第3話 出会い

文字数 1,145文字

 とっさのことに声も出なかった。
 目の前で、泉の水が重力に反して渦を巻くように舞い上がり、そのまま女性の形を成している。水のしぶきはその周りをくるくると周り、月光に照らされ宝石のように輝く。顔はよく見えないが、ゆるやかなウェーブの長い髪は水のカーテンのようにゆらめいていて――この世のものとは思えない美しさだ。いや、この世のものではない。
「もしかして……」
 思わず言いかけて、はっと我に返った。水の女は、声に気付いたのかこちらへ向かってきた。

"花の香りがする……"

 頭の中に声が聞こえてきたが、ヨエルは身動きできなかった。水の女のサファイアのような瞳から目が離せない。少し、悲しそうな顔をしているように見えた。
「おまえは……アンテイディーネ」
 自然に声を発してしまっていたが、同時に混乱の中にいる少し冷静な自分が、今の状況を整理していた。目の前にいるのはおそらく酒場でラーシュとも話した水と豊穣の精霊、アンテイディーネに間違いなく……根拠はないが確信がある。そしてそいつが出るといわれたヘルミの泉で、本当に現れて、自分に話しかけている。水でできた体、水でできた布のようなものを纏っていて、目の前に……もしかして自分、死ぬんだろうか。でもまぁ、こんな美人の精霊様に殺してもらえるなら、それもいいかもしれない。だって俺はーー

"水の巫女は何処へ行ったのですか"

「……悪いが水の巫女というのは知らないな。」
 そう言うと精霊は俯いて黙ってしまった。ものすごく悲しそうな顔をしている。こんな非常時に何だが、ちょっと可愛いと思ってしまった。
「なぁ、おまえさん、精霊アンテイディーネだろ?水と豊穣を司っている。本当にいたんだな。」
「……」
「あー、明日豊穣祭だからここに来たのか?」
 精霊は黙って首を横に振った。
「うーむ。よく分からんが、明日西のイルマリって都市でおまえさんの祭りがあるって話だ。行けばその水の巫女とやらが見つかるんじゃないのか?」
 精霊は子犬のような目でこっちを見ている。無口な女だ。エミニス村の女は皆気が強いからこういうタイプはなんだか新鮮だなと思えるくらいには、ヨエルの緊張はなくなっていた。
「イルマリはあっちだ。ルオント中の人が集まるぞ。俺はその…すまんが行ったことないんだ。」
 精霊はどことなく寂しそうな顔をしながら、下がっていった。ラーシュのような信仰心がない自分が少し申し訳ない。
「そうだな。今日は俺も帰るよ。ちょっと色々なことがありすぎた。水の巫女については……何か分かったら伝えに来るよ。また会えるのかは知らないけどな。」
 ぽしゃんと音を立てて、精霊は姿を消し、泉は元の姿に戻った。

「不思議なこともあるもんだな……」

ヨエルは帰宅した。
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登場人物紹介

ヨエル

『ゲニウスの器』第1部の主人公。

ラーシュ

腐れ縁。大食い大男。

アンテイディーネ

水と豊穣を司る精霊。ヘルミの泉に現れるという。

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