第6話 動き出す歯車
文字数 1,818文字
それからしばらく、ヨエルは精霊のことを忘れ元の生活を送った。つまり配達をして、酒場で夕食を取り、帰宅するだけの日々だ。
――何日か過ぎて、ある日大雨が降った。大雨は畑や畑の作物にそれなりの被害をもたらした。ヨエルの自宅の庭のキエロは花はすでに終わっていたが、大雨でさらにだめになってしまった。
ヨエルはふと、ヘルミの泉のことを思い出し心配になった。あの小さい泉では大雨には耐えられないのではないか。
次の日はよく晴れた。道端の草葉には雨粒が残りきらきらと光を反射している。
仕事の後、ヨエルは軽く夕食を済ませるとヘルミの泉へ向かった。
しかしそこで見たものはヨエルの想像とは真逆で――
「なんだ……?どういうことなんだ?」
決壊することなく、豊かな水を蓄えた泉。大雨が嘘のように、穏やかで濁ることもなくとても澄んでいて、はじめて見たときよりも美しいとさえ思った。
何より驚いたのは、
「これは」
ヨエルが豊穣祭の日に植えたキエロの花。
自分が植えたのはたしかに1輪のはずだったが、5~6輪そこにはあり、全てが白くかわいらしい花をつけて輝いていた。今ここに来るまでの道を思い返しても、誰かが来たような形跡はなかった。来たとして、キエロを同じように植えて帰ろうという人はいないだろう。しかし花が花をつけた状態で自然に増殖することはあり得ない。根元を観察しても、明らかに別の球根から生えており、つまり株自体が増えている。通常起こり得ないことが起きているのだ。
この奇妙な現実を目の当たりにして、ヨエルは直感的に悟った。
「ここは『"水と豊穣"を司る』精霊、アンティディーネの……」
そう言いかけた時だった。
"ありがとう……“
紛れもなくあの時の、あの精霊の声であった。
それからというもの、ヨエルは酒場での夕食の後にヘルミの泉に寄ってから帰るようになった。
行くたびに花が増えているという奇妙な現象はヨエルにはやはり説明がつかないが、なんとなく自分の使命であると感じたヨエルは、枯れることなく咲き続け、増え続けるキエロの世話を毎夕した。泉の水を汲み花にやり、手入れをして――時々、未だ手がかりさえも得られない婚約者のことを静かな水面に懺悔したりもして、心の拠り所としていた。
いつしか泉の周りはキエロの花でいっぱいになった。月光に照らされる一面のキエロの白と泉のコバルトブルーは、もはや聖地としか言いようのない、特別な輝きを放っていた。
人はあまり訪ねてきていないのだろう。元々旅人や狩人が休憩のために訪れる泉だったが、どうしてか最近は来客はないようだ。精霊の力が働いているのか原因は分からないが、何にせよ村でこの奇妙で幻想的な泉が噂になることもなく、美しい泉は静かに穏やかに、そこに在り続けた。
ある日仕事が珍しく早く終わったヨエルは、毎日決めていた水やりの時間にはまだ早かったが、別段することもなかったので早めに泉へ向かうこととした。豊穣祭からちょうど3ヶ月のことである。
泉に到着したヨエルは驚いた。
「……!精霊さん、久しぶりだな」
美しく輝く水の精霊はヨエルが来ることを知っていたかのように、驚くこともなくゆっくりと振り向くと、少し微笑む。
「お待ちしていました、器の選んだ人、ヨエル」
「器の選んだ……?」
「まずはお礼を。わたくしの泉にこのような光をもたらしてくれた」
そう言うと水の女性は手を広げ、"最初のキエロ"の方を見やった。
「今日はあの頭の中に聞こえる声は使わないんだな」
「あなたが植えてくれたキエロのおかげで力を蓄えることができました。私の”豊穣”の力で花を増やし、より多くの生命力を共有できるようになったのです」
「よくわからねえが、要するにお前さんの仕業だったんだな」
「ええ。私のような存在は、それぞれの扱う力の源泉が必要…水の巫女がいなければ、私は穢れのない豊かな水か、生命からその力を得るのです」
「現実とは思えない」
「構いません。それよりも、あなたが探している女性……失踪してしまった彼女」
「何か知っているのか?!」
ヨエルは思わず身を乗り出した。
「失踪した時、彼女は15歳ではなかったですか?」
「……!俺の独り言を聞いていたのか?確かにそうだ。俺の3つ下で、失踪して7年になる」
