第五章 挑戦する日本の女

文字数 8,772文字

第五章 挑戦する日本の女

夏も後半に差し掛かり、40度を超す日は少しずつ減少していった。そうなると、男性の利用者たちは、またたたら製鉄を再開した。やっぱり製鉄所であるから、鉄の制作をしているときが一番いいぜ、なんて彼らはそんなことを言っていた。女性の利用者たちも学校へ行ったり職場に通ったりすることができるようになった。

そうなると、製鉄所の建物内にいるのは、麗子とカレンのみであった。カレンは相変わらず調理係のおばさんの手伝いだけで満足しているらしい。エアコンの掃除をする必要がなくなってきたので、仕事量は少し減少したが、彼女は何も文句をいうことはなかった。麗子は、まだ大学受験への夢を捨てきれず、ひっきりなしに勉強を続けていた。そんな麗子を見て、カレンは女がお国のために戦うような真似はしないでいいと笑っていた。

製鉄所には、女性の利用者も多かったが、誰もカレンの事を非難するものはなかった。はじめはみんな仕事で忙しいから声をかけないのだと思っていたが、職場には通っていても、製鉄所内ではのんびりしている女性のほうが多く、彼女たちは仕事が終わって帰ってくれば、他の女性としゃべったり、自分の好きなことをやったりしていて、勤勉でまじめであるという女性は一人もいなかった。職場でどうしているのかはわからないが、麗子は彼女たちをみて、仕事というものにあまり情熱を持っていないのに腹が立つようになった。

またもう一つ不利な条件として、麗子以外に受験生が誰もいないということもあった。大学へ通っている利用者は少なからずいるが、麗子のように一日中机に座って勉強するということはしないことがほとんどだった。彼女たちに話を聞くと、机に縛り付けられるような受験勉強をしたら、体を壊すからやめろ、と言われた。そうしなければ、現役で合格できないじゃないかと反論すると、それより体を壊さないようにすることが大事だと笑われた。さすがに、幼いねとか子供ねという言葉は出なかったが、昔の歌にあった、蛍の灯露白雪という言葉は、あてにしないほうがいいよ、と優しく話してくれた利用者もいた。

麗子は、学校でも音楽大学を目指すからと言って、教師にさんざん馬鹿にされていたこともあって、製鉄所にやってきても、自分は馬鹿にされているのではないかと思った。やはり、音楽をめざすということは、馬鹿にされてしまうのだろうか?それとも、中村先生が言っていた通り、役に立たないものを目指すなという意味の表れなのだろうか?それとも、音楽自体役に立たなくて、必要のないものだと思っているのだろうか?こんな悩みが頭の中をぐるぐる渦巻く。

カレンが、そんな麗子を気遣って、時折大丈夫かと声をかけてくれるが、彼女に従ってしまったら、自分は本当に敗北したような気がする。電気もガスもなかったペルシャよりも、日本のほうがはるかに技術は進んでいるし、イスラム法に縛り付けられて暮らすよりも明らかに自由だし、よっぽど優れた国家だと確信している。そこから来た人物に説教なんかされたくはない。はじめのころはよく、彼女と話していた麗子だったが、最近はあいさつ程度で、距離を置くようになった。

ある日、麗子はいつも通り自室で勉強していた。食堂のおばちゃんが、麗子ちゃんご飯だよ、と呼びにきたので、さすがにその時は食堂へ行った。懍は、麗子に、受験生だから一緒に食事をとることを拒否していいというルールは存在しないと、厳しく言い聞かせていた。これに背くのは、やってはいけないという雰囲気もあった。

食堂へ行くと、本日のメニューは豚しゃぶであったが、食せないのは水穂のみで、カレンも普通に豚肉を食していた。あれ、中東では豚肉を食べないのではないかと思ったが、ムスリムではないので、関係ないと笑っていた。

麗子は早く勉強の続きをやりたかったので、急いで豚しゃぶをろくに味わわずに食べて、急いで食堂を退散した。それは、豚肉を食せない水穂も同じだった。彼の夕食はコーンスープだけで終わってしまうのであった。二人が早々食堂を出て、廊下に出ると、不意に玄関の戸を叩く音がして、

