文字数 1,370文字

 その日のお昼休みに、前野有季が未々のところへにきた。
「ねえねえねえ」有季は声をひそめて、未々の顔色を探るように見ながら前の席に坐った。
「未々って、大川くんが最近毎朝ジョギングしてるの知ってる?」
 未々は首をふった。初耳だった。彼はスポーツを毛嫌いしているのだ。
 なにごとも論理的に考える彼にとって、どんなスポーツも時間の無駄づかいだという信念だった。
「私もはっきり見たわけじゃないんだけど、その男の恰好がまた派手なの。スッゴく目立つの。なんていうのかな、あの動くとシャリシャリいうヤツ――」
「トレーニングスーツ?」
「そうそれ! 上下そろってるやつ。全身真っ白で、腕と脚にそって蛍光グリーン色のラインがはいってるの。派手でしょう? それでフードで顔を隠すようにして、ほら、ボクサーみたいに背をまるめて」
「それが彼だっていうの?」
「そう」
「人違いじゃない?」
「断定はできないんだけど・・・・」
「彼、ジョギングしたとしても、そんな派手な恰好しないと思う」
「でしょう? だから私も最初は『派手な人だなー』っていうだけで気にも止めてなかったんだけど、ほら、堤防って大学生の人たちが結構走ってたりするから・・・・。でもね、今朝チラッとだけど、顔が見えたの。それがもう大川くんソックリだったから私もビックリして・・・・」
「朝って何時ごろ?」
「六時ちょっと前かな」
「そんなに早く? アナタこそ何してたの」
 前野有季が照れくさそうに笑った。
「それは内緒」
「じゃウソだ。アナタがそんな時間に、そんな場所にいるなんて、とても信じられない」
「でも、それは本当なんだって」
「どうだか」
 前野有季はクラスを見渡してから未々に顔を近づけた。
「誰にも言っちゃダメだよ」
「言わない」
「約束よ」
「わかってるって」
 未々は声にすこしイラ立ちを含めながら、誠実そうな視線を有希の目にそそぎ込んだ。
「誰にも言わない。もちろん彼にも――」
「本当? 絶対約束だよ」と確かめてから、有希はひとりでニヤニヤと笑った。誰の目から見ても、彼女はうれしそうだった。
「どうしたの? 早く言いなさいよー」
「――私ね、夜這いしてたの」
「よばいーっ?」
「声が大きいって!」有季はあわててクラスを見渡した。「もっと小さく小さく」
「畑本くんの所?」
「そう」
「いつから?」
「もう二ヵ月ぐらいになるわ」
「ふうん――。へえー、そうなの」
 彼女が畑本誠二と交際しているのは知っていたが、そんなつき合いだとは知らなかった。
「ふうん」未々はもう一度うなった。
「でね、畑本くんの離れの部屋の窓からちょうど堤防に出られるんだけど、その堤防で見かけたの。はっはっ、ほっほって軽快に走ってるの。彼は気づいてないと思うけど、間違いないと思う」
「いつ見かけたの?」
「昨日と今日」
「・・・・って、あなた毎日行ってるわけ?」
「まあね。中間テストも終わったしね」前野有希は舌をチョロっとだして笑った。
「あきれた。――でも、ありがとう。今日、彼に確かめてみる」
 またチェーンを外しにくる魔の手だ。
 だからなんだって言うの?
 人知れずジョギングしてなにが悪いの。
 それを私が知らないからってなんだって言うの。
 ――でも、私は彼のなにを知っているのだろう。
 未々は午後の授業の間中ずっとそのことばかり考えていて、授業はなにも頭に入らなかった。
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  • プロローグ 高村亜美

  • 第一章 沢木未々

  • 第二章 大川雪柾

  • 第三章 小野アリア

  • 第四章 大川珠美

  • 第五章 再び、小野アリア

  • エピローグ 高村恵子

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