アナスタシア〈第1幕〉
文字数 1,090文字
緩めのウェーブが掛かった、肩先が隠れるくらいの長さの、柔らかそうなベビーピンクの髪。
僕はまず、その中に顔を埋めたい。
きっと干し草のような、何処かしら懐かしい、ほんのりと甘い香りがするだろう。
そんなふうに、彼女の髪の香りに思いを馳せるだけで、底知れぬ愛おしさが込み上げてきて、止まらなくなる。
彼女の明るく温かな眼差しの中に、夏草が繁茂する草原を思い出さずにはいられない。
それと言うのも、その瞳は、澄んだエメラルド・グリーンを基調としていて、その中にほんの少しだけ、鮮やかなセルリアン・ブルーが、星のようにちりばめられているからだ。
無鉄砲な少年だった頃の日々が蘇る。
むせ返るような草いきれの中、草原に寝転がり、空の青過ぎる青と、雲の白過ぎる白を、飽かず眺めていた記憶。
彼女の肌は透き通るような白さで、けれども滑(すべ)らかな両頬には、そばかすが薄く散っている。
その愛らしいチャームポイントにこそ、彼女の全ての魅力が凝縮されていると、僕には思えるのだ。
それはすなわち、タンポポの綿毛のようにふんわりと優しい雰囲気を持ち合わせていながら、その一方で、悪戯好きの妖精のように、茶目っ気が見え隠れする性格だ。
僕が彼女に贈る初めてのキスは、ぜひそこに触れたいと思う。
そして、瑞々しい桃の果実のように、ほんのりと色付いている唇は、軽やかなメロディーを乗せているかのように、微笑んでいる。
彼女のお気に入りの曲はきっと、『オズの魔法使い』の劇中歌『オーバー・ザ・レインボー』。
彼女の身体付きは華奢だが、丸みを帯びた部分は、女性らしいふくよかさを湛えている。
美しく浮き出ている鎖骨や腰骨のラインは、波に洗われて角が取れた硝子片の、まろやかな感触を思い起こさせる。
彼女の名前は、アナスタシア。
まるで天上の音楽のように、この上なく妙なる響きだ。
だが、それは僕が付けた名前ではない。
一三〇×一三〇センチの大きなキャンバスに向かい、遂に最後の一筆を加えてその絵を完成させた時、彼女が僕に囁いたような気がしたのだ。
アナスタシアと呼んで、と。
それは、自分でも漸く納得のいく絵を、完成させることが出来た瞬間だった。
二四歳で画家として出発してから、九年目の晩夏のことだった。
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・・・ アナスタシア〈第2幕〉へと続く ・・・
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