「磯野さん、宅急便です!」

と、年の若い配達員の声が聞こえてきた。

「はい、すみません!」

何を買ったんだろうか、麗子は観察してみたかったので、思わず自室へ戻る足を止めた。実は、この西洋的な美男子である水穂のことがなんとなく気になっていた。単に顔が派手であるからというだけではない。痩せてやつれた体に、この美しい顔とのギャップが、なんとも言えないのである。油に対してひどく過敏であり、それを含む肉魚を一切食せないと聞かされているが、納豆とか豆腐とかそういう大豆製品にも手を出していなかった。そういうわけで痩せてがりがりであるが、その整った顔立ちは、まるでギリシャ彫刻にもそっくりである。

麗子が、そんな思いを寄せていることは知る由もない水穂は、玄関口に行って、配達員から箱を一つ受けとって、受け取りのサインをし、代金を払った。ハイ毎度あり、と言って、配達員が帰っていった直後、麗子は思い切って水穂に声をかけることにした。

「何か注文したんですか?」

「あ、はい。ショパンのワルツ集です。」

「ピアノ、弾くんですか?」

「まあ、少しですけど。」

なに!それは本当か!ここまで綺麗な人であれば、コンクールなどに登場したら多かれ少なかれ名物になるはずだ。もし、高度な演奏技術があれば、グランプリとか間違いなく獲得できるのではないだろうか。

「すごいですね。一曲聞かせてほしいくらいです。」

思い切って、そう言ってみる。

「とても誰かに聞かせるほどうまくはないですよ。」

「謙遜しないで、一曲聞かせてくださいよ。もし、よろしければあたしが、感想言ってもいいですよ。」

「そうですねえ、、、。」

少し考えて、

「じゃあどうぞ。」

と、水穂は自室へ麗子を案内した。麗子は表情こそ変えなかったが、心の内では飛び上がりたい気持ちだった。

ふすまを開けると、かなり狭い部屋であったが、小サイズのグランドピアノが設置されていた。あとは、カラーボックスと小さな机と桐たんす、隅のほうに布団がたたまれて置かれているだけであったが、部屋の半分以上はピアノが締めていて、それ以上家具を設置することは無理だとはっきりわかるほどの面積だった。しかし、狭い部屋であれば一般的にはアップライトピアノで十分と解釈する人が多いはずだから、あえてグランドを置くということは単にピアノが好きだという理由ではないのではないかと思われる。それは、水穂がピアノの蓋を開けて決定的になった。鍵盤が白ではなく黄色っぽくなっていた。そうなるためには、相当練習しなければならないからだ。

「まあ、ぼろぼろのピアノなので、変な音しかしないと思いますけどね。一度、弦を全部張り替えないとだめだと調律の先生から言われたこともありましたが、そんな暇がなくて、そのままになってます。」

水穂は、譜面台の上に楽譜を置き、椅子に座ってピアノを弾き始めた。曲のタイトルは、ショパンのワルツであることはすぐにわかったが、偉大なピアニストが弾いている演奏とほとんど変わらなかった。音量こそ小さいが、よくある派手さはなく、どうしようもない悲しみにひたすら耐えるという感じのワルツになっていた。現在、ショパンを派手に弾く人は多いが、かえってこういう演奏のほうが、作曲した本人も喜ぶのではないかなと思われた。

曲が終わると、麗子は感激して拍手をした。

「すみませんね、人間、なまけちゃうと、どんどん下手になってしまいますよね。こういうよく知られた作品ですと、それがもろに出ちゃうから、もう、恥ずかしくて仕方ないです。」

水穂はそんなことを言っているが、麗子は恥ずかしいなんて全く必要ないのではないかと思った。

「そ、そんなことないですよ!私、演奏聞いて感動しました。本当に素晴らしかったです。ショパン意外に得意な作曲家っているんですか?」

と、聞きながら、麗子はカラーボックスの中身を見た。A4サイズの書籍がぎっしりと入っていたが、ほとんどのタイトルは麗子が知っているアルファベットではなく、キリル文字で書かれていて、何と書いてあるのか全くわからない。その中に、ただ一冊だけアルファベットのものがあった。