「あなたの探している彼女こそが、私の探している水の巫女かもしれません」
歯車が、動き出した。
――何日か過ぎて、ある日大雨が降った。大雨は畑や畑の作物にそれなりの被害をもたらした。ヨエルの自宅の庭のキエロは花はすでに終わっていたが、大雨でさらにだめになってしまった。
ヨエルはふと、ヘルミの泉のことを思い出し心配になった。あの小さい泉では大雨には耐えられないのではないか。
次の日はよく晴れた。道端の草葉には雨粒が残りきらきらと光を反射している。
仕事の後、ヨエルは軽く夕食を済ませるとヘルミの泉へ向かった。
しかしそこで見たものはヨエルの想像とは真逆で――
「なんだ……?どういうことなんだ?」
決壊することなく、豊かな水を蓄えた泉。大雨が嘘のように、穏やかで濁ることもなくとても澄んでいて、はじめて見たときよりも美しいとさえ思った。
何より驚いたのは、
「これは」
ヨエルが豊穣祭の日に植えたキエロの花。
自分が植えたのはたしかに1輪のはずだったが、5~6輪そこにはあり、全てが白くかわいらしい花をつけて輝いていた。今ここに来るまでの道を思い返しても、誰かが来たような形跡はなかった。来たとして、キエロを同じように植えて帰ろうという人はいないだろう。しかし花が花をつけた状態で自然に増殖することはあり得ない。根元を観察しても、明らかに別の球根から生えており、つまり株自体が増えている。通常起こり得ないことが起きているのだ。
この奇妙な現実を目の当たりにして、ヨエルは直感的に悟った。
「ここは『"水と豊穣"を司る』精霊、アンティディーネの……」
そう言いかけた時だった。
"ありがとう……“
紛れもなくあの時の、あの精霊の声であった。
それからというもの、ヨエルは酒場での夕食の後にヘルミの泉に寄ってから帰るようになった。
行くたびに花が増えているという奇妙な現象はヨエルにはやはり説明がつかないが、なんとなく自分の使命であると感じたヨエルは、枯れることなく咲き続け、増え続けるキエロの世話を毎夕した。泉の水を汲み花にやり、手入れをして――時々、未だ手がかりさえも得られない婚約者のことを静かな水面に懺悔したりもして、心の拠り所としていた。
いつしか泉の周りはキエロの花でいっぱいになった。月光に照らされる一面のキエロの白と泉のコバルトブルーは、もはや聖地としか言いようのない、特別な輝きを放っていた。
人はあまり訪ねてきていないのだろう。元々旅人や狩人が休憩のために訪れる泉だったが、どうしてか最近は来客はないようだ。精霊の力が働いているのか原因は分からないが、何にせよ村でこの奇妙で幻想的な泉が噂になることもなく、美しい泉は静かに穏やかに、そこに在り続けた。
ある日仕事が珍しく早く終わったヨエルは、毎日決めていた水やりの時間にはまだ早かったが、別段することもなかったので早めに泉へ向かうこととした。豊穣祭からちょうど3ヶ月のことである。
泉に到着したヨエルは驚いた。
「……!精霊さん、久しぶりだな」
美しく輝く水の精霊はヨエルが来ることを知っていたかのように、驚くこともなくゆっくりと振り向くと、少し微笑む。
「お待ちしていました、器の選んだ人、ヨエル」
「器の選んだ……?」
「まずはお礼を。わたくしの泉にこのような光をもたらしてくれた」
そう言うと水の女性は手を広げ、"最初のキエロ"の方を見やった。
「今日はあの頭の中に聞こえる声は使わないんだな」
「あなたが植えてくれたキエロのおかげで力を蓄えることができました。私の”豊穣”の力で花を増やし、より多くの生命力を共有できるようになったのです」
「よくわからねえが、要するにお前さんの仕業だったんだな」
「ええ。私のような存在は、それぞれの扱う力の源泉が必要…水の巫女がいなければ、私は穢れのない豊かな水か、生命からその力を得るのです」
「現実とは思えない」
「構いません。それよりも、あなたが探している女性……失踪してしまった彼女」
「何か知っているのか?!」
ヨエルは思わず身を乗り出した。
「失踪した時、彼女は15歳ではなかったですか?」
「……!俺の独り言を聞いていたのか?確かにそうだ。俺の3つ下で、失踪して7年になる」
「あなたの探している彼女こそが、私の探している水の巫女かもしれません」
歯車が、動き出した。