第三章 女の友情

文字数 7,345文字

第三章 女の友情

骨董店千鳥は、いわゆる西洋アンティークショップという感じではなく、典型的な日本の古美術品や、民芸品などを売っている、ちょっと敷居の高そうな店だった。吉原駅から近くといわれていたが、店の看板が非常に小さくて、確かに距離的には近いかもしれないけれど、見つけるのには少し苦労した。入り口は小さなドアを開けて、階段を上って入る仕組みになっていたが、エレベーターも設置されておらず、蒸し風呂のように暑い階段を上っていかなければならなかった。三人はタクシーを降りて、階段を上り、古ぼけたドアを開くと、壺や皿などの焼き物のほか、日本刀などの武器も売り棚に所狭しと置かれていた。

「はい、いらっしゃいませ。」

店主さんは、いかにも知識のありそうな、老夫婦だった。

「その年代からだと、遺品整理とかそういう事かな?」

「違います。あたしたちは、買いに来たんです。七輪ありませんか?」

麗子がそう切り出すと、

「はい、どんな七輪でしょうか?」

おばあさんが返答した。どんなって、七輪と言えば、円筒形の形をした陶器しか思いつかないが。

「ほら、ラッパ型とか、平型とか、かまど七輪とかいろいろあるでしょ。」

勿論、水穂がおばあさんの言葉を通訳してくれたが、それだけではたぶんわからないだろうなと思われる。

「何を焼くのかな。さんまなんかを食べるのかな?それともバーベキューでもするのかな?」

おじいさんが優しく解説してくれる。

「バーベキューするなら、箱型とかそういうものの方がいいかもしれないし、逆にうなぎやさんまを焼くなら、丸型のほうがいいよ。」

と、言われてもさっぱりわからない。そんな違い、聞いたこともない。日本にいながら、日本の伝統的な調理器具である七輪を、全く知らないなんて恥ずかしいなと、麗子は穴があったら入りたいと思った。

「しかし、七輪を何に使うの?」

「礼拝の道具。」

やっとそれだけ言える。

「礼拝?七輪をそんなことに使うなんて、どこの宗派だろう?」

おじいさんたちは顔を見合わせる。

「七輪に祈りをささげるなんて、曹洞宗でも日蓮宗でもなさそうね。」

「はい!ゾロアスター教です。」

「なんだそれ。流行りの新興宗教とかそういうものかなあ。」

「なんなんだろう、この人たち。」

おじいさんとおばあさんは変な奴だという顔をして、彼女たちを見た。

「はい、中東のペルシャで流行っている宗教なんですよ。日本語に訳すと拝火教と言って、とにかく火を大事なものとして、毎日毎日火に向かって礼拝するんですよ。彼女は、そのペルシャからやってきていて、今でもそれを大事にしているんですね。本国ペルシャでは、聖火台のようなものがあるんですが、日本ではそのための道具がないので、いつも火を起こして置ける七輪が便利なんですよね。」

水穂が弁明するようにそう説明すると、おじいさんたちはなるほどという顔をした。

「ああ、なるほどねえ。そういう事なのね。じゃあ、炎が仏様と同じようなものになるわけね。じゃあ、一般的なウナギ用とかさんま用じゃまずいよね。それならばこの七輪持っていきな。おい、昨日入った、切り出しの七輪持ってきてやってくれ。」

おじいさんはにこにこしてそう答えを出してくれた。おばあさんが、あいよと言って、一度貯蔵庫のほうへ行き、側面にオシドリの絵が描かれている結構大型の丸型七輪を持ってきてくれた。

「どう?これだったら、ちょっとはましになるかもしれないよ。」

ずいぶん古いものであったが、少なくとも杉三がウナギを焼くために持っていた七輪とは違っていた。それより一回り大型のもので、オシドリの絵が蒔絵装飾されている。多分、高尚な身分の人が使っていたと思われるが、麗子はそんなことは知る由もなかった。

「能登で焼かれた、最高級品と言われる切り出し七輪だよ。昔のものだから、ちっとやそっとの事でつぶれる可能性は低いと思うよ。そういうことに使うんだから、たぶん練り物七輪では物足りないと思うよ。どう?」

正直に言うと違いが判らない。でも、説明してくれと言ったら、そんなことも知らないのと言われてしまいそうな気がする。

「そうですね。今みたいに単なるレジャーとかそういうために使うわけじゃないですし、礼拝は中東の人にとって、日常的にやるものですので、高級品のほうがいいでしょう。じゃあ、これいただいていこうかな。」