「レオポルト・ゴドフスキー、ですか?」

思わず声に出して読んで見る。

「はい、そうです。というか、その本箱に入っている譜面の九割くらいはゴドフスキーの曲です。」

ああそうか、もともとロシアの作曲家であったから、キリル文字で表記されていてもおかしくない。しかし、ゴドフスキーと言えば、超絶技巧を極めた難曲を数多く作曲していることで有名だから、その楽譜をこんなに大量に持っているなんて、相当演奏技術のある人でなければできない。

「あたし、本当に失礼な事を言ってしまってすみません!あたしよりもずっと弾けるひとだったのに!」

思わず謝罪をしなければならないなと思った。

「気にしないでくださいね。持っているだけで、弾くことは体力的にほとんどできないので。」

「失礼ですけど、もしかして、音楽大学とか行かれましたか?」

「あ、はい。まあ、とりあえず桐朋には行きました。」

麗子が質問すると、水穂はあっさりと答えた。桐朋というと、とりあえず、どころか相当努力をしないといけないところであることは麗子も知っている。

「桐朋なんて、すごいところじゃないですか。すごい人がいっぱいいるところでしょ。中には世界的に有名になった人だってたくさんいるし。」

「そうかもしれないですけどね、やってることはほかの大学とたいして変わりませんよ。変にプライドが高くて、細かいところをやたらかっこつけて弾くように指導されるだけですよ。水戸黄門の印籠じゃあるまいし、出たからと言って何か効力があるわけでもないですよ。」

「そんなことありません!桐朋なんですから、音楽されている皆さんなら憧れの中の憧れなんじゃないですか。あたしが目指している大学よりは、少なくともずっといいところではないのですか?」

「そうですねえ、昔だったらそうかもしれないですが、今はほかの大学でもかなり良いところまで指導してくれるようですので、あえて行く必要もないんじゃないですか。大事なことは、自分が納得する音楽を作らせてくれる大学へ行く事だと思いますよ。それは、名の知れた大学がそうさせてくれるか、というわけではないと思います。桐朋を出た人は、全員がものすごくうまいかというと決してそんなことはないです。全然無名の大学であっても、人を感動させられる演奏ができる人は、多数います。」

「どうも変だわ。桐朋を出た人は、もっと自信があるのではありませんの?桐朋に限らず、武蔵野とか芸大とか、そういうところを出た人は、もっと堂々としていて、あたしが一番的な態度をとっていると聞きましたよ。」

「まあ、そうかもしれませんね。例外も少なからずいますけど。」

麗子は、ここまで高学歴でしかもこの顔立ちをしている人であれば、少なくともテレビ出演はできるのではないかと思った。とても製鉄所の手伝い人という職歴ではもったいない気がした。

「あたしは思うんですけど、水穂さんだけではなく、ここの製鉄所に通っている人たちは、結構レベルの高い大学に行っている人もいるじゃないですか。あたしたちの先生が、よくすごいところだと言っているような大学に通っている人がいて、はじめは信じられなかったくらいですよ。でも、もっとびっくりしたのは、その人たちがそういうところに行けているということに、全く自信がないというか、ほこりを持ってないことでした。まるで普通に生きている人たちと変わらないじゃないですか。学校の先生たちは、国公立へ行く以上、他の人間とは違うのだと思えと、さんざん怒鳴っていたんですが。」

まあ確かにそうである。製鉄所の女性たちの間では、高名な大学に通っている人と、農作業に従事している人とが、平気でしゃべっているという光景は日常的にみられる。麗子にしてみたら、国公立を目指す人間が、私立大学を目指す人間と会話することはご法度とされているから、おかしな風景と見えてしまう。

「確かに、利用者の中には東京大学に通っていた人もいたのは事実ですが、それのおかげで税金を免除されるという法律があるわけでもないですし、助け合いに参加しなくてもいいという特権があるわけでもないですから、そういう人たちを神格化してはいけないと思いますよ。」

