第1話 せいちゃん

文字数 1,664文字

 ある朝目覚めると、枕元に小さな女の子がいた。
 大きくてぱっちりしたお目目に、透き通った肌。ツヤツヤとしたセミロングの白髪。サイズ感も、チマっとした可愛らしさも、なんだかぬいぐるみを彷彿とさせる。
 だけど、生きてる。表情は動くし、よく見ると足元は地面からふわふわ浮いてるし。
「おはよ」
 女の子は言った。
「……おはよう」
 私はおずおずと返す。
「いいお天気だね」
「うん。ところであなたは……」
 女の子に向かって問いかける。
「私? 私はーー聖良の分体だよ」
 女の子は、なんでもない様子で、私の名前ーせいらっていうー私の名前を口にした。




 私の、分体か。
 カウンセリングの先生のお話を思い出した。
 先生曰く分体とは、実体化した私の"こころ"だそうだ。なんでも、悩みが大きくなりすぎると、こんなふうに、分体が現れる体質の人が、たまにいるらしい。
「悪いことじゃないんですよ」
「はあ、そうなんですか」
 先日の先生とのやりとりを思い返す。
「ええ、心ってのは複雑怪奇だから、自分でも認知することが難しい。実体化した“こころ”と対話することは、自分自身をシンプルに見つめ直すことにつながるのですよ」





「あなた、名前は?」
 私は分体に問いかけた。分体って呼ぶのは無機質だし、名前がないと不便だ。
「聖良の好きに呼んでいいよ」
 女の子は、無邪気に答える。
 うぅむ。ふわふわと浮かんでいて、なんだか神秘的。精霊みたい。精霊のせいちゃん? いや、安直かなあ。もう一捻り欲しい。
 髪から、ふわっと甘いシャンプーの香りがした。いい香り。なんだか、リラックスできる感じ。精霊の精に、香りの香で、精香、なんてのは、どうかな。
「せいかってのはどう。呼ぶ時はせいちゃん」
 口に出したら、語感が私の名前とほぼ同じだったことに気づいた。
「せいか、せいちゃん」
 音の響きを確かめるみたいに、女の子は小さく繰り返す。
「ありがと、私はせいかだね」
 ぱあっと明るい笑顔になったのを見て、まあ、語感が似てるけど、いいか、私の分体なんだし、と思い直した。




 分体、それすなわち私自身のこころ。
 とは言っても、相手は可愛らしい女の子で、触ったらふわふわしてて、ほのかにあったかくて、生き物だって感じさせられる。
 どう、接してあげたらいいのかな。私は、ぽちぽちとスマホで調べてみた。せいちゃんは、周りのものが珍しいのか、興味深げにキョロキョロしている。




「分体は、防衛本能の一種だ。複雑なこころを主観から切り離して可視化して、負のバイアスから離脱するのである」「ネガティブな思考のOSで、ポジティブを探すことは難しい。分体の存在が、その一助になる」



 なんだか難しいことは書かれているが、肝心の接し方については、具体的なことが書かれていない。私はスマホをしまって、せいちゃんのことを眺めた。
 いとけない横顔。きれいで、繊細で、大事にしてあげないと壊れてしまいそうだ。昔、おばあちゃんの家にあったフランス人形が思い出された。
「ねえ、せいちゃん」
「どうしたの」
 本棚の本を見つめていたせいちゃんは、くるりとこちらを振り返った。
 わからないことは、本人に聞いてみるのが、一番早いだろう。
「あー、えと、せいちゃんは、私にどんなふうに接してほしい?」
 直球で問いかける。せいちゃんは、少し不思議そうな顔をした後、にぱっと笑顔で答えた。
「せいかは聖良の分体だから、聖良はせいかのことをうんと褒めて、うんと可愛がればいいの。せいかを好きになったらいいの」
 曇りのない瞳で、私を好きになって、なんていうせいちゃん。なんだかおかしくって、ふふっと笑ってしまう。そしたら、せいちゃんも、真似するみたいにえへへって笑う。
「そっかあ、可愛がってあげればいいんだね」
「うん!」

 ベットでころころし始めたせいちゃんを傍目に、考える。
 私の毎日。
 来る日も来る日も、列車の通過駅みたいに、過ぎ去って後ろに流れていく、そんな日々。
 せいちゃんと一緒にいたら、少しは変われるのかな。希望の光が、見えたように思えた。
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