麗子が面食らっていると水穂が反応してくれた。

「おいくらになりますか?」

「必要な物だろうから、お安くしておくよ。二万くらいでどう?」

そんなに高いのか!ホームセンターでは数千円、高くても五千円くらいで買えるのに!見かけこそ同じ七輪なのに、なんでそんなに落差があるんだろう。

「そうですね。そのくらいでお願いします。」

水穂も当然のように、二万円をおじいさんに渡した。おじいさんは、丁寧に領収書を書いてくれた。定価はいくらかと聞いてみたかったが、多分骨董品として売られているわけだから、もしかしたら五、六万はするのかもしれなかった。

「でも、こんな重いの、どうやって持って帰る?」

おばあさんが心配そうな顔をして言う。確かに、女性には歩いて持って帰るのはちょっと重たすぎる。

「あ、あたし持って帰ります!」

麗子は、杉三の持っていた七輪とあまり変わらない重さだろうと思った。

「いや、女の子には難しいよ。七輪は大きさが少し変われば、重さも大幅に違ってしまうものなんだよ。使っている土の種類によっても、また重さが違うしね。」

そんなことまで違うのか!麗子は試しに持ってみると言って、七輪に手をかけてみたが、あまりの重さに腰が抜けそうになった。これでは、水穂でさえも、持って歩くのは難しいくらいだ。これを持って階段を下りることができる人は、誰もいないのではないかと思われた。

「じゃあ、タクシーの運転手さんに持ってもらいますか。」

水穂がそういってくれなかったら、もう恥ずかしくてたまらない。隣にいたカレンが、ちょっと笑っているのを見ると、日本人の若者はそんなことも知らないのかと笑われているような気がする。これまでなんのために学校で勉強したのかと聞かれたら、試験で百点をとるためだという答えでは、きっと馬鹿にされる。日本独自のものについて、何にも説明できないなんて、なんて恥ずかしいのだろう。水穂は、時々ペルシャ語を使って何か説明しているが、それができるのが、うらやましくて仕方なかった。自分はなんのためについてきたのか、全くわからなかった。

「ぶつかったらいけないので、梱包してもらえますか?勿論気を付けて持って帰りますけど。」

「そうだね。ちょっと待ってね。」

おじいさんは、新聞紙と、プラスチックの梱包材を売り台から出してきて、丁寧に包んでくれた。その間に水穂はスマートフォンでタクシーを呼びだした。幸い、タクシーはすぐに来てくれて、力持ちの運転手さんがよいしょっと持ち上げて階段から降ろしてくれた。運転手さんも、持ち上げるのに気合を入れなければいけないほどだから、よほど重たいものだったのだろう。

「どうもありがとうございます。もし、また何かありましたら伺いますね。」

水穂は、軽く敬礼して、もう帰ろうと促した。

「また来てくださいね。」

おばあさんが、優しそうな表情でそういってくれる。水穂が急いでそれをペルシャ語に翻訳して伝えると、カレンもペルシャ語でなにか答えた。これがもし理解出来て、もうちょっと日本の伝統品である七輪について説明ができたら、こんなに恥をかくことはなかっただろうなと思われた。カレンは、お礼の代わりに、おじいさん、おばあさんと握手をして、水穂と一緒に店を出て行った。麗子も、何を言っていいのかわからないまま、店を出て、階段を下りた。

階段を降りると、タクシーが待っていてくれた。七輪は、運転手さんがトランクルームにしまってくれた。運転手さんに促されて、水穂は助手席、カレンと麗子は後部座席に座った。同時にドアが自動で閉まって、タクシーは走り出した。麗子が、もう少し勉強しておけばよかったと後悔しながら、車窓から見える景色を眺めていると、