「なんですか、東大にまでいってたの?そういう人は偉かったでしょ?」

「そんなことありませんね。確かに試験でよい点数は取れたかもしれませんが、いくら東京大学と言っても、お米をとぐ方法を知らないのでは困るでしょ。ところが彼女は東京大学の学生であることを条件に、日常的なことはすべて他人にやらせるという習慣が染みついてしまっていて、これを矯正させるのには食堂のおばさんも困っていました。幸い、彼女は比較的素直な性格をしていましたので、割と早く立ち直ってくれましたけどね。」

よく理解できなかった。もしかしたら、東大へ行って、自分のコンプレックスを解消しようと試みていたのかもしれないのに、食堂のおばさんが、そういう日常的なことをおしつけて、彼女を「普通の人間」に陥落されてしまった、としか感じられない。

「あたしは、どうもここの人たちが、無理をしているような気がしてなりません。女性であるということに劣等感を持ってしまう人は少なくないと思うし、それを解消するために、高尚な大学へいくということは別に悪いことではないと思います。そのためには、他の人とは違うんだと思うことも、多少は必要になるんじゃないでしょうか。でも、ここの人たちはそれをやってはいけないというか、自分のプライドを無理やり放棄させられているような気がするんです。」

「そうかもしれませんね。日本ではまだ学歴が印籠と同じものだと解釈している人が多いですからね。進学校ではそうなりやすいのかな。と、いうより、レベルの低い高校ですと、そういう事を言わないと、生徒さんが付いてきてくれないでしょうからね。一種の洗脳と言えますよね。そこから解き放つには本当に大変なんですよ。ここでは、そのまま社会に出て、印籠が役に立たない物だと初めて知らされて、大事なものまで落としそうになった、という人も居りますからね。」

「でも、少なくとも私の学校では、国公立へ行く事こそ、人生の鍵を握るものだとさんざん言わされて、行かない人は厳しい拷問を受けました。私は、音楽学校を志望していたんですが、それのせいでどれだけつらい思いをしたことか、、、。」

麗子は正直に答える。

「まあ、そうですね。僕もそういうことありましたね。まあ、それはね、音楽学校行く人の宿命みたいなもんですよ。やっぱり、この地域では、音楽とか美術をやる人はある種の非国民と思ってしまう人のほうが多いですよ。少なくとも僕と麗子さんでは、20年近く年齢差がありますけれども、今の日本では20年は、ほんとに短いですからね。」

「そうでしょ、きっと20年前よりもっとひどいんじゃないですか。さすがに、音楽学校を目指すだけで、親殺しであるという発言はなかったでしょう。それが毎日ですから、もうたまったもんではないですよ。だから、レベルの高い大学へ行って、見返してやろうと思いませんか?ある意味それが原動力になって、桐朋へ行けたんじゃないんですか?」

「いや、どうですかね。それは、かえって危ないかもしれないですよ。そうすると、余計に四面楚歌となる確率は高くなるでしょう。それよりも、できるだけ敵を増やさないように生き抜くことを研究するほうが先決ですよ。まじめに勉強にもピアノにも取り組もうなんて、それこそ敵の思うつぼです。こういうと、失礼なのかもしれないけれど、不真面目な生徒を演じていたほうが、かえって安全が保てると思いますね。」

「なんですか、私が、同級生たちと同じように、汚い言葉を使い、汚い格好をするほうが安全というのですか?」

「ええ。結論から言えばそうなります。そのほうが、教師も手を出してこなくなるのではないですか。こいつはいくら教育しても変わらないとあきらめてもらったほうが、邪魔が入ってこなくなりますから、より音楽に打ち込めるようになりますよ。桐朋だって、さほど偏差値は要求されるところではありませんから、僕もさほど勉強ができるほうでもありませんでした。敵にとって一番重大な武器は偏差値です。それが低いから、音大は無意味だと思っているのです。きっといくら実技が難しいと攻撃したって、全く通用したりはしませんよ。大砲を強力な武器だとわかっていない民族と同じだと思ってくれればいいのです。大砲のよさを主張したって全くわかりはしないなら、他の武器を入手するしか方法はないと思いますよ。具体的に言えば、教育から身を引くことですね。」

