2.街へ

文字数 2,664文字

「街へ行ってみたい?」
 ある日、訪れるなり言われた言葉に館長さんは目をパチパチさせて驚きました。
「君は街へ行ったことがないのかい?」
「う…ん。かっ、買い物はお母さんが行きますから……」
 館長さんの問いかけに、少年はもじもじしながら答えました。
「一緒に行きたいと言えばいいんじゃないかい?」
「い…言ったんだけどダメだって言われてしまって……」
 少年は困ったように眉をひそめました。
「でも、街へ行ってどうするんじゃ? 行っても……」
 館長さんは言いかけて、すぐに口をつぐみ首を横に振りました。
「いや、行かん方がいいのかもしれん。君のお母さんは正しいよ」
「え、どういうことですか?」
 館長さんの言葉の意味が分かりかねて、聞き返しても館長さんはただ悲しそうに微笑むだけでした。館長さんにそう言われては、わがままを言うわけにもいきません。その後、少年が街の話をすることはありませんでした。けれども、街へ行くことを諦めたわけではありませんでした。
「どうして行かない方がいいのだろう? よくわからないけれど、それだけじゃ納得行かないよ」
 そこで少年は、だれの手も借りず自分一人で歩いて行くことにしました。
「遠いと聞いているけれど、一日で行って帰れる距離だもの。きっと歩いてもいけるはずだ!」
 そう決心すると、少年は水族館を出て街のある南に向けて歩き出しました。


 どれぐらい歩いたのでしょうか。行けども行けども、先の景色に街の影も見えません。
 だいぶ長く歩いたせいか、足が痛くてもういうことを聞かなくなっていました。しかたなく少年は、その場に座りこんで休むことにしました。
「こんなに歩いたのに、ちっとも街にたどり着かない。僕の考えが甘かったのかな?それとも、途中で道を間違えた?」
 しかし、それはないとすぐに考え直しました。だってここまで、道はずっと一本道だったからです。
 暗くなりかけた空の下で砂利道にたった一人。急に寂しくなって、少年の瞳からポロリと一滴涙がこぼれ落ちました。
「帰りたい…でも、歩けないよ……」
 グッとこらえていたものが、こぼれ落ちそうになったときです。
「おおーい!」
「!!」
 背後でだれかが呼ぶ声が聞こえてきました。
「こっ、ここにいます! ここですよ!!」
 人の声が聞こえたことが嬉くて、足が痛いのも忘れて少年は来た道の方向へと走りだしていました。
「ああ、やっぱり。街に行こうとしていたんだね」
 声の主は館長さんでした。
「館長さん!」
 走った勢いのまま、少年は館長さんに飛びつきました。館長さんも、ちょっとよろめきながらそれでもしっかりと少年を抱きとめました。
「大丈夫かい? ケガとかしていないかい?」
 そう言いながら優しく頭をなでてくれる館長さんに、少年は何度もうなずきました。
「ごめんなさい! 僕、どうしても街を見てみたくて、館長さんの言うこと守らなくって……ごめんなさい」
「いいんじゃよ。わしが本当のことを君に話していれば、君も街へ行こうなんて思わなかったんだろうから……」
「本当のこと?」
 館長さんの言葉に、少年は頭を上げました。じっと、年を重ねた深い深い瞳が少年を静に見下ろしていました。
「聞いておくれ。君にはきっと信じられないことかもしれんが…街はもうないんじゃ」
「え……?」
 一瞬、何を言われたのか良く分かりませんでした。目を丸くしてポカンとしている少年の両手を握りしめると、館長さんはぽつりぽつりと話し出しました。
「もう、だいぶ前のことになるかのう。ここでの生活が順調になり始めて、さあこれからだというときに、この惑星のエネルギーを生み出す場所が大爆発を起こしてしまったんじゃ。エネルギー製造工場の真上に栄えておった街は、その爆発で跡形もなく吹き飛んでしまったんじゃ。当然、だれも生き残っておるやつはおらんかった。わし…一人だけじゃった」
「どうして館長さんは助かったのですか?」
 少年の問いかけに、館長さんは力なく微笑みました。
「あの日、わしはいつものとおり水族館にいたからじゃ。水族館は街の外れの外れに建てられていたから、爆発には巻きこまれなかったんじゃよ。それに、あの水族館はほとんど全てが機械式で、館長のわし以外人手がいらなかったのさ」
「館長さん……」
 街のあった方向。南を見つめた館長さんの瞳から、静に涙が一粒こぼれ落ちました。
「わしは、たった一人で生き残ってしもうた。妻も子供も、大切な人たちは皆街と共に消えてしまったというのに」
「……ごめんなさい。僕、そんなことちっとも知らないでこんなこと……」
 うな垂れる少年の頭に、ポンと大きな手の平が乗りました。
「分かっておった。君は…水族館で一番小さな魚だね」
「気づいていたんですか?」
 館長さんの言葉に、少年は目を丸くして驚きました。まさか、始めからばれていたなんて思わなかったからです。
「わしをだれだと思っとるんじゃ?電脳水族館の館長じゃぞ。魚の数が足りないぐらい、一度見ればすぐにわかる」
「さすが、館長さんですね」
 参ったとばかりに、少年は泣いていたのも忘れて苦笑を浮かべました。
「しかし、どうして人間に?」
「神様が僕の願いを叶えてくれたんです」
「神様が?」
 驚いた館長さんの声に、少年はうなずきました。
「眠っていた僕の夢の中に、小さな女の子が現れました。その子は僕に、一つだけ願いを叶えてくれるといったんです。それで僕、人間にしてくださいってお願いしました。夢……だと思ったんです。夢なら、きっと叶わないことも叶えられると。でも、目が覚めて驚きました、本当に人間になっていたんですから」
「そうかい。そんなことが…」
 少年の話を聞きながら、神様が叶えてくれたのは、少年の願いだけではないと館長さんは思いました。長い間一人で生きてきた館長さんも、独りが寂しくて何度人を探して歩き回ったか分かりません。しかしそれは、逆にたった一人でしかないことを繰り返し思い知らされ、いつも落胆して帰ってくるだけでした。
「ありがとう。君のおかげで、わしはやっと自分以外の人間に出会うことができた。もう、だれとも永久に言葉を交わすこともなく、一生を終えると思っておった」
「館長さん……」
「どこまで一緒に行けるか分からんが、これからもよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
そう言って、ふんわりと少年も微笑みました。

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