。
「あんた、顔も性格も比較的に良いんだけど、気が弱いからね」
「はいはい、もう聞き飽きるほど聞いています」
 現在、過去、何度こいつにそれを言われたか。
 こいつが付き合った時の俺の情けないエピソードを周りに話しまくる「オープンエアーヘッドフォン」みたいな性格だったせいで「とにかく気が弱い男」として周囲に認知された。俺はその後も彼女が出来ずに今も独り身。同級生たちはそれなりに「男女の付き合い」が深くなっている奴らも居るのに、だ。
「付き合った時も、手すら繋げなかったじゃん?」
 澄香はその話をよく言う。
「まだそれ言うか、いつの話だよ」
「ふーん、じゃあ今は違ったりするんだ?」
 急に手をぱしっと繋がれて。
「え、何?」と驚いて聞くと「別に、今はどうなのかなと思って」と言われて。俺は見つめられると上手くお話出来ない、情けない男だ、今も。そんな目が泳いだ俺を確認すると澄香は満足したように笑って「なんてね、やっぱり気が弱い」と言った。
 勝ち負けでいうのなら、絶対に俺の負け。
 こいつはこうして俺の中に残る貴重な純情をもてあそぶ。どうにも俺はこいつに勝てないようでいつもこんな感じで敗北感を味わうことになる。
 それはそうとして、長話する時間は無かった。
「と、いうか俺はもう行かないと」
 逃げるように白のミニバンに乗ってここから立ち去ることに。実際に約束の時間ギリギリだったから「間に合うかな」と呟きながら車を走らせて、待ち合わせの「三崎口駅」へ向かった。道路は空いていたけれど、予想通りに少し遅刻した。
 私鉄「京急」の三崎口駅は駅前にマジで何もない。
 畑が見えるくらいなもの、それと「まぐろまん」を売っている露店がある程度なもので東京から来た人には「田舎だわ」と肌で感じられる、らしい、それがいいんだとか。それはドMなのかドSなのかよく分からないんだけれど。
 車を駐車場に止めて駅前へ行く。
 そこに御崎ちゃんが待っていた。
「上山さん、遅刻ですよ」
「ごめんね、ちょっと面倒なやつに捕まってた」
「まあ、大丈夫です。それで今日はどこへ連れていってくれるんですか?」
「小網代、まあ車に乗って、それから話そうよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

「上山海舟」神奈川県、三浦市にある小料理屋「浜味」の若代将。亡くなった父から料理の技術と心得を受け継いでいる。少し気が弱いことを気にしている。

「御崎花蓮」三浦市に住む女子中学生。釣りがさっぱりでチャットで知り合った上山とリアルでも会うという、ロックな性格。自分より年上の上山を〈チョロい〉と思ってからかうこともある。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み