水穂は、心を込めて言い聞かせたつもりだったが、麗子は理解できなかった。麗子にしてみれば、これまでしてきたことを全部捨てて、自分よりレベルの低いと思っている同級生と同じような行動をしろと命令されているようなもの。それは、ある強大な帝国の植民地となった地域の住民が、自分たちの伝統文化を全部捨てて、無理やり支配国と同じようにふるまえと言われることによく似ていた。

「ちょっと待ってくださいよ。私、同級生と同じような生活をするなんてとてもできません。だって私は、それをしないことによって今まであの高校にいられたようなものなんです。まるで、私には当たり前のようなことで、やくざの親分みたいな怒鳴り声をあげて叱られなければならないなんて、私は、なんて馬鹿げているのだろうと、よく思っていました。もし、水穂さんの言うことが正しければ、私も一緒になってあの人たちと一緒に叱られていたほうが安全だというのですか!」

「はい、結論から言えばそういうことですよ。まあ、女の人はこれを受け入れることは非常に難しいのではないかとは思うんですが、、、。でも、無事に音楽学校へ進学するためであれば、多かれ少なかれ作戦を立てることは必須ですし、多少妥協するとか、同化することも必要なんですよ。この地域ではまだまだ味方よりも敵のほうが多いですから、それを交わすには高度な戦術が必要です。大砲を打ち込めば壊滅するという戦法では、勝利することはとてもできませんよ。」

「それならお願いなんですけど、ゴドフスキーの楽譜、一冊貸していただけないでしょうか。練習なら、楽器屋さんのピアノを借りればいいことだし。私、ゴドフスキーをコンクールで演奏してみたいんです!そうすればあの先生たちもびっくりするのではないかしら!」

一瞬驚いたが、そうなるとますます彼女は哀れな方へ行ってしまうとすぐに予測できた。

「いいえ、女の人がゴドフスキーを弾きこなした例は聞いたことがありません。僕も、桐朋の卒業演奏会で演奏したことはあったことは確かですし、他にもゴドフスキーを演奏した人はいましたが、一学年の中でも五人もいませんでしたし、その中に女性は一人も居りませんでした。プロのピアニストでゴドフスキーの曲を録音した女性も一人も居りません。日本でもヨーロッパでも居りません。若手のコンクールでも誰もいないのではないですか。それぐらい、女性が弾きこなすのは難しいんですよ。」

「前例がないなら余計にやるんじゃないですか!逆を言えばそれはチャンスでしょう!もし、演奏できましたら、ものすごい話題になって、名を馳せることもできるじゃないですか!」

「だけど、現実問題無理じゃないですか。これまでの歴史的に言ってもそうですよ。誰もいないということがその証拠です。桐朋にいた時もそうでしたけど、ゴドフスキーの作品に無理をして取り組んだせいで手を痛めて、ピアノを諦めなきゃいけなかった女子学生も多かったですよ。無謀な挑戦はしないほうがいい。でないと、本当にやりたいことまでなくしますよ。」

「私は、そんなことはしません。それくらいの分別は持っています!それとも水穂さんも、私にはできないと馬鹿にしているの!」

これ以上警告すると、彼女がまた狂乱してしまうのではないかと思った水穂は、一度やったほうがいいかと思った。女性に、こういう事を伝えるのは、非常に難しいことだと改めて知らされた気分だった。

「わかりましたよ。まあ、昔に比べて、体格のよい女性も多いですから、できないこともないかな、、、。」

と言っても麗子の身長は160センチもないので、演奏するのは明らかに無理なのだが、それは言わないでおいた。水穂は、本箱からキリル文字で書かれたタイトルの楽譜を一冊取り出した。

「比較的取り組みやすいと言えばこれですけどね。ゴドフスキーのジャワ組曲。それから、毎日すみやの練習室を借りるとお金がかかると思いますから、この古いピアノでよかったら、使ってくれていいですから。」

「わかりました!ありがとうございます!じゃあ、絶対あの人たちに勝てるような演奏をして見せます!」

麗子は楽譜を受け取って、勝ち誇ったように部屋を出て行った。水穂は、それを心配そうな顔で見送った。
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