腐ったミカンの方程式 その7

文字数 2,668文字

 その頃、闇の世界に堕ちたコードネーム・パンダは、腐ったミカンたちの社会で出世街道をばく進していた。彼は類い稀な戦闘能力とタイガー・ジェット・シンばりの悪辣さで、東京23区の番を張るパラダイス山田、狂犬シンちゃん、鰯太郎といった面々を次々と撃破していった。最後に彼の前に立ちはだかったのは、伝説の総番、ポテト・ザ・ゴリラだ。二人は夕陽のさす荒川河川敷で相見えた。
 パンダはポテト・ザ・ゴリラを三秒で倒すと、巨大な太鼓腹の上で勝利の舞いを踊った。するとポテトがうっすらと目を開けて言った。「おい、一つ"言い残すこと"がある」「なんだ、"命乞い"なら"区民課"に行きな!」「そんなんじゃねえ…」全てを失った男は、遠くを見る目になった。「"総番"の"カンバン"を"受け継ぐ"奴には、"必ず"伝えなければならないことがあるんでい」パンダは腹の上から下りて、ポテトの頭の傍らに立った。「なんだそれは」するとギザギザに破れた学帽の下、大きな目がぐるんと動いてパンダを見た。「"腐ったミカンの方程式"のことよ」「寝言は"三途の川の渡し船"で言えや」パンダはせせら笑った。「そんなこたあそこらの"猫"だって知ってるぜ」ポテトは空を見て言った。「いや、あれは実は"センコーども"をおびき寄せる"罠"なのよ」「何!」思わずパンダが振り向くと、ポテトは大儀そうに腕をあげ、手招きをした。「ちょっと"耳"をかせ」パンダは不意打ちを警戒しながらも耳を寄せた。「"ゴニョゴニョゴニョ"…」すると電撃を喰らったようにパンダが立ち上がった。緑青色の顔が驚愕でもっと青くなった。「"マジ"か…」彼は我に返り、横たわるポテト・ザ・ゴリラをキッと睨みつけた。「テメエ"吹かし"こいたら承知しねえぞ」ポテトは「"嘘"じゃねえ。だが"信じる"か"信じない"かはお前次第だ」と言うと、目を閉じた。コードネーム・パンダはしばらく腕組みをしてうーんと考えこんだ。その顔に次第に邪悪な笑みが広がり、とうとう狂ったような笑いになって弾けた。「ギャハハハハ!」彼は遠巻きに決闘を見守っていた緑青色のヤンキーの群れに向かって叫んだ。「野郎ども、今から俺が"総番"だ!」腐ったミカンたちの間でオーッとコールがあがった。今しがたまでポテトの一の子分だったイガグリ頭の小男が、パンダにさっとワイヤレスマイクを差し出した。パンダはマイクをひっつかみ、並みいる腐ったミカンたちをぐいっと睨みつけた。「俺はそこに転がってる"イモ"みたいに甘くはねえぜ。俺の"命令"は"岩城滉一"の"命令"だと思いな!」ツッパリたちの興奮は最高潮に達した。「いいぞ"アニキィ"!」「俺ら"地獄の底"までついていくぜ!」コードネーム・パンダは狂乱する青緑色の顔、顔、顔を眺めながら(まあここが地獄っちゃ地獄なんだけどよ)と秘かに突っ込みを入れた。だが今やここが第二の故郷だ。一介の数学教師に過ぎなかった男が、齢42にして関東を制圧。人生山あり谷ありである。パンダは再びマイクを掴んだ。「今から一週間で、"腐れセンコー"どもを最後の一匹まで"根絶やし"にするぜ!」どよどよというどよめきが強面たちの間を伝わってゆく。「いくらなんでも"急"すぎねえかおい」「"センコー"がひとりもいなくなったら、俺ら"誰"に向かって"ツッパ"りゃいいのよ?」意外と保守的なのがツッパリというものである。その上、腐ったミカンたちの平均年齢は既にアラフォーからアラフィフにさしかかっていた。いくら80’sツッパリのなりをしていても、少子高齢化の波は避けられない。「"ビビッ"てんじゃねえぞ」とパンダ。「"勝利"のあかつきには、俺が"永ちゃん"を拉致って必ず"武道館ライブ"をやってもらう。もちろんお前ら全員"無料"で"ご招待"だ!」腐ったミカンたちの間に広がっていたとまどいが、一瞬で熱狂に変わった。数千の腐ったミカンたちが腕を振り回し、歓呼を始めた。「"パンダ"!"パンダ"!"パンダ"!」鼓膜が破れるような騒ぎの中で、パンダの声がひときわ大きく響いた。「"センコー"どもの"アジト"に伝令を走らせろ。一週間後の午後零時に"決戦"を行う!やつらの"墓場"は今いるここだ!」彼は突き立てた親指を、地べたに向けてぐいっとひねった。無法者どもの雄叫びが津波のように高まり、荒川を渡って旧小菅刑務所に谺した。その中で、コードネーム・パンダただひとりが冷静だった。(必ず"奴"が来る)彼は暮れてゆく空を睨みつけた。(泥水すすって教師稼業を続けてきたパンダ様だ。その俺を散々コケにしたあげく、いつも美味しい所だけ持って行っちまう"あいつ"がな!)
 皆の狂乱をよそに、ポテト・ザ・ゴリラ(65)がむっくりと起き上がる。重責から解放された彼の顔は晴れやかだ。総番を張る体力はもはやなかったし、区切りもよかった。前総長は孫の待つ区立いやいやえんハードコアにいそいそと向かった。息子夫婦は覇権争いに忙しいので、送り迎えはおじいちゃんの役目だ。「コラ"クソジジイ"、今までどこほっつき歩いてやがった!俺を放ったらかすとは"いい度胸"してるじゃねえか!」涙目で訴える緑青色の三歳児を抱き上げ、ポテト・ザ・ゴリラは目を細めて頬ずりする。「テメエ(おー、よ)"誰"に(ちよち、)ものを(おじいち)言って(ゃんがき)やがる(まちたよ)
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