「今日は本当にどうもありがとう。」

と、声がした。あれ?おかしいなと思われるアクセントがあった。

「あれ、違うのかな。」

もう一度声がしたので、振り向くと声の主はカレンだ。その青い瞳が真正面に来た。それを見ると決して馬鹿にしたような雰囲気でもない。

「間違えてしまったかな。」

発音こそおかしいが、こういう場面のあいさつは間違えてはいない。

「い、いや、大丈夫ですよ。間違いではないですよ。」

口ごもりながら答えを出すと、

「ごめんなさいね。日本語、ちゃんとわかっていなくて。反応がなかったから、通じなかったと思ったわ。」

と返ってきた。

「日本語、しゃべれるんですか?」

「まだほんの少しだけど。」

なんだ、そうなのか。それなら、そう言ってくれればいいのに。水穂がひっきりなしに通訳をしていたので、てっきりペルシャ語しかできないのかと思った。

「どれくらい経つんですか、こっちへきて。」

「まだ二年。今年二年目なの。去年の夏に嫁いできたから。」

嫁ぐなんて、今の若い人は使わない言葉だろうなと、麗子は思った。

「じゃあ、おいくつなんでしょう?」

「37歳。ここでの数え方をすればね。」

つまり19年歳が離れているということになるが、少なくともその年には見えなかった。もっと若い女性なのかと思った。

「やっと自分の歳も正確に伝えられるようになったかな。」

それはどういう事だと考えていると、

「イスラム暦とこっちの暦では年の数え方がまた違うんですよ。」

助手席から水穂がそういう。ああそうか、イスラム暦なんて、世界史の授業で名前を覚えただけなので、どういうものであるか全くわからなかったが、彼女にしてみれば大きな違いなのだろう。そういえば、現在のペルシャでは、イスラム教が国教になっていて、法律などもそれに基づいて作られていると聞かされていた。

「ごめんなさい。私、何のために一緒に来たのかわからなかったでしょ。七輪の種類も重さの違いも何も説明できなくて、かえって邪魔だとお思いになりましたよね。」

麗子は正直に自分の恥をわびた。

「気にしなくていいわよ。それよりお思いになるなんて言わないでよ。日本語のそういうところは、ちょっとわからないから。」

「で、でも十九年離れた人なんですから、しっかりしないと。」

麗子は、当たり前の事を言ったつもりだったが、

「いいえ、使わないでいいわよ。だって、十九年という感覚がまだ理解できないし。」

と、返ってくる。つまりイスラム暦では、一年の分量がまた違うのだということだ。具体的に、日数の違いなどは判らないけれど、来日したばかりの彼女は、そういうところから、かなり面食らったに違いないので、麗子は変なこだわりを持つのはやめたほうがいいと思った。

「でも、大変ですよね。ムスリムではないのに、イスラム暦に従わされるのもね。」

水穂がまたそういう。ああ、確かイスラム教の信者の人をムスリムと言っていたな。

「そうね。まあ、仕方ないかなあ。少なくとも、お役人さんたちが村を潰さないようにしてくれるだけでも、まだいいわ。」

「まあ、いわゆる少数民族みたいなものですからね。同じペルシャ人であっても、ムスリムではないと、かなりの不遇だったでしょうね。サーサーン朝の時代には全盛期であったんですけど、それ以降はかなり弾圧されていたようですから。」

そういえば、イスラム帝国が立ち上がったときに、サーサーン朝は滅ぼされたと学校で習った。というか、教わったのはそこまでだ。確かにサーサーン朝があったときは、ゾロアスター教は国教とされていたらしいが、それがなくなって、イスラム帝国の支配下に置かれたペルシャの人たちはどうなったかなんて全く習わされていない。

「でも、教祖が点火した火は、消されることはなかったわ。今でも、村の中心部にある寺院に安置されていて、いつでも礼拝に行けるようになってるの。」

ゾロアスター教が盛んになったのは、サーサーン朝より二つ前の王朝、アケネメス朝のころからだと聞いている。つまり、今の時代から考えると、1500年以上前だ。そんな長い時間をかけても、まだ燃え続けているということは、相当大事にしてきたのだろう。

「まあ確かに、奈良の大仏もそのくらい前に作られましたが、それと一緒なんですね。」

「ええ。昔は、三か所に聖火があったんだけどね。今残っているのは一つだけで、あとの二つはみんな消されてしまったの。」

確かに、水をかければ火は簡単に消されてしまうものだ。爆弾の火とか、明歴の大火みたいなよほどの大火事でなければ、消すのはあまり苦労しない。そう考えると、大仏よりも維持するのは難しいかもしれない。

「日本人が、大仏を見に行くと心がほっとすると言いますが、カレンさんは、炎がそれと同じというわけですか。」

「そうね。血が騒ぐというと大げさだけど、やっぱり炎に向かって合掌すると、落ち着いてくるわよ。」

彼女はにこやかにそういった。麗子は、高級な七輪を買ってあげてよかったとおもった。そうなれば、確かに杉三が言ったように、ウナギのにおいが染みついている七輪では、そういう道具にはふさわしくない。

