第7話

文字数 2,382文字

「ちょっと散らかってますけれど、気にしないでください」
 そう言われて通されたリビング。
「……えー、この状況ってマジで?」
 リビングはごちゃごちゃで、物が散乱している。それは汚れているわけではないんだけど「散らかり具合が凄い」という方が正しいかな。まるで「誰かが故意にやったんじゃないか」ってくらい、荒れ果てた家の中の様子に俺は戸惑った。
 雑誌やらチラシは床に散らばって踏まれている。
 量販家具店のものと思われる木製の椅子も倒れている。服もおそらくは洗濯後のものが、たたまれないまま無造作に積み上げられている。無事なのはソファーの上くらいなものか。テレビで見る「片付けられない若者」という感じなのか?
 幸いゴミだけはゴミ袋にまとまっている。
 流石に虫が出てくるのは嫌だという感じなのだろうか?
 これはやっぱり見てしまった以上は事情を聞いた方がいいのだろう。
「なんでこういう状況になったの」
「何もやる気が起きなくて、ですね」
「何もやる気が起きないって……」
 彼女のどこか虚ろな目が宙をさまよった。
「両親がある日、突然亡くなったと知ってから何もする気が起きなくなっちゃったんですよ、ですが釣りだけは行こうかなと思えて。釣りの日だけは準備して外へ出ようと思えるんですがそれ以外は「どうでもいいかなー」と」
「釣りなんて優先順位低くてもよくない?」
「――事故の前の日に。お父さんが「今度海釣りに行く」って言っていたのを覚えているんですよ。それを思い出したら何かが引っかかってそれで釣りを始めたんです。もしも生きていたなら「何か釣れたんだろうか」って」

 彼女の釣りを始めた動機は思いの外重いものだった。
 だけど聞くと「ああ、なるほどな」と、良くない過去なんだろうけれど俺の中で疑問に思っていたことの八割は今ここで解けたような気がする。それでもこのリビングを見る限り「普段は何を食べているんだろう」と気になって仕方ない。
「あのさ、ご飯とかはしっかり食べている?」
 リビングの状態を見た感じだけでもロクなもんを食べていないことだけは分かる。炊飯器が床に転がっているし。炊飯器って普通に生活していて床に転がるものなのか? 俺にはどうしてそうなったのか理解不可能なんだけど。
「しっかり食べていないかもです」
「ご飯食べないと死んじゃうよ?」
 彼女は「生きることに執着はないのかも」と寂しく笑う。
「おいおいおい……」
「おかしいですか? たったそれだけで生きていることは、私にとっては少しも不思議ではないんですけど。おそらく私のこの心のうちは他の誰にも分からないんでしょうけど、今さら「世界の中」へ戻る気もその理由も、今の私にはないんです」

 ・・・・・・・・・・

 俺はリビングの中を改めて見ていた。
 木製の棚の上の一角に散らかっていないスペースがあることに気付く、そこには御崎ちゃんと両親と思われる夫婦で撮られた写真が飾ってあった。
「そのさ……お父さんお母さんはいつ亡くなったんだっけ?」
「つい先日です、去年の11月のことです」
 想像より「つい最近」のことだったことを知る。
 3ヶ月4ヶ月前のことなのか。俺は2年前に嫌いな親父が急逝した時、もっと動揺していたと思う。そう考えると御崎ちゃんはメンタルが割と強いのかもしれない。また、そう思うのと同時にあることも気になった。
「御崎ちゃんの親戚はどうしているの?」
 こういう場合、誰か親戚がもっと近くに居るものじゃないんだろうか? 少なくとも御崎ちゃんは今は未成年、それも中学生だ。この場合「保護者」が必要なんじゃないのかとも思える。それとも俺の杞憂で親戚とやり取りはしっかりしているのか。俺のその言葉を聞くと御崎ちゃんは乾いた笑い。
「親戚のところに行ったんですが一週間ほどで追い出されてしまって……」
「追い出す、って御崎ちゃんを?」
「親戚の家からしたら「迷惑なのかも」って私も思います。もともと親戚とはそれほど繋がりも何もなかったので。そんなところに急に自分が行っても、という感じです。向こうにはまだ小さい子も居るので仕方ないのかな、と」
 非情だ。だけど確かにある日突然に「親戚の子の面倒をこれから見てくれ」と言われても人によっては難しいことがあるのは当然のことかもしれない。情に厚い人たちばかりの世の中ではないのだから、シビアな見方をすると。

 俺は黙って冷蔵庫を見ていた、俺の家にあるものより大きい白い冷蔵庫。
「せめてご飯くらいまともに食べようか」
「適当にコンビニとかでお弁当買って食べていますよ?」
 本人は特に気にしていないご様子だ。
 俺は真逆で一人暮らしの時も炊事は必ずしていた。だから何かカルチャーショックに近いものを感じる。それと、まともなものを食べていないという言葉を聞くと「何か美味いもの作ってやるか」と奇妙な親切心が湧いてきてしまう。
 職業柄なんだろうな、既に頭の中で「何作ろうか」と考え始めてしまっている。今日釣れた魚を使おうと思うに至った「少し待ってて」そう言って俺は家の外へ、車へ戻り車の中のクーラーボックスごと「釣った魚を持って」家の中へと戻った。
「御崎ちゃん、台所借りていい?」
 彼女はきょとんとして「どうぞ」と俺の行動を見ていた。
「何かささっと食べるもの作ってあげる」
 乗りかかった舟、というやつだ。
 とりあえず米を先に炊いておこうかな。
 台所、キッチンの構造は普通のものだ。本当に「使っていない」ようで逆に綺麗だった。きっと水道の水しか使っていないのだろう。すぐに米びつも見つかった。白米は炊いていないだけで見た感じ5キロくらいはある。炊飯器を洗って、米を慣れた手つきで研いでいると御崎ちゃんは少し驚いたような表情を浮かべてそれを見ていた。
「――上山さん、ご飯作れるんですか?」
「ま、俺は「それ」で食っているからね」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

「上山海舟」神奈川県、三浦市にある小料理屋「浜味」の若代将。亡くなった父から料理の技術と心得を受け継いでいる。少し気が弱いことを気にしている。

「御崎花蓮」三浦市に住む女子中学生。釣りがさっぱりでチャットで知り合った上山とリアルでも会うという、ロックな性格。自分より年上の上山を〈チョロい〉と思ってからかうこともある。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み