アナスタシア〈第6幕〉

文字数 994文字





 彼女は、自分でもその格好を見下ろしてから、さばさばとした口調で、こう答えた。

「ああ、これ?

 あなたがあたしを描く時、身体をいつも何かで覆ってるから、真似した方が良いのかも知れないと思ったの。

 あたしがいた場所には、これしか見当たらなかったから、ぶかぶかだったけど、そのまま着けてきたのよ。

 そうしたら、外を歩いている人達は、もっと沢山の物で、身体を覆っているのね。

 ひょっとしたら、人間として生きていくということは、両手では持ち切れないくらい、沢山の物が必要になってくるということなのかしら」

 アナスタシアの声は、穏やかな波のように柔らかく、少しだけハスキーだった。

 そんなディテールさえも、僕の想像通りだった。

 胸の奥底から、愛しさが間欠泉のように溢れ出してくる。

 その甘く切ない想いで包み込むようにして、彼女をしっかりと抱き締めた。

「アナスタシア。

 人間として生まれてきてくれて、本当にありがとう。

 僕は一生涯、きみを大切にするよ。

 これから街に出て、きみが気に入る服や靴を買いに行こう。

 きみの言う通り、人間として生きていくということは、沢山の物を必要としていくっていうことなんだ」

 アナスタシアが発する温もり。

 アナスタシアが刻む鼓動。

 僕は全ての細胞で、彼女の存在の重みを愛撫する。

 そうなってみて初めて、菊川さんに対する感謝の念が沸き上がってきた。

 柄にもなく、ドン・ペリニヨンにうつつを抜かした翌朝、意表を突いて菊川さんが現れていなかったら、アナスタシアは永遠に、絵の中の女性のままだった筈だ。

 全く、どんな出来事が最大級の幸いに転じていくのか、分かったものではない。

 だからこそ、人生は冒険に満ちていると言えるだろう。

 近いうちに、菊川さんの好きなコニャックでも手土産にして、アナスタシアと二人で、彼に逢いに行ってみよう。

 彼自身が引き起こした奇跡の物語を聴いたら、腰が抜けるほど驚くのと同時に、孫が誕生した時のように、アナスタシアの存在を、目を細めて、喜んでくれるに違いない。



 ・・・・・・・・・・・・・ 完


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