「よかったわね。カレンさん。庭に置いておけばいつでも礼拝ができるじゃない。あたしは、阿弥陀さんがイケメンとかそういうほうを見ちゃうから、なんか見習わなきゃいけないなと思ったわ。」

「日本の人は面白いわね。もっと、阿弥陀さんの偉大さとか勉強したら、また変われるんじゃないかしら。」

そうかもしれない。麗子も、阿弥陀如来はただ寺院に安置されているだけのもので、どういうご利益をもたらしてくれるかなんて何も知らなかった。もし、阿弥陀如来のとっているポーズの由来なんかを勉強することができたら、阿弥陀如来を神聖なものとして見ることができるかもしれない。

「私たちは、教祖が点火した炎があるから、安全な生活があると思っているの。それはいつでもどこでも何をしていても同じよ。日本人も、阿弥陀さんがいてくれるから、幸せになれると考えなおしたら、もうちょっと幸せな人生になるんじゃないの?」

そんなこと、考えたこともない。昔の人であれば、そう考えていたかもしれないけど、少なくとも自分で努力したとか、実力を持って財を成したとか、そういう風に解釈してしまう。

かつて、聖武天皇は、大きな災害を仏への信仰が足りないからだと思って、奈良の大仏を作らせた。天皇という第一級の政治家さえも、そういう考えを持っていた。でも、今はどうなんだろう。

「少なくとも私は、そう思ってるわ。この世では、自分の力で生きていると勘違いしたら、とんでもない罰が当たる。火に向かって合掌するのはそれを自覚するためでもあるの。確かに、私たちは意思があるけど、魚を焼いたり、水を熱してスープを作ったり、寒い時にはストーブとして暖めたりすることは、私たちのすることじゃないでしょ。それは皆、火がやってくれることだから。私たちは、何をしたってできることじゃないわ。」

なるほど。そういうわけで火は大事なものなのかあ。

「だから、火の前で咳もくしゃみもしてはいけないの?」

「そうよ。大事なものだし、汚したらいけないでしょ。咳やくしゃみは汚いものだし。日本では手に入らないけど、礼拝するときは白装束になって、帽子をかぶって、鼻息が触れないようにマスクをするのがお決まりなのよ。そういうものだって、普通に市場で買えるようになっているの。日本にもそういう道具が売っているのかと思っていたんだけど、お線香とかそういうものは、すごい高価で、びっくりしたわ。もっと、気軽に買えたらいいのにね。」

そんなに、厳しいのか。でも、人間は何をしたって魚を焼くことはできないということは理解できた。それはつまり、自分たちが一番だと解釈していないという事である。だから、変に威張ったり、権力欲を見せることもないのだろう。かつて自分を苦しめた、中村美子先生がこういうことを聞いたらどうなるだろうなと、麗子は想像した。きっと、中村先生は世界史の先生だけど、自分の身を立てる道具くらいしか歴史の事は考えてないんじゃないかな。ただ、試験でいい点を取るだけの勉強では、全く役に立たないという事を、痛感させられた気分だった。同時に、この信心深いペルシャ人の女性のことが好きになった。好きになったというと恋愛感情を想像してしまうと思うが、そういう事ではなく、しっかりと感謝して生きているという姿勢を、なんだかとても尊敬してしまうのだ。

「カレンさんってすごいわ。なんか、かっこいい。」

麗子は、少女らしく無邪気に感想を述べたが、

「かっこいいなんてとんでもないわよ。私たちは、当たり前の事をやっているだけだから。」

と、一蹴された。でもその表情はにこやかで、決して馬鹿にした表情ではなかった。

「でもあたしから見たら、かっこいいわよ。日本では、伝統文化に誇りを持つなんて、誰もしないから。」

事実、そうなのである。日本の伝統文化なんて、一生触れないまま終わってしまう人のほうが多い。触れている人は、ものすごい高尚な人とか、大金持ちの人などに限られてしまう。きっと、カレンからしてみたら、そんな現象はあり得ない話だろう。そういうところが、日本のおかしなところだなんて、平気で言えるかもしれない。

「ほめてもらったと受け取っておくわ。」

カレンは、今一度微笑み返した。

それと同時にタクシーが停車した。製鉄所に到着したのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み